解決策が見つからないまま、再び、『コネクトキッチン』の収録日がやってきてしまった。
あのディレクターは空子を見切るつもりでいる。おそらく今日が、空子にとって最後のチャンスだろう。
――かと言って僕は、空子一人だけを見ていられる立場ではなく。
……あれ? あれれ、私、何を作ろうとしていたんでしょう?
空子さん……
おかしいな。なんで手がふるえ……
おちついてください、空子さん。だいじょうぶですから
ここ数日、多忙を極めていたので、なかなか空子たちのフォローにまわれなかった。
僕が息を荒げて現場に駆け込んだ時にはもう、手遅れの雰囲気になっていた。
キッチンに立つ空子の手を、楓がそっと握りしめている。
スタッフたちは困った表情で、ディレクターは不愉快そうに踵を鳴らしている。
ああ、プロデューサーさん来たんですか。待ってくださいって頼まれたから、こっちは十分待ったつもりですけどね?
これが、あなたの出した結果ですか? 見てくださいよ。こんなんじゃあもう彼女は使えな――
……空子!
僕は、ディレクターを一旦無視して空子を呼んだ。
ちょっとあんた、収録中に何考えて……!
空子がハッと顔を上げた。戸惑いながらも、こちらにパタパタと駆け寄ってくる。
プロデューサー? あれ、あ、今は、収録中……?
気にしなくていいから。それよりも、今は、空子の気持ちを大事にしよう
空子は驚いた顔で、僕を見つめてきた。
空子は辛い? もうこの番組やめたい?
僕の言葉に空子は即座に首を強く横に振る。
やめたいなんて思ったことありません! 絶対に!
うん。空子ならそう言うと思った
じゃあさ、深呼吸して。ちょっとまわりを見てみよう。もっと広く
横からディレクターが真っ赤な顔で何か言ってくるが、撮影スタッフは、僕の行動を認めてくれたようだ。
カメラは唯チームの方に向けられて、気にせず続けろと合図を送ってくれる。
空子は素直に、深呼吸をしてくれた。
すーはー、すーはー……
えっと、プロデューサー、まわり、ひろく……?
空子は献身的で、頑張り屋さんで、だからこそ、この番組でどうしたらいいのか分からなくなっちゃったんだよな
でもね、空子。君の気持ちは、ちゃんとみんなに届けられているんだよ
ここ数日、そこら中を駆け回って必死にかき集めてきた紙束を、カバンから取り出す。
これは……?
街頭でアンケートを取ってみたんだ。このコーナーの
地方番組だからかな、意外と見てる人多くて僕も驚いたよ。ほら、どれでもいいから読んでみて
見てる人の……。こんなに、たくさん、わざわざ書いて……?
僕が渡したアナログなアンケート用紙を握りしめる、空子の手が小さく震えている。
それは決して、恐れや不安から来るものではないのだろう。
* * *
『朝から空子ちゃんの笑顔に癒されてます。今日も一日頑張ろうって励まされます』
『今時の若い女の子なのに、素朴な家庭料理に感心。献立の参考にしているので、定番の料理をもっと見たい』
『わたし、空子ちゃんのお料理するとこ、大好き! 空子ちゃんみたいになりたい!』
* * *
番組ホームページのアンケートや、事務所宛てに届くボイスメールでも意見はたくさん寄せられていたけれど。
もっとそばの、身近な声を、空子に直接見せたかった。聞かせたかった。
もちろん僕だけの成果ではない。
手の空いている事務所のアイドルたちやまひろさんが、積極的に協力してくれたのだ。
空子を応援する紙束は、ざっと見積もっても100枚以上ある。
事務所のあたたかな絆。
ファンの応援。
それを空子に、もっと近くに感じてほしかった。
空子は空子のままで、ちゃんと届けられているんだよ。無理なんてしなくていい
それに、ほら、唯たちの方を見て
僕が言うと、空子はキッチンステージの方に顔を向けた。
や、野菜のしたごしらえはなんとかできた……!
うんうん。じゃあ唯さんは、思いっきり型にぶちこんじゃって? あとはこっちで整えるからね
大汗をかきつつ、唯はパウンドケーキ型に適当に野菜を詰め込んでいく。
千乃がそれを、自分のセンスで整えていって、ゼラチンを流し込む。
二人とも、すごいです……!
唯と千乃が作っているのは、野菜のテリーヌだった。
研究を重ねた結果、器用さを求められない下ごしらえだけならなんとかこなせる唯と、鮮やかな完成品を作れる千乃の二人に合った料理だと思ったのだ。
それでも練習時には、何度も失敗を重ねた。今この二人を見ていると、どうにも胸が熱くなる。
プロデューサー……
私……うれしくて、すごくうれしくて、ちょっと、泣いちゃいそうです
うん。でも今は、空子は、空子にできることを全力でやってきてほしい
はい! もちろんです!
空子がキッチンの方に戻っていく。
撮影スタッフも、出演者も、みんなが空子を笑顔で迎え入れてくれた。
仲良しごっこの現場じゃないんだぞ……
いまだに気に食わない様子のディレクターがブツブツ漏らすが、さすがにこの流れを止める気はないようだ。
空子は受け入れられて、求められている。これ以上文句は言わせない。
空子さん、じかんがもうあまりないです。どうしましょうか
楓ちゃん、お米はできてますか?
