手入れのされていないこの砦には不釣合いなほど綺麗な門。これが魔界と人間界をつなぐゲートだ。

将軍クラスの実力者ならテレポートで直接移動することもできるが、俺も含めた魔獣軍のほとんどは魔法を使えないため、この門を使って二つの世界を行き来している。

ジオット

本来ならここ、人間に見付からないように隠しとかなきゃいけないはずですよね。いいんですかこんなおおっぴらに建てといて

アリサ

しゃあねぇだろ、俺達は図体もでかい分門もでかくしなくちゃいけねぇんだから

グラド

そんな心配しなくても、ここは鉄壁の要塞だよ。人間なんか一人も入っちゃ来れねぇ

ジオット

……入ってきただろ、三人も……

ジオットの小言がちくちくと刺さる。
なんだか今日は、こいつはやたらと心配性になっているような気がする。

ミューリス

グラドさん、本当にありがとう! こんなに一杯お菓子もくれて!

グラド

はっはっは、いいってことよ! アリサとも仲良くするんだぞ!

アリサ

…………

グラド

……い、いや、ここは調子合わせて下さいよ……

ジオット

くれぐれも、口を滑らせるなよ。人間だって分かったら、お前等すぐに捕まるぞ

ヒーチ

うん、分かってる

ミューリス

お口チャックだね!

しっかりと頷く二人。俺は門の鍵を開けて、扉に手をかける。

扉が開いていくに連れて、隙間から青白い光がこぼれだし、それらは目の前で瞬く間に広がっていく。

ジオット

エルドラゴさん、気を付けて下さいね。糞魔王や魔界の人達にバレたら大変ですよ

アリサ

分かってるっての

ミューリス

うう……こうしてみると、ちょっと怖いかも……

ミューリス

アリサちゃん、手繋いで欲しいな……

ミューリスはおずおずと俺に小さな右手を差し出す。一瞬躊躇ったが……仕方なく俺も左手を差し出した。

きゅううう。

少し痛いくらいの力で、俺の手が握り締められる。思っていたより力が強かった。

アリサ

行くぞ……い、行くわよ。しっかりついてきなさい

ミューリス

うん

慣れない女言葉を吐いてから、俺は足を踏み出す。開かれた門の中に入ると、全身が青白い光に包まれていった。

光に包まれてから、数秒も経たずにワープは完了する。魔王城から少し離れた、瘴気の漂う樹海、通称『死の森』へと降り立った。

すぐ後ろには、通って来たばかりのゲート。俺達に遅れてヒーチが現れた後に、門は一瞬で消え去る。

じめじめとしたさび付いた空気。鼻にまとわりつく、すえたような臭い。

耳を澄ますと、異形の鳴き声がどこかから聞こえてくる。

ミューリス

うう……こ、こんな場所だったんだ、魔界って……

アリサ

まぁね

ミューリス

……やっぱり、帰りたい、かも……うぅ……

ヒーチ

我慢してミューリス。戦争に巻き込まれるよりはマシでしょ?

不安げな顔のミューリスを、やや固い表情のヒーチが励ます。二人とも、陰鬱な周囲の雰囲気に、早くも来たことを後悔しているようだった。

無論、俺もこんな場所に長居したくはない。なので……

アリサ

すみません、タクシー1台、死の森までお願いします

ミューリス

え……アリサちゃん、誰と話してるの?

アリサ

気にしないで。すぐ来るからもう少しだけ待ってて

携帯をしまって数分。すぐにタクシーが俺達の元までやってくる。

毎度ありがとうございます、魔界タクシーです!

アリサ

さ、乗って

ミューリス

う、うん……

どちらまでお送りしますか?

アリサ

錦糸町までお願い

了解しましたー!

ミューリス

何この車……馬もいないのに一人で動いてる!

ヒーチ

静かにしよう。怪しまれちゃうから……

タクシーに乗っただけで大騒ぎするミューリス。ヒーチが宥めてくれるものの、彼女は興味津々といった態度で車内を見渡している。

アリサ

……やっぱ連れてこなきゃよかった……大丈夫かほんとに……

東京24区の新参、東京湾の埋め立てにより新しくできた特別区の一角。それが魔王城の立つ魔王区だ。

元々は江東区と大田区が対立している中央防波堤の帰属問題の解決案として、
どちらでもない新設区として立ち上げられ、そこに政策により魔王城が移転されたことでできた。


その後は魔王省の推進の元埋め立てを続け、現在では24区中、足立区に続く第四位の面積を誇っている。


陰気臭い雰囲気はこの区だけ。検問を通り抜け、東京ゲートブリッジに差し掛かると――

ミューリス

わあああああああ!! なにこれーーーーー!!!

