ふむ

 一言呟いてから、男はまた口を開く。

その光がないと、この闇を照らせないと言ったな。
俺がまた、闇に包まれてしまうとも

……そうね

では、聞こう

 とんとん、と、その太く厚い指で、自分の胸元を叩く。

俺がこの闇の中で、形を保っているのは……その光があるから、なのか?

……

はい!
スーさんとグリさんが、がんばって照らしてくれているおかげなのです!

 無言の私と、全てを話してしまう彼女。
 これは、予想していたこと。
 彼女はそういう存在なのだと、眼をそらしながら納得しようとする。
 ――口を閉ざしなさい、と言うべきだったのかもしれないが。

(男の眼の前で、それを伝えるわけにもいかない)

 私が心の中で、あれこれ考えていると。

『グリさん、ねぇ。確かに、照らしちまってるなぁ。よく、アイツの姿がわからぁね』

 内に響く、のんきな声。

……なにか言いたいことでもあるの、グリ

『いやぁ。ただ、ここまで来たら、面白いんじゃねぇかってなぁ?』

 ――ため息を吐いて、男に視線を戻す。
 面白い。からかうようなグリの言葉は、今のこの状況を言っているのだろうか。
 ……形を取り戻した不気味な男と、形を照らす不思議な彼女の、一時の語らいを。

(一緒よ。さっきの、形になれなかった光と、同じでしかないはずなのに)

 そう想いながら、彼女と男の会話に、耳を傾ける。

 先に口を開き、改めて話を始めたのは、男の方だった。

俺をよみがえらせて、どうするつもりだ。
形を与え……なにを、させるつもりなのだ?

(……それは、そう感じても仕方ないわね)

 その質問は、私も感じている疑問だった。
 男の視線と、私の視線。二つの視線が、残った彼女へと向けられる。

(話を聞く。その理由は、わかっている。だけれど……だからこそ、その口から、聞いてみたい)

……ぁ

 考えをまとめた自分に対して、小さく、驚きの声を上げてしまう。
 ――そう。私は、自分の心に驚いてしまった。
 お話を聞く。彼女がそう願った行動の答えを、彼女自身から聞くことに、期待している自分の心に。

それは……

 男の問いかけに、言いよどむ彼女。
 眉を下げ、物憂げに眼を細める表情は、さっきまでの明るさとは真逆のもの。

(どうして……?)

 そしてその姿に、また驚きを感じる。
 同じように闇を歩き、どうやって歩いてきたかを知る私だからこそ、感じる違和感。
 よみがえらせた目的を考えるならば、そのためらいこそ、理解できない。

 ――さっきの悩み顔と、同じだ。
 ――あなたはなぜ、そんなに過去を振り向くことが出来るの?
 ――そして、それを知るのなら……なぜ、こんな茶番を、続けているの。

(……割り切って、いないのかしら)

 だが、それはますます、私の言葉を否定できないことになる。
 どうする、つもりなのか。
 また、意味のない応援と問いかけを、繰り返すのか。

(……さっき、こぼれ落ちてしまった光と、違う相手に)

 ――そこに、なんの意味があるのか。私には、わからない。
 胸の中にわきあがる、様々な彼女への感情。
 それを、口に出さないでいると。

――また俺を、戦の道具として、使うつもりか

 代わりに口を開いたのは、男。
 そしてその問いかけを、私は一瞬、理解できなかった。

(いくさ……どうぐ……?)

……?

 隣に並ぶ彼女も、同じように戸惑った表情を浮かべる。
 そのせい、だからだろうか。

……この闇を払う、武器として。
駒として。
道具として。
また、この俺を

 男は、重ねるように言葉を続ける。

(はらう……男が言っているのは、今じゃ、ない……?)

 その言葉は、おそらく、この世界に関わるものではない。

(でも、道具というものは、確か)

『道具、ねぇ。まぁ、俺みたいになっちまえば、考えがあっても道具かもなぁ』

……道具なら、そんなに皮肉を言わないわね

 ぽつりと、本当にかすかに、グリに向かってそう呟く。

(……グリには、意志があるのだから)

 ――けれど、グリの言うことも、わかる。
 道具。グリの元となっているカンテラや、彼女の手元にある棒状のものなどが、それを指しているのだろう。
 意思はなく、それを扱うものの手により、有効に使われる形。それが、道具。

(……でも、男には、意志があるのに)

 人の身に似た男が、自分へ向かって使うには……あまりにも、冷たい響き。

いくさ。戦って……

 言葉の意味を考えながら、彼女は、形にならない声を呟く。

……戦とは、また物騒ね

 彼女に代わり、男の言葉を受け止め、私が答える。

『戦とは、その姿形に違わない生き方を、してきたみたいだなぁ』

 感心するようなグリの呟きとともに、かつて彼から教わった、その言葉の意味を想い出す。
 戦。
 それは、誰かと誰かが、戦うこと。
 それぞれの意義をぶつけ、削りあうこと。
 そしていつか……どちらかが残るか、互いが力つきるか、共に理解し合うかを選ぶこと。

(そう、まるで……)

 ――この世界を進むことも、一つの戦かもしない。かつてグリに、そう、漏らしたことがある。

(……戦は、でも、どういったもの?)