はい。おこめはもう炊けています
じゃあ大丈夫です! 信じて、一緒についてきてください!
……はいっ
空子はにっこりと笑っていた。
こちらまで幸せが伝わるような、大丈夫、と安心できる笑顔だった。
残り時間が少ない中で空子たちが作ったのは――おにぎりだった。
様々な具材を詰めて、楓と共にたくさんのおにぎりをにぎっていく。ちょっとびっくりするくらい大量に、息を切らして、休む間もなく。
空子チーム、できました!
唯チームも、完成しました!
出来上がった野菜のテリーヌは見た目が鮮やかな芸術品のようで、はじめてきちんとした料理を完成させた二人に、わあっと拍手が巻き起こる。
唯はそれを、空子のところへ持っていく。
空子、遅くなってごめん。やっと、追いつけたから
もうくたくたなんだからね? 空子さん、責任取ってね?
唯ちゃん、千乃ちゃん……! うん、うん……っ
ああもう、勝負とかどうでもいいですよね……。ボク、この二人の成長に感動しちゃいました!
司会者が瞳を潤ませて、審査員も一斉にうんうんとうなずく。
レギュラー審査員の著名な料理研究家の女性なんか、試食前から、ハンカチでしきりと目頭を押さえていた。
まさかアイドルのお料理コーナーで、こんなにも胸が満たされる料理を食べれるなんて……グスン
そんな感動的な試食タイムで、対決の空気は掻き消え、わーわー大騒ぎのまま収録が終わった。
テレビ的には、唯と千乃の努力が、視聴者を感動の渦に巻き込むのだろう。
でも、必要なのはそれだけじゃない。
みなさん、迷惑をかけてごめんなさい! そして、いつもありがとうございます!
今日はみなさんに食べてもらいたくて、おにぎりをたくさん作りました!
お茶のじゅんびもばっちりです
わっと歓声を上げたスタジオのスタッフに、お盆を持った空子がおにぎりを配る。みんな笑顔だ。空子も笑顔だ。
そして。
ディレクターさんも、いつもお疲れさまです! 良かったらおひとつどうぞ!
……ふん
不機嫌な顔のままだったが、空子の持つお盆から、おにぎりを取ってくれた。
……一口食べて。
まあ、なかなか、うまいんじゃないかな……
わぁ! ありがとうございますっ!
微妙に褒めはするものの、最後の意地か、ディレクターはむっすりとしたままだ。
けれど、おにぎりを食べ終わってすぐにもう一つお盆から取ったから、思わず空子と目を合わせて、笑ってしまった。
* * *
そして後日。
今日も事務所のキッチンに、食欲をそそる良い匂いが漂う。
ああー唯ちゃん! そんな、そんなにダイナミックにフライパンを振ったらチャーハンがー!
ハイッ!
わわわかえちゃんナイスフォロー!? 空飛んだチャーハンお皿で受け止めるってスゴ技だね!?
ふう……。唯さん、そんなにちからを入れなくてもだいじょうぶです。もうすこし、ちからを抜いてやってみましょう
う、うん。ありがとう楓。やってみるね
わぁ~千乃さんこのちっちゃいリボンかわええなあ~。これなに?
えへへ。かわいいでしょ。紅ショウガで作ったんだよ?
おおう……紅ショウガを結ぶとは何という手先の器用さ……
今日は、事務所にいるみんなに唯と千乃が昼ごはんを振舞ってくれるそうなのだが。
そうそういきなり何もかもが上達したりはしない。
キッチンで奮闘する唯と千乃のそばで、色んな人が入れ替わり立ち替わり悲鳴を上げる。相変わらずだ。
唯ちゃんと千乃ちゃんのお料理、楽しみです
僕の隣の椅子に座って、空子がうれしそうに笑っている。
まず空子に食べさせたいので、空子は何もするなと唯と千乃に先に言われてしまったのだ。
最近の収録、見に行けなくてごめんな。何か困ったことはない?
いいえ、困ったことなんてなんにもないです! スタッフさんたちもみんないい人ばかりで、お料理もとっても楽しいです!
そっか。空子が楽しく料理できてるんだったら何よりだ
でも……ディレクターさんは、まだ、笑ってくれたことがないです
そうか……
でもでもプロデューサー! 次の収録の日、ディレクターさんのお誕生日だって司会者さんが教えてくれました!
だから、スタジオのみんなで、サプライズでお祝いしようって計画してるんです
私と楓ちゃんと唯ちゃんと千乃ちゃんで、こっそりケーキ作って!
そ、そうか。唯と千乃も参加するんだ……
空子と楓はともかく、唯と千乃が参加するケーキ。唯の破壊神っぷりと千乃の芸術センスが爆発しないことを祈ろう。
でも、そんなサプライズをされたら、もしかしたらあのディレクターも、苦笑いくらいはしてくれるかもしれない。
何より。
上手くいくといいね
はいっ! がんばります!
この空子の笑顔には、あのディレクターだって、いつかは笑わずにはいられないはず。
心からの笑顔をみんなに届けられる、空子はそういうアイドルだから。