アリサ

それじゃ貴女達、ずっと一緒にいたわけじゃないのね

ミューリス

うん。ヒーチちゃんと会えたのはつい今朝なの。お兄ちゃんとは、まだ……

ミューリス

けど、お兄ちゃんはすっごく強いから……きっと今でも、どこかで生きてるって、信じてる

アリサ

…………

ミューリス

ねぇ、魔王軍に赤いドラゴンさんいるよね? また会えないかな?

アリサ

……あの人は、ちょっと……今は、遠くに行ってるから……

ミューリスとの些細な会話にも、心が締め付けられる。これ以上現実に向き合うのが嫌で、俺はキッチンへ立ち、食器を洗い始めた。

拭き終えた皿を戸棚にしまって、ふと時計を見る。もう六時を回っていた。

アリサ

糞野郎と海に行ったのが、確か十時頃……あれから一度も連絡は来てない……

アリサ

こりゃもしかして、本当に死んだか? そうなりゃ万々歳なんだが……

思わず笑みがこぼれてくる。しかし……笑っていられたのはほんの僅か。狙ったかのように、俺のXperiaが着信を知らせてきた。

着信名は……やはり糞野郎。しかし無視するわけにもいかず、仕方なく俺は電話に出る。

アリサ

はい

魔王

はぁ……はぁ……アリサ~、やっと終わったぞ~、どこにいる~

アリサ

……ちっ、死んでくれりゃ良かったのによ

アリサ

家に帰ってます

魔王

やっぱ一人はキツかったわ……まぁ、おかげであそこ一帯すっきりできたけどよ

アリサ

王国軍は撃退できたんですか?

魔王

ふふ……それ以上だよ

アリサ

……それ以上、って……まさか……

Xperiaから聞こえてきた自慢げな声に、俺は嫌な予感を覚え……それは的中する。

魔王

なんかよ、逃げる王国軍を追いかけた先に砦みたいな都市があってよー。そこで王国軍の残党が集まって反撃の態勢を整えてたんだわ。

魔王

しかもそこに勇者もいたんだぜ! 昨日の報告には全然上がってなかったのに、たくっアイツらふざけるなって話だよ!

アリサ

ま、魔王様、それで?

魔王

もちろん隅から隅まで滅ぼしてやったさ! オレ様のご自慢の超魔術で都市ごと消し炭にしたぜ!

魔王

勇者なんかよ、生意気にも一対一の決闘だ何だって抜かしやがったからさ! ボコボコにした後に聖剣奪って、身長半分にしてやったよ!

アリサ

……嘘だろ……

体中の熱が、引き潮のように冷めていく。目の前がやんわりと暗くなった。めまいがする。

まさか、たった一人で……? いくら魔王ともいえど、たった一人で勇者を屠ったというのか。

魔王

大したことは無かったぜ! 都市がでっけぇ割には、兵士もそんないなかったしな! これもアリサが前に頑張ってくれたおかげだな♪

魔王

オレだってやる時はやるんだよ! まー詳しい話は会ったら聞かせてやるからさ! とりあえず魔王城戻ってこいよ! 今日は朝まで飲み明かそうぜ!

アリサ

……分かり、ました……

そう返事するのがやっとだった。電話を切った俺は、おぼつかない足取りでリビングに戻る。

エルドラゴ

うかつだった……アイツだって、最低限魔王としての矜持はあったんだ

後悔がふつふつと湧き上がってくる。海辺を一掃してしまえば、奴もそれ以上は深入りしないだろう。

ましてや城砦都市のような面倒極まりない場所など相手にするわけあるまい……そう考えていたのに。

ミューリス

ど、どうしたのアリサちゃん! 顔真っ青だよ!

アリサ

……なんでもないから、心配しないで

アリサ

それよりアタシ、少し出かけてくるから。二人は待ってて

アリサ

シャワーとトイレの使い方は教えたでしょ? 眠くなったらベッドで寝ていいから、絶対外には出ないで

アリサ

それと、なんだかよく分からないものには触らないで。とにかく大人しくしてて

ミューリス

うん、分かった……

やや高圧的に言い聞かせると、
ミューリスは弱々しくも頷く。

アリサ

ヒーチもいい?

