黒い塊は、普通の光の塊と、なにかが違っていた。

 普通の光の塊は、淡く輝き、丸みを帯びている。
 それらの丸みと比較すると、どこか歪さが感じられて、輝きも薄暗いように想える。

(……本当に、輝いているのかしら)

 そう疑ってしまうくらい、共通点である淡い輝きですら……グリ達の光なのか、それそのものの光なのか。
 不安定な姿ともども、判別しにくい。
 初めて見るはずの、歪な塊。
 ――それは、だが、どこかで見た覚えがあったようにも想える。

(この、胸がざわつく感触は……)

 その不思議な感触は、けれど、心地よいものではない。
 想い出し、見当をつけ、そして……納得する。
 それは、出会いたくもなく、だが、いつも闇のどこかにいる。
 ……あの存在に、似ているのだ。

(ナニカと似た存在が、輝きを、発している?)

 ナニカ、と勝手に私とグリが呼ぶ、不気味にうごめく者達。
 それは、闇の中から私達の光を見つめる、闇に沈む黒い瞳。
 どこか虚ろで、はっきりしない、不気味な存在達のことだ。

(まさか……これが)

 これが、この黒い塊が、ナニカの始まり……なのだろうか。
 ナニカが生まれる瞬間など、もちろん、私は見たことがない。
 グリももちろんないだろうし、隣の彼女の表情から、彼女も同じだろうと考えられた。
 だから、初めてでも、わからない。
 でも――私達は、立ち会っているのかもしれない。
 光以外の存在が、ナニカ形を得ようとするものが、生まれる瞬間に。

(どちらにしろ、警戒を解く必要はない)

 グリを握る手に力を込めると、合わせて、肩と身体が硬くなっていくのを感じる。
 ……さっきから、彼女の件と合わせ、集中しっぱなしだ。
 休みたかったが、そうもいかないのが、難しい。

『油断するなよぉ、セリン。少しずつだが、動いているぜぇ』

 グリもまた、気をぬきかけた私に、声をかけてくれる。
 あまりにも、こちらの呼吸を読んでくれる行為に、安堵の息を一つ。

……そうね

 少なくとも、身体の力は楽になる。手元には、そうして気を使ってくれる存在が、いてくれるからだ。

 視線の先の塊は、歪んだ形をさらに震わせ、薄い体毛のように伸びた体表を変化させる。
 伸び縮みするそれらの体毛と、楕円形の身体は、膨張と収縮を繰り返す。
 不快感を感じさせる、不可解な動き。
 だけれど、それ以上の動きをすることはない。そうした動きは、かろうじて光の塊と重なって見える。
 観察していると、どうやらそれはゆっくりと動き、なんらかの形を取ろうとしているようだ。
 光の塊に、似た動き……このまま、どうなるのか。

(光と、同じであるならば。その、先には)

 緊張する私の足は、少し引き気味になる。
 なのに。

セリン!
光を、光を照らしてあげましょう!

 眼の前に集中し、意識していなかった耳に、予想しない声がかかる。
 ――聞こえてきた声は、前に進む。
 見れば、彼女は足を踏み出して、黒い塊に近づこうとしていた。

光を、照らす?

 呟き返す前に、彼女はすでに黒い塊へ近づいていた。
 手元のマッチの光を差し出し、その脈動する黒い塊へ、その光を指し渡す。
 淡く光る、白い灯り。
 闇を払うその白さが、黒い塊の全身を覆って、陰影をさらに浮き上がらせる。

(……っ)

 彼女の言葉に、惹かれたわけじゃなかった。
 だが、このまま後ろに下がっても、黒い塊をよく見ることはできない。
 それが安全なのか危険なのか、判断もできなくなってしまうから。

 引いた足を前へ踏みだし、より近くで、形になりつつある姿を見ると。

(これは……!?)

 明らかになった、黒い塊の形。
 それは、先ほど形になれなかった光の塊と比べ、やはり異質な雰囲気を発している。
 薄暗い光と、周囲の闇。溶け合うこともなければ、しかし、境目が明確なわけでもない。
 闇と相反するというより、その払うべき闇に似た、薄気味の悪さを感じさせる。

(……このまま、で、いいのかしら)

 私がためらった、光を照(あ)てる行為。
 自分達の道標を、あの奇妙な物体に当てて良いものか……躊躇していたその行為を、あっさりと実施してしまった彼女。
 その、行動のせいなのか。

(光の塊に……なっているわ)

 次第に、淡い光――グリなどの灯す、闇を払う光――に近いものを、その塊は次第に発し始める。

(――じゃあ、ナニカでは、ない?)