 考えるけれど、形になるようなものは、頭に浮かんでこなかった。
 ――闇にうごめくナニカが私達を襲ってくるのも、戦と呼べるのだろうか。
 そんなことを考えていると、自然、少しだけ手の力が緩まる。
 それに気づいて、下がり気味だったカンテラを少しだけ掲げると。

よく照らすことで、なにか見えるのか?

 嘲笑する男の言葉に、改めて見られていることを自覚する。

(……見るべきは、想像じゃなくて、眼の前だわ)

 気を引き締め、私は、男の身体に視線を向ける。
 硬く引き絞られ、圧迫感を秘めた肉体には――無数の、切り傷や変形が、刻まれているのを見て取ることができる。
 全身から発せられる威圧感や、瞳の鋭さは、ここから生まれているのだろう。
 私は、その意味する恐ろしさを知りながら、でもやっぱり、引き下がらずに言い返す。

身体を見れば、確かにそう見えるわね。
傷ついた身体に、その瞳。
……平穏な生き方では、なさそうだわ

平穏でない?
この、身体がか

 くくく、と小さく笑い。
 男は、周囲の暗闇に、また視線を向ける。なにかを探すような、考えるような、ここではないものを見る視線を。

あ、あの。
いくさって、なんなんでしょうか

 少しだけ落ち込んだような、彼女の問いかけ。
 戦。それが何かをうまく想像できない私は、黙っているしかない。

戦がなにか、か

 彼女素直な問いかけに、男は、重く低い声で呟いた。

そうか。
この世界に、戦はないのだな

 頷(うなず)いてから、また男は、笑う。

あるはずが、ないか。
この暗闇では、まず己を見ることもままならないものな

(……男の言う戦は、ない、のでしょうね)

 ――でも、逆らい続けなければいけないものは、ずっと側に漂っている。
 これが、戦と呼ぶものなのかは、私にはわからないけれど。

(傷ついた身体なのは……あなただけでは、ない)

 周囲の闇をグリの光で払いながら、私は、男の言葉を受け止める。

ましてや……この世界のみで過ごすお嬢ちゃん達には、わからないことだろうな

 視線を向ける男。
 だが、その瞳の鋭さこそが、かつて住んでいた世界の荒々しさを感じさせる。

(……)

 確かに、この世界に戦は、ないけれど。

(似た瞳なら、たくさん、たくさん……見て、きたわ)

 男の身体に刻まれた、薄く細い線のような痛みが……苦い記憶とともに、私の全身にも、走る。

 ――かつての世界の罪は、この世界で罪を重ねるものと、どちらが重くなるのだろうか。

……戦い続けなければいけない世界、
だったのですか

 対峙する私達の間で、静かに問いかけてくる彼女。
 弱々しくそう尋ねる姿に、男は、答え返す。
 無数の傷を刻んだ、自分の右手を見つめながら。

戦がない日々こそ、一時だ。
俺のいた世界は、常に紅く、染まっていた

 見つめる瞳は、先ほどと同じ、ここでない何かを探すようなもの。

 ――細めた瞳が見つめているのは、はたして、男自身の手なのだろうか。

俺の記憶にあるのは、
血が噴き、
肉が裂け、
憎しみや恨みの声が渦巻き、
こちらを罵倒して殺そうとする……
抗う意志、それだけだ

 ――それとも、その手が浴びただろう、熱くぬめる……命の形、だったものなのだろうか。

 ぎゅっと、傷ついた手を閉じ、男は。

そう、優しい眼を向ける者など……
もう、いない

 静かに、口元をわずかに歪ませ、そう呟いた。

……?

 その言葉に、私は、違和感を感じた。

やさ、しい?

