うずく身体と意識を抑えるように、私は口を開く。

なら……私達が殺されていないのは、運がいいというべきなのかしら

 皮肉るような言葉を、あえてかける。

セリン、そんな……!?

 止めるように声を高める彼女。
 けれど、男は平静なまま。
 むしろ、笑みさえ浮かべている。

 ――そうした存在として呼ばれるのが、当たり前だと想っているかのように。

 見通すような瞳で私達を往復しながら、男は口を開く。

お前達は、情報だからな

じょうほう……?

そうだ。
俺が、この世界を知り、把握するためのな

 その言葉に、私は警戒心を解くことなく、答え返す。

なるほど

でもそれは互いにとって、安心する回答にもなるわね

 わかったように頷きながら、手元のグリをかかげることは、忘れない。

(情報が必要だというのは、そうなのでしょうね)

 容易に信用してはならないが、こちらが手を出さなければ、踏み込まれることもない。
 男の言葉はそうした、ある程度の間隔を保つという言葉でもあった。

(……逆を言えば、このまま、動きにくくもあるのだけれど)

 交換できる価値を見せれば、こうした相手は、すぐに動くことはない。すぐ、想うまま、荒れ狂うこともない。
 狂的ではあっても、理屈がないわけではないからだ。
 もちろん、気を抜くことはしない。抜いた隙間は、確実に見破られている。

……

 ――かつて、その誇り高さと穏やかな声音から、気を許した軍人。

……!

 ――私に、交換できる情報がないと知るや。

……ッ

 ――掌を、返してきた。
 硬くひきしまった、冷たい拳とともに。

(その隙間を、もう、空けないように)

 記憶とともに、私の胸の奥が、静まっていく。

では……教えてもらおうか

 冷たい視線を取り戻しながら、私の耳は、男の言葉を待つ。

かつての世界と、言っていたな……? ここは、地獄でもないが、
俺のいた世界でも、ないのだな

ええ。
ここは、ずっと闇の続く世界

闇の、世界……?

はい、セリンの言うとおりなのです

 疑問を浮かべる男へ、彼女が伝える。

ここは、スーさんやグリさんの光がないと、ずっとずっと……闇が、あるだけなのです

 私の言葉へ付け加えるように、この世界の説明をする彼女。

闇が、広がっている……

はい。
リンやセリンの光から、ちょっと離れただけでも……
ずっと、ずっと、です

 感心するような男の姿を見ながら、私は、心のなかだけで呟く。

(……聞きだす、より、伝えないために、という話し方が必要かしら)

 表に出さず、今後の話の流れを組み立て直す。
 私は、逆に男の情報を引き出し、かつての世界の情報を拾い上げようとした。
 だがそれは、彼女と言う存在がいると難しいのだと、今の話からわかってしまった。
 ――この世界の闇を、唯一照らせる、光の存在。それを告げてしまった、彼女の無防備さによって。

(……私は、闇にとりこまれても、かまわないのに)

 彼女が、そうはさせないだろう。
 ――別の者がいるというのは、こんなにも、大変なものなのか。
 想い悩む私を横にして、男が呟く。

光。
……光か

 注意深い男は、さっきよりも瞳を細め、私と彼女の光をしっかりと見つめる。

(見覚えがある、瞳の強さ)

 ぐっと、グリを持つ手に、力をこめてしまう。

 ――そうして、私の手を見てきたモノ達の、目的。
 ――忘れは、しない。できるはずが、ない。

お前達の光で、ようやく、見えているだけか

 グリと彼女の光、私達の全身。
 それから周囲の闇と、そして自分の身体へ。
 押しつぶすような力を持つ眼で、男は周囲の世界を観察する。

(光と影のバランスを、見ているの……?)

そうね。
この闇がどこまであるのか、私達もわからないけれど

 観察する男の眼へ映るよう、グリの光を掲げる。
 少しだけ、さっきよりも広がった光。
 だがその先にあるものも、変わらない闇の世界だけ。

(逆に、光なしではいられないということが……私達にとって、有利になれば)

 ただ、周囲を興味深そうに見つめる男へ、はたしてそうした行為が、どれだけ効いているのか。
 男は、しばらく観察した後。

どこまでも、か。
……なるほど

 少しくぐもった、感心するような声を上げる男。
 ――いったい、なにを考えているのか。
 見つめ続けるけれど、男は、黙したまま動かない。

そういえば、ですね!

 ……なのに、横の彼女は、まるでそうした空気が読めないらしい。

光は、リンたちが起きた時から、スーさんかグリさんの光しかありません。
ですから、あの、ここから急に動いたりしないでくださいね

……っ、どうして、それを

 ――いとも簡単に、言ってしまうのか。

はえ?