ヒーチ

……火事とか地震とかになったら、迷わず逃げるよ。それはいいでしょ?

念を押すように尋ねてくる。
ここで首を振るわけにはいかない。

アリサ

……まぁ、そうなったら仕方ないけど……魔界ではぐれたりなんかしたら、貴女達はどうなるか分からないわよ。それだけは気を付けて

ヒーチ

分かってる。それじゃ、気を付けて

アリサ

えぇ。それじゃ……

ミューリス

い、行ってらっしゃい

俺のことがよほど心配なのか、
二人はご丁寧に玄関まで見送ってくれる。

彼女達を残すことに一抹の不安を覚えるも、それ以上に計画を潰されたショックで、二人の心配などしていられなかった。

アリサ

勇者を倒したのが、本当だとしたら……これから一体、どうすればいいんだ……

魔王城に着いてすぐ、俺は糞野郎に連れ出された。奴が向かった先は……

ぃぃぃそぅれでぇはぁ、ん魔ぁ王様のぅ人間界ぃ制圧ぅをお祝いぃしてぇ~、カンパスいかせて頂きやぁぁぁす!

あっそーれ! カンパスカンパスカンパス!!

魔王

カンパスカンパスカンパス! おっけぇぇぇぇ!!!

服だけは小奇麗なチャラい男達に混ざり、
糞野郎はでたらめなリズムでジムビームの入ったグラスを掲げる。

一部がこぼれて俺の服にかかり、のっけから嫌な気分になった。糞野郎の自慢話を聞き流し、黙ってジュースを飲む。

魔王

勇者の野郎よぉ、いかにも救世主だーって感じの派手派手な格好してるくせに、戦ってみたら糞弱ぇでやんの! もー楽勝だったわホント!

へー、そんなに弱いならオレでも倒せっかなぁ!

アリサ

……なんだって酒も飲めねぇのに、サパークラブに連れてこられなきゃならねぇんだよ……

魔王

どーしたどーしたアリサちゃぁん! お前も飲むかぁい!?

アリサ

結構です

差し出されたグラスに首を振る。飲めるものなら飲みたいが、こいつの金でなど飲みたくないし、こいつの前で酔っぱらいたくもない。

こいつのことだ、どうせキャバクラで女達に金をばらまくだろうと思っていたが……
悪い意味で裏切られた。どうやら俺一筋なのは確からしい。

つぅかぁ、一人で人間界ほとんど滅ぼすとかぁ、魔王様マジすごくないっすかぁ?

魔王

ったりめーだろんなんよー! 俺は魔王だぞ! その気になりゃ人間どもなんざちょちょいのちょいだわ!

魔王

あぁでもな、俺も完璧に一人で滅ぼしたわけじゃないんだわ。何よりの立役者は……

アリサ

なっ……!

隣に座っていた俺を、糞野郎がいきなり抱え上げる。

魔王

このアリサちゃん! なんとたった一人で、王国軍の八割を壊滅させたのだ! みんな拍手ーーー!!

わざとらしい歓声がホスト(……でいいのか?)達から上がる。

呑めや歌えのどんちゃん騒ぎになるが、俺は当然、ついていく気にはなれないし、ついていく気も無い。

アリサ

いくらこいつでも、たった一人で勇者を倒せるとは思えない……けど……

魔王

飲め飲め飲めええええぇぇぇぇ!! 今日は宴だぁぁぁぁ!!

アリサ

ここまでバカ騒ぎしているってのに、嘘をついているとも思えない……

アリサ

計画を一から立て直さねぇと……畜生

拳を振り上げて大騒ぎする奴とは対照的に、俺の胸中では不安と焦燥感が渦を巻いていた。

どうしたんですかお連れさーん! 勇者が死んだってのに元気がないですねぇー!

魔王

そうだよアリサー! ジュースでもいいからいっぱい飲んで楽しめよー!

アリサ

結構です

俺は機械的に糞野郎の言葉を断る。いくぶんか心は落ち着いてきたものの、到底奴に気を許す気にはなれない。

アリサ

こいつと酒盛りするくらいなら、はにわとでも飲んだ方がマシだ……

もー! お客さんいい加減にして下さいよー!