 それは、彼女も同じだったようだ。

……っ

 一瞬、男は口ごもったが、すぐにその違和感は塗りつぶされた。
 今、感じられた違和感を、打ち消そうとでもするかのように。

俺は、生まれた時から……
存在自体が憎まれ、疎まれていた

うまれた、ときから……

 男の言葉に、彼女は大きく瞳を開く。
 口もまた開こうとして、だが、閉じられる。
 あの、あの、と、言葉にならない声を何度も漏らしながら、形にならない。
 言葉を挟むか、迷う。だが、男の素性を問うことは、ためらわれた。

 ――私は、もう、こんな話し合い自体をやめたいのだから。

 だが、彼女はそうではない。

……あの、ですね

 両の手で光をつかみ、祈るような姿をしながら、ゆっくりと口を開く。

そんなこと……そんな……

 問いかけながらも、主張はない。
 彼女が言いたい言葉は、わかるような気がした。……それが、言えない理由とともに。

(――いない、とは、言えない)

 ――もし、いないのなら、そういった形に出会うことはなかっただろうから。

 彼女の言葉にその響きを感じながら、そう言いたがらない様子に、息を吐く。
 場の空気は、沈む。だが、止まったわけではなかった。
 男は、先ほどのゆらぎを押し潰すように、はっきりと告げる。

そんなことは、あるのだ。
産まれた瞬間から、俺は……
人を傷つけ、殺めるためだけに、
存在させられたのだから

……!

(……っ)

 男の言葉に驚いたのは、彼女だけではなかった。

(それだけのために、存在していた……の?)

 顔へは出さないようにしながら、私も、驚いていた。
 ……そこまでとは、考えていなかったから。

だから、言っただろう。
罪を重ね続けてきたのだと。
……罪を重ねるために、生まれてきたのだと

 とんとん、と、男がその太い指先で頭頂を叩く。

産声が産婆の耳を破き、
触ろうとした従者の腕をへし折り、
産湯の桶は身の揺らぎに破壊された。
そして、飢えた俺は……
乳母の身体を冷たくするほどに、
暖かさを奪い、渇きを癒したのだ

……っ!

 彼女の緊張した顔が、瞳の端に映る。

触れるもの全てを破壊する、ようなお話ね

 対して私は、変わらなさを作って、なんでもないことのようにそう感想を返した。
 ……言葉に震えがなかったか、わずかに怯えながら。

(――まるで、この闇のよう)

 最後の言葉は、喉の奥に飲み込んだ。
 言ったところで、男は否定しない気もしたが……それを、形にしたくなかったからだ。

その通りだ。
俺は全てを、破壊し続けたのだ

 私の言葉から続けるように、男はそう答え返し。

そしてそれが、
俺という『神』の落とし子が、
存在した理由だったのだ

 ――また、理解が追いつかない言葉を、私達の耳に投げかけたのだ。

『神』……?

おとしご……?

 私と彼女の、戸惑ったような声。
 『神』の落とし子。

(神。確かそれは……かつての世界で、大切にされていたもののはず)

 ――だが男は、自分のことを、罪人だと言っていた。

『神、ねぇ……神様の子が、罪ってことは、堕天使ってことかぁ?』

 グリの言葉の意味は、よくわからなかった。
 けれど引っかかるものを感じたのは、グリも同じだということはわかった。

(神が……大切にされていたものが、罪を犯す……?)

 想い浮かべた疑問は、先ほど男が投げかけた謎かけに、似ているようにも想えた。

……くだらん

 だが男は急に、低く短い言葉を呟いた。

へっ?

 間の抜けた声を上げた彼女に、男は首を振りながら返答する。

らしくもない。
これで、終わりだ

おわり?
おわりって……お話を、ですか?

 残念そうな彼女の様子に、男は距離をとるように答える。

聞いてどうする。
俺の身の上など、お前達には関係があるまい

(ええ。……私は、ずっと、そう想っているわ)

 ――ありがたい。
 男の言葉に私は、心の中で大きく頷(うなず)く。

そうね。そのと――

 そう安心したように語りかけ、同時にグリを――。

あの、あのですね!

……っ!

 ――と、私が話を終わらせようとした矢先、また、彼女が割り込んでくる。

リンは、あなたのこと、
もっと知りたいのです!

 きっぱりとした声で、彼女は、諦めないことを告げる。
 まっすぐな、高く朗らかな声で、男から視線を逸らさずに。

……もう一度、聞こう

 少しだけ、本当に少しだけ、男はためらうような声で口を開いた。

なぜだ。
お前に、なんのメリットがあるのだ

(メリットなど、ないわ)

 内心で、私は彼女の行為をそう判断する。
 ……彼女がやろうとしている行為を、一番よくわかっているのは、私。
 だから、そう、判断しなければいけないのだ。
 ――心を探り、過去を掘り返し、今の現実を想い返させる。
 ……彼女の問いかけは、今眼の前の男に、更なる苦痛を与えることに他ならない。

(苦痛を感じることなど、男にはないのかもしれないけれど)

 しかし、無関心であれば……なおさら、語りあう必要もない。
 ――いや。眼の前の、男だけではない。

(今までと、これからに、そうした行為で傷つく者もたくさんいるはずなのよ)