アリサ

う、うるさい! 静かにしなさい!

東京湾の向こうに広がる大都市に、ミューリスは悲鳴とも言えるような大声をあげた。俺とヒーチがすかさず彼女の口を押さえる。

お嬢さん、東京は初めてですか?

アリサ

う、うん! 親戚の子が観光に来てね! あんまり気にしないで!

そうですかそうですか、だったらやっぱり、スカイツリーは外せないでしょう

ここからならビックサイトにも近いですね。今は召喚獣展やってますよ

あ、キッザニアなんかもどうですか? 後は少し足を伸ばせば――

アリサ

い、いいからいいから! 錦糸町までまっすぐ行って!

運転手の口から発せられる魅力的な地名に、ミューリスが加速的に目を輝かせていく。爆発する前になんとか自宅に連れて行きたい。

江東区を抜けて墨田区、そして錦糸町に入り、アルカキットの前で俺達はタクシーを降りた。

ミューリスはもう下を向いたら死んでしまうとばかりに周りのビル群を見渡している。

ミューリス

あわわ……ほえぇぇ……うふぁおう……うひぃ……

アリサ

止めなさいその声。ヤバいお薬キメてるようにしか聞こえないから

ヒーチ

……もう、あんまり聞いてないよ。叫び出す前に、早く家に連れて行った方がいいんじゃないかな

アリサ

そうね……ヒーチ、反対側繋いで

俺とヒーチでミューリスを挟むように手を繋ぎ、早歩きで錦糸町の街中を歩いていく。それにしても……

アリサ

貴女は全然驚かないのね

ヒーチ

……こう見えて、結構年取ってるから。あんまりはしゃげるような年代じゃないの

アリサ

そう……まぁ、エルフだものね

ミューリス

すごいすごいー! すごいすごいすごいー!!

アリサ

落ち着きなさいったら!

ヒーチ

ミューリス、しー

はしゃぎも動揺もせず、ただ淡々と。ヒーチの様子に俺は疑問を抱かず、というかミューリスに気を取られて疑う余裕もなかった。

やっとのことで自分のマンションに連れて帰ってきた俺。エレベーターで上がり、自分の部屋に二人を連れて行く。

あら? どちらさま?

アリサ

やべ……お隣さんのご夫婦……

不思議そうな表情を見て、俺は冷や汗をかく。今までずっと目を盗んで出入りしてきたのに。

夫婦とは世間話をする程度の仲だが、一人暮らしだということはとうに知られている。

こんな幼い女の子の、しかも合い鍵を持たされているような関係の知り合いがいる風には見られていないだろう。

階数間違えてないかい? そこの部屋は……

アリサ

あの、アタシ、エルドラゴの妹です! 兄がしばらく家を空けるので、荷物をまとめに……

い、妹さん!? それは嘘だろう!? エルドラゴさんは竜だぞ!?

アリサ

しまった……!

考え無しに発した言葉が、ますます俺の首を絞める。せめて従姉妹か姪にしておけば……!

弟さんはいるって聞いたけど、妹さんは……それに他の子達は――

アリサ

ひ、人の家族構成に口出さないで!