 ナニカであれば、光の照射で活動を止めるか、逃げ出してしまうものがほとんどだった。
 グリが強く輝けば、その身を焼かれてしまうものもいる。
 人に似たナニカ、動物に似たナニカ、アクマやカイブツに似たナニカ。
 この闇をさまよう、動き続ける、形あるナニカ。
 グリの光に照らされたそれらは、照らされた光から逃れるように、周囲の闇へとその形を溶け込ませ、消えていく。
 ――つまり、こうしてグリと彼女の光を浴びせれば、ナニカなら違う反応を見せるはずなのだ。
 だから……ナニカだと考えた私とグリは、光を照らすか迷ったのだ。
 もしナニカに成長すれば、灯す光の無駄となる。そんな行為を、するわけにはいかない。
 だから、今まではナニカを発見しても、すぐにその場を離れていた。払う無駄を考えてのことだ。

(結果的には、ナニカではなかったけれど)

 ……だが、彼女は違った。

 ためらうことなく――少なくとも、表面上は――その黒い塊に、光を与えた。
 白く輝く塊と、同じような暖かい声で。

 ――もし、彼女なら、と考えてしまう。

 眼の前の黒い塊が、あの奇妙なナニカと同じだとしても、光を照らすのかもしれない……と。

(やっぱり……わからないわ)

 それは、危険な行為だ。無駄であり、無謀でもある。
 だが彼女の雰囲気は、それが推測や妄想でしかないとしても、そうしてしまうかもしれないと想わせる。
 今も、そうだ。
 だから、そんな眼で――私とグリを、見てくる。

セリン、あの、グリさんの力貸していただいてもよろしいですか……?

 求められ、眼の前の黒い塊に眼を移す。
 収縮を繰り返す塊は、太く不気味な四肢を伸ばしながら、ある形をとろうと変形を続けている。
 おそらく、その形は……人型。
 翼が生えたり、首が長かったり、違う生物の顔がついていたりはしない。
 私と彼女に良く似た、人という形をしたものに、なろうとしているようだった。

ごめんなさい。
でも、もがいてらっしゃる方にはがんばってほしいのです……!

 必死に、また求めてくる彼女。
 ――別に、拒否をしているわけではない。
 頭の片隅で、

"危険よ"

"やめなさい"

 と、自分の違う声がする。

 でも、私は。

グリ

 手元のカンテラを掲げ、光を黒い塊へと向けながら、グリへと呼びかけていた。

『いいのかぃ? あれ、何が出てくるかわからんぜぇ』

 グリもまた、私の行動の意味を理解している。
 説明がなくとも、その身から広がる光を前方に強くし、眼の前の黒い塊をより照らそうとしてくれる。

……万が一の時は、どちらも、一緒よ

 ――平穏でも、危険でも。
 ――私達が得た結末は、いつも同じだ。

『はいよぉ~、じゃあやるかねぇ!』

 彼女の光にあわせ、私もまた、グリの光をその塊へと浴びせる。
 無意識に見てしまった彼女の顔には、こちらを見つめる大きな瞳が、嬉しそうに輝いていた。

セリン、ありがとうございます♪

……礼を言われることじゃないわ。
自分のためよ

 無邪気に明るく言われ、顔を背けながら私は答える。
 ――そう、お礼を言われるようなことではない。
 ここまで形を取り戻した黒い塊が、なんであるのか。
 もし、このまま見過ごしてしまい、いつか自分たちの危険となるのであれば……と、考えただけのこと。
 今、この場で焼き尽くしてしまう方が、結果的には無駄とならない。
 私は、そう考え、光を浴びせただけなのに。

『素直じゃねぇなぁ、あんまりヒネクレてると相手に嫌がられるぜぇ?』

 なぜか、それを理解しているはずのグリがそう言ってくる。
 眼を閉じ、小さな声で不満を告げる。

うるさい、黙れ

はわわ、すみません

 ――面倒なことに、その言葉を耳にした彼女が謝ってくる。
 今まで私の言葉を聞く相手は、グリしかいなかった。
 だから他の聞き手がいることに、感覚が慣れていない。
 そして話しかけたグリの方は黙ったままで、答えを返す様子がない。

いや、だから……

 なにかを言おうとして、彼女へ謝るか、グリを問いつめるか、迷ってしまった。
 謝れば認めたことになり、問いつめればまた勘違いがあるし……と、判断が鈍ってしまう。

『くくく……セリンよぉ。短気は損気、お礼はありがたく受け取っておくのもいいもんだぜぇ?』

(あなたがややこしくしてるんでしょうが……!)

 そう想い、ぎりっ、と歯をかむ自分の音が聞こえる。
 ――どうにもさっきから、自分の感情の制御と、グリの言葉を流すのが、うまくできない。
 怯える彼女に多少の申し訳なさは感じるが、訂正するのも面倒くさい。
 私は、できるだけ無表情になるようにして、眼の前の塊へカンテラをかざし続ける。

この光の方……すごいですね

 彼女の声に、小さく頷(うなず)く。
 伸ばしていた四肢はさらに形をしっかりとして、私達のような腕と足を形成し始める。
 だが、そこで伸びた腕の太さと足のふくらみは、私たちの比ではない。
 二倍ほどはありそうな圧倒的な質量に、その光の性質だけではない、姿形としての恐怖も感じる。

かなり強いわね。
……もし、吸い込めれば、かなり灯せそうなくらい

 ――はたして、素直に吸われてくれるのか、とも想うけれど。

『食あたりならぬ、吸いあたりにならねぇと、いいんだがなぁ』

 そう皮肉るグリだが、逃げろとは言わない。
 なら少なくとも、吸収できるのだと想っておく。
 私は手元のグリを持ち上げ、自分の身を守るように掲げた。

いいわね、グリ。
準備を

『はいはいぃ』

 ――素直でないなら、身の安全を考えるのも、当たり前のこと。
 そんな私の言葉と態度が気に障るのか、彼女は頬をふくらませながら、私に視線を向けてくる。

むむむ、まずはお話の方が大事だと想いますよ?