アリサ

いるのかはにわ……って、あれは……

奥のテーブルで突っ伏している人影を見て、
俺は唖然とする。あの髪は間違いなく――

魔王

お、ちょ、どこ行くんだよ

ゴミ野郎が止めるのも聞かず、俺はソファから立ち上がり、奥のテーブルへと駆け寄る。

困り果てたはにわ達に囲まれて、芋虫のようにうごめいているのは――

ソフィーヤ

うえぇぇぇん……もっといい男呼んできなさいよぉ……こんなんじゃ指名取れないわよぉ……

だ、だからうちは、ホストクラブじゃなくてサパークラブですって……

アリサ

ソフィーヤ……お前、こんなところで何してんだよ……

普段とは大違いの、ぐずぐずに緩みきった雰囲気。泥酔したソフィーヤは、顔を上げてへらへらと笑う。

そしてなぜだか、彼女は全身に細かい傷跡がいくつも付いていた。これほど酔っているということは、来る途中で転んでしまったのだろう。

ソフィーヤ

あらぁ~エルドラゴぉ~。どうしたのこんなところでぇ~

アリサ

糞に連れてこられたんだよ……つぅか、むしろこっちの台詞だ。なんだってこんなところにいんだ

ソフィーヤ

何よぉ~、休みの日なんだからなにやったって私の勝手でしょぉ~!

アリサ

いや、そりゃそうだけどよ……あんまり飲み過ぎるなって、紅音とアイヴィアスが昨日言ってただろ

ソフィーヤ

んなん知ってるわよぉ~! 今朝だってLINE送って来たしぃ~!

紅音

ソフィーヤ、アタシ達だけでも偵察に行こうぜ

アイヴィアス

エルドラゴもいない以上、休みだからと腑抜けているわけにもいくまい

アリサ

……アイツら、責任感強ぇな……まぁ就任したばっかだしな……

アリサ

それで、お前はなんて返事したんだよ?

ソフィーヤ

二日酔いだったし~、頭痛いって言ってパスしたわよぉ~! あの二人だけで充分でしょぉ~!

悪びれもせずへらへらと笑うソフィーヤ。
果実を熟成させすぎて腐らせてしまったような、甘ったるい酒臭さが漂ってくる。

そして……よく見ると彼女の全身に、細かい傷跡がいくつもついていた。

服は所々が破けたりほつれたりしている。どこかで転んでしまったのだろうか。

お知り合いですか?

アリサ

え、えぇ、一応……

なんとかしてくれませんかねこの方。さっきから店内に居座っては、無茶な注文ばっかりしてくるんですよ

ソフィーヤ

何よぉ~! ドンペリタワー頼んでるだけでしょー! さっさと持ってきなさいよー!

だからウチはそういうサービスやってませんって!

あのー、この人四天王ですよね? お知り合いなら貴女も治癒魔法とかで目覚まさせてやれませんか?

アリサ

い、いや、アタシは無理です……けど……

俺は元の席で待つ糞野郎に視線を向ける。

魔王

…………

アリサ

うん、言いたいこと分かるわ。「んなBBAほっといて戻ってこいって顔してるわ

とはいえ、お店に迷惑かけている同僚を放っておくわけにはいかない。
俺は糞野郎を無理矢理引っ張っていく。

アリサ

魔王様なら治癒魔法使えるでしょう。酔いを醒まさせてやって下さいよ

魔王

はー? なんでオレがこんな飲んだくれの為に魔法使ってやらなきゃならないんだよ。自分で唱えさせろよ

アリサ

こんなへべれけじゃ無理ですよ。いいから早く――

魔王

やだっつってんだろ! そんなBBAほっといて早く戻ろうぜ!

ソフィーヤ

はぁ!? 誰がBBAよ!!!

ソフィーヤは突然立ち上がり、
店内に響くような怒鳴り声をあげた。

アリサ

ちょ、おま……!

お、お客さん、落ち着いて下さい!

ソフィーヤ

うっさい! 縄文時代に帰れ!

ソフィーヤ

大体アンタ生意気なのよ!! まだ二十歳かそこらのくせして!! 私はアンタの二千倍生きてるってのに、どうしてくっだらない雑用に駆り出されなくちゃならないのよ!!