訝しむ夫婦に声を荒げ、俺はさっさと扉を開ける。ミューリスとヒーチを中へ引っ張り、二人にこれ以上を口を出される前に閉めた。

ぴったりと扉に耳をくっつける。

妹さんって、本当なのかしら……とてもエルドラゴさんと血が繋がってるようには見えないわ……

ホムンクルスとかじゃないか? ほらエルドラゴさん四天王だし、魔法で妹を作ったんだろう

あぁ、そうかもね。エルドラゴさん、硬派な見た目してロリコンだったのね

しかも三人も……まぁ無闇に詮索するのも迷惑だし、もう行こう

アリサ

……誰がロリコンだよ……ちくしょう……

あらぬ疑いをかけられ、俺は落ち込む。下手に騒がれるよりマシだと考え、俺は気を取り直した。

玄関で靴を脱がせ、二人をリビングに連れて行く。

アリサ

ここがアタシの家よ。ひとまずここでゆっくりしてて

ミューリス

す……すごい……魔界って、すっごくすごいんだね……

アリサ

凄いしか言ってねぇじゃねぇか……まぁ、無理もねぇけどよ

アリサ

色々知りたいこともあるでしょうけど、とりあえず……

部屋中に響き渡る腹の音。発信源はミューリス。彼女は頬を染める。

アリサ

……とりあえず、ご飯にしましょうか。そこに座って

俺は二人をテーブルに着かせ、
キッチンへと向かった。

あり合わせの食材でチキンライスもどきをつくり、炒めた溶き卵を被せてオムライスにする。料理をしたのは久しぶりだった。

アリサ

Amazonでまとめ買いしたラ王を消化したかったんだが……こいつらは箸使えねぇだろうしな……

テーブルに持っていくと、またもや大きな腹の音。

ミューリス

な、なにこれ……いい匂い……

アリサ

はい、スプーン。やけどしないでね

俺が手渡した次の瞬間、ミューリスはいただきますも言わずに、オムライスをかきこみ始めた。

端から切り崩しては、小さな口へ詰め込むように食べていく。頬がどんどん膨らみ、ハムスターのようになっていく。

ミューリス

はふ、はふはふ、んぐ……!

アリサ

さっきもドーナツ食べたっつぅのに……そんなに腹減ってたんか……

魔界の子供には見られない、異様ともいえる食いつきに、俺は考えさせられる。ヒーチですら、一心不乱にスプーンを動かしていた。

こんにちはー! 鑑識マークの宅配便でーす!

アリサ

ん、なんだ……

俺もオムライスを食べようとしたところに、インターフォンが響く。

何を注文したか覚えていない。玄関から廊下に出て荷物を受け取ると、伝票にはプロティンの文字が。

アリサ

この前セールだった奴か……

こちらに判子……あれ、えーっと……ここ、エルドラゴさんの家で合ってますよね?

アリサ

あ、合ってます合ってます!

俺の姿に不思議がる配達員。余計なことを聞かれる前にさっさと判子を押し、彼女を締め出した。

リビングまで持っていったものの……この身体では、飲んだところで焼け石に水だ。

そもそもあの時は安かったから衝動買いしてしまっただけで、まだ封すら切っていない分が大量にある。

アリサ

いいや、捨てちまえ……どうせ経費で買った奴だ

俺は取り出したプロティンを、そのままゴミ箱へ放り込んだ。伝票も丸めてぶちこみ、ダンボールを片付け、テーブルに戻る。

ヒーチ

………………

アリサ

な、なによ

ヒーチ

ううん、何も……

呆れるような表情のヒーチ。文化を知らなくても、俺がとんでもなくもったいないことをしているのはなんとなく察しているようだ。

一方ミューリスは俺の様子など気にもかけず、オムライスを食べ――

アリサ

……って、もうねぇじゃねぇか! 早すぎだろ食うの!

ミューリス

え……えっと……アリサちゃん……

物欲しそうな目で、彼女は俺のオムライスに熱い視線を送っている。少し迷ったが、

アリサ

……いいよ。あげるわよ

ミューリス

ありがとー! いただきまーす!

アリサ

……言うのが遅いっての……

流石に二杯目ともなるとお腹が落ち着いたのか、今度は少しずつよく噛んで食べていく。

ミューリス

ほんとに美味しい……ありがとね、アリサちゃん

アリサ

別にいいわよ。これくらい魔界じゃ普通だから

ミューリス

そうなんだ……さっきのドーナツもそうだし、魔界の食べ物って、とっても美味しいんだね

ミューリス

……お兄ちゃんにも、食べさせてあげたいな……

アリサ

…………

嬉しそうにも、悲しそうにも見えるミューリスの顔に、俺は心が痛む。

ミューリス

ねぇ、アリサちゃんも魔王軍に入ってるの?

アリサ

い、一応、そうだけど……

ミューリス

戦争は止められないの? 人間と魔族は、ぜったい分かり合えないの?

アリサ

……分かり合えないことはないわよ。実際今までは一応共存できてたんだし

アリサ

だけど……一度戦争が始まったら、もう無理よ。少なくとも、魔王か勇者のどちらかが死ぬまでは絶対に終わらない

ミューリス

それならなんで、魔界の人たちはわたしたちの世界に攻め込んできたの? なんにも悪いことしてないし、食べ物なんかも魔界のほうがずっといいのに……

アリサ

それは……ごめんなさい。私の口からは、裂けても言えないわ

ミューリス

そんな……どうして……うぅ……

ミューリスのスプーンが止まる。魔界に来てから初めて、彼女は泣き顔を見せた。

涙が彼女の頬を伝うごとに、
胸中で罪悪感が募っていく。

身勝手な思いだとは分かっているのに、後ろめたさが収まらないのは、
やはりこの身が少女だからなのだろうか。

アリサ

あの糞野郎を始末できたら……あの世界の侵略は、止めよう

誰にも相談せず、誰の許可も取らずに、
俺はそう決めてしまった。

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