……いいわ。
そう、こっちの話よ

 苛立つように呟いた一言に、彼女の怪訝な顔。
 逆に――本当に、知りたくなってきた。

(いったい、どんなモノ達と、今まで会ってきたのか)

 ――こうも、汚れない瞳と言葉を向けられるようになるために。
 ――どうしてそんな幸運に、恵まれることが、できたのか。

 不思議な顔を浮かべ、自分が原因とも知らない彼女へ、苛立ちを感じていると。

闇に閉ざされ、先も見えない世界。
あるのは、お前達と、その光だけ

 再確認するような男の言葉で、意識と視線を、そちらへ戻す。
 警戒心と集中力を戻し、周囲を見回す男の動きから、視線を外さないにする。
 ……その、はずだったのに。

(そんな顔をするのは、本当に、そう想っているの?)

 意識を戻す前に見た彼女は、悩んでいるようだった。
 瞳と口をさまよわせながら、それでも男へとたまに視線を送り、声をかけようとしては口を閉じる。
 どんな声をかけるべきか、戸惑った様子は――見るものが見れば――真剣な様子で、愛らしく見えるのかもしれない。
 ――でも、私は。

(なにを……ためらったふりを、しているの)

 ためらいを持つということは、眼の前の輝きを前に、伝えられないということだ。
 けれど、彼女の手元には、光がある。
 その輝きのために、彼女が得てきたのを、知っている。同じ光を持つ、私は、知っている。

(それを、今更……!)

 その瞬間、意識を完全に、彼女へ持っていかれた。
 なにかに耐えきれず、言葉を発そうとした――その時だった。

闇が満ち、支配する世界。
……かつての世界を憎み、疎まれ、闇にのまれた俺には……似合いなのかもしれんな

 感心するようなその声が、耳に低く響いたのは。

(……っ)

 男の言葉に、理性が呼び戻される。

(……また、意識を、外してしまった)

 ほんの、ほんのわずかな一瞬、だけれど。
 私は、彼女にかき乱された想いで、注意力を失っていた。

 ――どうしてこんなにも、私は。
 ――彼女のことが気にかかって、仕方がないのだろう。

(なぜ……)

 気づかれぬよう、言葉を飲み込み、少しだけうつむく。
 その間にも彼女は、男へ質問を投げかける。

うとまれ、ですか?

 その言葉は先ほど、男が呟いた単語の一つ。
 憎み。疎まれ。闇。――どれ一つとして、光とは真逆の、この闇の世界に似たイメージを持つ。
 どこか胸の奥が重くなるそれらの響きは、けれど、男が言うのであれば納得せざるをえない気にもさせた。

あの、どうして、そんなことに?

 素朴な質問を、男へ投げかける彼女。
 男の口から、返ってきた言葉は。

生まれもわからず、先も見えず、だが、帰り道もどこにもない

えっ……と?

ただ、かぼそい光に照らされ、呑まれないようにしている

(これは……)

あるのは……この闇とともに沈むか、抗うか。
そういうことか?

 独り言のような、男の言葉。
 だが、その意味を、私は気づいてしまった。

(私達のことを……いえ、この世界の、形あるもの達のことを)

 男は、少しわかりづらい言葉で、言い当てている。
 ――状況判断が、的確だ。そして私にとって、それは、不安要因でもあるのに。

……なぜ、闇を避ける?
なにが目的だ

 男の眼が、さきほどよりも鋭くなる。

(目的……答える、べきか……?)

 ……私は、見間違っていたのかもしれない。
 情報を持っていれば安心である……などという判断は、想いこみでしかなくて。
 ――私は、男の圧迫感にのまれそうな自分を、感じていた。
 まだ、口を開き、漏らしていないのが救いだけれど。

なにを目指し、そんなかぼそい光で、ここに立っているのだ?

(それは……)

 ――胸の中に浮かんだ、忘れられない、私が進むただ一つの理由。

リンは……歩いています

 けれど、その理由を、反発する言葉として告げる前に。
 彼女は、まっすぐに男の瞳を受けながら、答えていた。

歩く?
歩くとは、どこへだ

この闇の中を、ずっとです。
スーさんの光で、一緒に歩いているのです

……お前も、そうか?