酔いが回っているせいなのか、ソフィーヤは烈火の勢いで今までの鬱憤をぶちまける。
俺やホスト達が宥めるが、一切効果がない。

魔王

あぁ!? お前魔王に向かってなんだその言い方は!

ソフィーヤ

なぁーにが魔王よ!! たまったま闇の力を持って生まれてきただけじゃない!! アンタ自身はぜんっぜん偉くないわよ!!

ソフィーヤ

魔力だってたまたま!! 権力だってたまたま!! ほんっとーの意味でアンタが持ってるものなんてなぁぁぁんにもないのよ!! こんなん紅音もアイヴィアスもエルドラゴもみぃぃぃぃんな思ってるわよ!!

アリサ

そ、ソフィーヤ! 止めろお前!

ソフィーヤ

こっちは四万年も頑張って婚期も捨てて人生削ってよーやくここまで来たってのに、どーしてぽっと出のアンタなんかにへこへこしなくちゃなんないのよ!!! ふざけんのもいい加減にしなさいよ!!!

ソフィーヤ

アンタにすり寄ってくる女だってねぇ、皆アンタの後ろの金と権力が欲しくてやってんのよ!!! そんな女いっくら抱いたって、風俗行ってんのと同じよ!!! 所詮アンタなんか素人童貞よ!!!

魔王

て、テメェ、それ以上馬鹿にしたら――

ソフィーヤ

うるっさい黙れこのゴミカスゲロクズエロ餓鬼素人童貞糞無能魔王がッ!!!! 家帰ってセンズリでもこいてろッ!!!!

割れんばかりの声量で、ソフィーヤは口にするのも躊躇われる罵倒を吐き出した。

店内が凍り付く。俺も、糞野郎も、他の客も、ホスト達も、誰もかもが固まったまま。

唯一ソフィーヤは、深呼吸を三回を繰り返した後、見違えたように晴れやかな顔で、

ソフィーヤ

……ぁあ~スッキリした♪ これでまた頑張れそう♪

ソフィーヤ

ほらほら、突っ立ってないでアンタも飲みなさいよ♪

アリサ

……知らねぇぞ、俺……

ソフィーヤ

えぇ~♪ 何がよぉ~♪

たった今記憶喪失しましたと言わんばかりに、彼女はケラケラと笑う。出来れば俺も記憶を失いたかった。

魔王

……ざっけんなこの行き遅れ糞BBAがぁぁぁぁぁぁぁあああああッ!!!!

今度は奴のターンが始まる。もうどうにでもなれ……と半ば諦めていたのだが。

魔王

お前なんか首だ!! 行き遅れは勝手にのたれ死ね!!

ソフィーヤ

えぇ~なんでですかぁ~♪ 私O型ですよぉ~?

魔王

関係ねーよんなん!! お前だけじゃねぇ、紅音もアイヴィアスも、アリサ以外は全員首だッ!! 魔王軍は解散だ解散!!

怒った勢いで、奴はとんでもないことを言い出した。全員リストラなんざ、到底看過できるものではない。

しかしこちらも、まるで聞き入れる雰囲気でなく。

アリサ

ちょ、魔王様、それはマズいですって!

魔王

何がマズいんだよ! 王国はこのオレがほとんど壊滅させたんだ、もうこいつらだっていらねーじゃねーか!

魔王

それにこいつはこのオレ様にたてついた! 不敬罪だこんなん! テメェは本物のばあさんになるまで豚箱入ってろ!

アリサ

ま、魔王様、考え直して下さい!! まだ帝国が残ってますし、あそこの人間界を滅ぼしたって――

ソフィーヤに詰め寄る糞の前に、俺は割り込む。

殴りかかりそうな勢いの奴を全力で止め、狼狽えているホスト達にも協力を頼もうとした時。

ソフィーヤ

うっ、うぷっ!!

アリサ

!!

突如、ソフィーヤの首を絞められたようなうめき声。まさか――

上を見上げると、真っ青な顔をした彼女は口を開き、今まさに俺の頭に――

お゛
ほ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛
ろ゛

ぎやああああああああああああああああ!!!!!

追記 
注目ストーリー特集 週刊フキダシ-7月18日号-に本作品がピックアップされました。
こんな場面で言うのもなんですが、応援ありがとうございます。

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