 だからこそ、私には理解できない。

『メリット、か。……あのお嬢ちゃん、そこまで考えてるのかねぇ?』

 ……私には、わからなかった。

(……あの鋭い瞳に、あなたは、なんて答えるのかしら)

 男の眼は研ぎ澄まされる。
 まっすぐな瞳を向ける彼女へ返すように。

答えろ

 男はまだ、彼女がなにをしようとしているのかを、知ってはいない。

(けれど、その結末と怒りを、私は知っている)

 他人の心を、掘り返すような行為。
 それはまるで、闇の中に埋めた傷を、光で炙(あぶ)り出すようなものだ。

 ――そんなことをされた眼を、もう、私は受け止めることが出来ない。

 男と私が見守るなか、彼女は、ゆっくりと口を開いた。

……とても寂しくて、
でも、優しい眼をされているからです

(寂しくて、優しい……?)

 その言葉が、なにを、誰を、指しているのか。

……っ

 彼女の視線の先を見るまで、その対象と言葉の意味を、結びつけることができなかった。

(あの男を……優しい……?)

その理由を、リンは、
想い出して欲しいからです

 答えるその瞳は、やはりまっすぐで、迷いがない。
 自分の言葉や感じ方に、疑いを持っていない。

(揺らいで、いない)

 さっきまで、男や私の言葉に不安や悩みを抱えていた顔とは、違う顔。
 ――今の彼女の想い、その強さを、感じさせられるものだった。

(それほどまでに……かつての光を、取り戻させたい……の?)

 はたしてそれは、なんのためなのだろう。
 ……私も、想い出せないほどの出会いの中で、そんな力を持っていた時も、あったのだろうか。

だから、お話を聞きたいのです。
あなたの大切な、かつての世界を

……

……っ

 私も男も、その表情と願いに、言葉を失ってしまう。

それに……

それに?

 ぎゅっと、彼女は自分の胸に空いた手を持っていき、少しだけ微笑む。
 この闇の世界に光る、淡い光のような……ほのかな、柔らかい微笑みを。

光が、暖かかったんです。
輝いていたんです。
だから……あなたには、また、想い出してほしいんです

光……光、だと?

リンは、あなたのことを、もっとよく知りたいんです。
それでは、いけないでしょうか

この、俺が、か

はい♪

 満面の笑みを浮かべ、彼女は男へと頷(うなず)いた。
 次いで――くっくっく、と、押し殺すような笑いをあげる男の姿。

ふふっ……くくく……

 おかしくて、可笑しくて、仕方がない。
 なにかを堪えるように頭を下げて笑う様子は、そんな雰囲気を感じさせる。
 気の抜けたような、けれど逆に張りつめそうな、気味の悪い感触。
 私は、絶句していた。彼女の感性、受け取り方、関わり方。
 全てが、私と異なりすぎることに。

(暖かい……輝いていた……?)

 輝いていたのは、わかる。
 あのどす黒い塊でも、グリや彼女の光と交わるような、光を輝かせていたのは確かだ。
 だが決して、暖かくはなかったはずだ。
 むしろ感じられたのは、この暗闇と同質の、全てを塗りつぶしかねない圧迫感。
 ――彼女の感じ方は、私とは真逆のもの。
 私は男から、冷たい感触を受け取ることしか、できなかった。

(安心させるための嘘か、それとも……)

 彼女の言葉の意味を考え、ふとそんなことを想いつく。
 相手を油断させるための、駆け引きか。甘さを伝え、相手の気が緩んだところに近づくのか。

(……いえ、違うわね)

 だが、すぐにその考えを打ち消す。
 短い時間の関わりのなかで、彼女がそうしたことができるような者か、薄々わかり始めてもいたからだ。
 ――わかるからこそ、その感覚が、わたしにはわからない。

(お話、なんて、わからない)

お話、ね……

 呟く男に、大きな動きはない。
 だから私は、注意深く男の観察をやめない。
 この闇の中、グリが作り出す陰影は、男の感情や動きも色濃く映す。
 指先やつま先、視線の方向、筋肉の動き、それらの流れを警戒する。

(怒っているのか、それとも……)

 そして、男の生きてきた世界を想いながら、監視を続ける私は。

(……あなたは、わかっているのかしら)

 緩みきった笑みを浮かべ、光を照らす彼女。
 話し合いをしようと願う彼女の様子は、この闇の世界を進んできた私でも、わかりかねるものだ。
 けれど、男が生きてきたであろう、光と闇の混じる世界でも……その考えと態度は、異質だったのではないだろうか。

 ――どんなに優しく、光となってくれた者の心にも、かすかな闇は潜んでいたのだから。

(だから……そんな、綺麗事は……)

(だから、早く)

 なにもないことが、平穏。
 そう想って、男の出方をうかがい続けると。

では……始めようか

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