 視線を向けられ、私も頷(うなず)く。

そうね。
私も、この闇を……進んでいる

 ――歩く、と、進む。意味は、同じはずだから。
 少しの間をおいて、私は付け加える。
 わざと男の眼を焦がすように、グリを掲げながら。

切り開いてもらいながら、ね

……ふっ

 私達の言葉を聞いて、男はまた笑う。もしかすると、私のかすかな反発を笑い飛ばしたのかもしれないけれど、よくわからない。
 ――よく笑う男だ、と、ふと想う。
 不気味な威圧感と、抑え込まれた力。なのに、ふと周囲を全てあざ笑うような奇妙さも見せる。

(……おかしい、から、笑っているのかしら)

 笑みには、相手を安心させる効果がある。それは人間でも、異種族でも、動物でも、そしてこの闇の世界でも変わらない。
 だが、だからといって、もちろん警戒心は解けない。

 ――おかしいのは、可笑しいのか、オカシイのか。

 男が、顔に形作る笑みは……そうした安心感とは違う、不安を感じさせるもの。
 その笑みをまたピタリとやめ、男は、私と彼女への視線を細める。

お前達は、なんだ?

 皺を深く、重く、感じさせる顔。
 問いかけてくる重圧に、ごくりと息をのむ。
 でも正直、こちらの顔の方がやりやすく感じる。
 いつ切り替わるかわからない笑みより、わかりやすい恐怖の方が、対しやすいから。

私達は……

リン達、のことですか

 同時に、私達は同じ言葉で答えてしまった。

 ――そういえば、と、今更なことをまた考える。
 ――答える彼女は、男の不気味さに、本当に気づいているんだろうか。
 ――その、まっすぐな、瞳の奥で。

 明るく切なく変化する、彼女の表情。
 そこからは、私が日頃感じているような、硬い警戒心を感じることはできない。
 むしろ、彼女の、どこか不安定な明るさや必死さから感じるのは――

(――そ、れは?)

 ――眼の、前に、広がる……?

 そこまで、考えの中に、なにかが浮かびそうになった時。

そうだ。お前達は……この闇で目覚め、歩み、切り開いていると言ったな

 男の、しっかりとした言葉に、またこの世界へ連れ戻された。

は、はい

 男の眼は、なぜか、私ではなく彼女のみへと注がれていた。
 ――男がその気なら、どうなっていたか。
 自分の情けなさに、怒りたくもなったが。

どこへ、向かうつもりだ?

それをあなたが知ったところで、どうするつもりかしら

 彼女が答えるより早く、私は口を挟んだ。
 ――寄り道や遠回りは、もう、いい。こんなに考えがまとまらないのも、もう、いい。
 そう想う私に、だが男は、最初からは考えられなかったような興味深さで聞いてくる。

ただの好奇心だよ。
姿見は、ただの幼子に見えるお前達……だが、な

すがたみ……おさなご……?

少女とも呼べる、お前達。
だが、その内にある考えと、過ごした時間……
見たままでは、ないだろう

……見たままじゃ、ない……

 呟く彼女は、どこか不思議そうな顔をしながら、なにも答えられない。
 ――男がなにを言いたいのか、私も、わかりそうで……つかめない。

見た目通りではないのは、あなたも一緒でしょう?

 だから私は、あえて言い返す。
 こちらを見透かしたいのであれば、それは、跳ね返す必要がある。
 有利にされている、と、感じていた。でも、そんなはずはない。なかったのだ。
 ――なぜなら、男がなぜこの世界に形を保てているか。
 よく想い出せば、良いだけのことだった。

(だからこそ、私は、話を聞きたいと想わない)

 それは、話を聞くのではなくて――話させている、だけだから。

……

 一歩、踏みだす。
 手元のグリの光が、揺れる。

それに、この世界でそんな問いかけ、意味がないわ

 この世界で、見た目通りに存在できるかだなんて。
 ……おかしな、オカシナな質問だ。

 ――光がなければ、みんな、闇と一緒。
 ――今の姿も、本当かなんて、わかりはしないのに。

闇の世界で、形を求める、意味か

 独り呟き、男は頷(うなず)く。

……ならば、そうだな。
質問を変えるか

 考えるような口振りでそう言い、男はあっさりと、私達の目的に触れることをやめたようだった。

あの、えっと……

 何度も口を開きながらためらう彼女の姿が、眼に入る。
 なにを話せばいいのか、それとも質問を待てばいいのか、わからないようだった。
 だから、その言葉を形にできないまま、眼の前の男をただ見つめ続けている。

(……話を聞く、なんて相手でないことは、もうわかったでしょうに)

 なぜ、私のやり方を止めるのか。諦めないのか。
 もう、男の警戒した仕草と目つきは、しっかりと味わったはずだ。
 容易に抑えつけることは、できない。その気配もまた、常に漂っている。

 ――なのに彼女は、言葉を探し続けている。
 ――それが、無になるしかない、交流なのだと知っているはずなのに。

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