 まっすぐにこちらを見つめてくる、ブレのない青い瞳。
 笑みとは違う、意志の強さを感じる表情だった。
 怒っているわけではなさそうだが、私の言葉を受け入れられないのだろうということも、よくわかる。

あの、まずはお話しできるようになるまで……お願いします

(……形になるまで、ね)

 ――確かに、形にはなるだろう。
 先ほどの光と比べ、眼の前の黒い塊の力は、別物といっていい。
 私も、気づいている。
 私達の光の下、陰影を持ち始めたその塊が……意志を持ち、話し始めるであろうことを。

(……本当、まっすぐね)

 眼の前の黒い塊が何であるのか、彼女も知らないはずなのに。
 彼女は、まっすぐに、私の顔を見据えてくる。
 自分の気持ちを、意見を、曲げないためなのだろうか。

(――恐ろしくは、ないのかしら)

 眼の前の塊が、なんであるのか……わからないのは、一緒のはずなのに。
 私は、眼をそらせない。彼女のことも、ちらりと、一瞬見るだけ。
 そして、かすかに交わした瞳に、胸の奥のなにかを掘り起こされる。

 ――その瞳で、どれだけの数の光を、私と同じように吸ってきたのだろう。そんな、想像を。

(……やめて。やめて、ほしいわ)

 彼女の曲がらない瞳は、やっぱり、私のなかの何かをかき混ぜ、掘り上げようとする。
 それは、脳裏の奥。
 ずっと、ずっと、この闇のような意識の奥に、埋められていたもの。
 自分すらも忘れていた闇の底から、いつかも定かでない記憶が、巻き上げられる。
 変わらない闇と、震える身体。
 それでもかすかな灯りを見つけては、ただ一つの話し相手と、支えあいながら進んできた。

 ――そんな、自分の顔と姿も知らなかった、あの頃。

 ――鏡を存在とする少女と出会い、見せられたのだ。

……!

 ――その、不安げな表情を浮かべる、光を持った少女の姿を。

(やめ、る……べきなのよ)

 それは、今の彼女とよく似た瞳の――鏡というものに移った、私。
 ……いつまで私は、その瞳を持ちながら、歩くことができたのだろう。

(もう、過去の話だというのに)

 それが、私の想い出せる、最後の自分。
 ――今の私は、どんな表情を、あの鏡に映すのだろうか。

セリン……?
あの、大丈夫ですか

(……今は、自分より、眼の前よ)

 振りかえりそうになる意識を抑え、黒い塊と彼女、その双方へ意識を向ける。
 まずは素っ気なく、彼女の願いを言い返す。

好きにすればいいわ。
私の方は、いつだってかまわない

 グリの光を、眼の前の光の塊から外すことなく、そう答える。
 いつでも、光の範囲内に収められるように。
 つまり、私も彼女も、自分のやり方を変える気はないということだ。

本当ですか!?

 なのに、彼女は嬉しそうに顔をゆるめる。

良かったです、そう言ってくれて。
まずは、相手の方を理解したいと想いますから♪

……そう

 私は小さく答えて、視線を足下の光に移す。

(やっぱり、理解できない。……する必要も、ないんでしょうけれど)

 視線をそらした私に、彼女から声がかかることはなかった。

『冷たいんじゃねぇのぉ、セリン。せっかく、一緒に話せる相手ができたのに』

……!

 グリの言葉にこそ、むしろ苛立ちを覚える。
 私ではなく、彼女の肩を持とうというのか。

『まぁ、あっちのやり方、こっちのやり方、様々だ。気にするこたぁないがね』

気にしろと言ったり、するなと言ったり、口が軽いわね

はい?

……こっちの話よ

 いつものようにグリと話しているつもりでも、彼女がいるだけで勝手が違う。

『悪かったなぁ。想いつきで話すのが性分なんでねぇ』

 ――そんなはず、ないでしょう。
 グリにそう言い返したくなったが、違う相手がいるというのは、こんなにもややこしいものなのか。

(あなたが私のことを考えているのは、そう、わかっている)

 皮肉めいた口調で私を煽り、でも、その苛立ちで元気づけ。
 謎めいた言葉で助言をして、鈍い頭の回転を助けてくれたり。

『ただ、両方事実だよぉ? 重なるところは重なりゃいいし、違うところは……』

 そんなグリは、私に物を教える時のような、落ち着いた口調で言葉を広げる。
 でも、そこにはどこか、照れたような響きがあって。

……

 ――わかっているわ、と、返しそうになった時だった。

きました!

『きたぜぇ!?』

……!

 ――視界を埋めるような白さに、叫ぶ私達。
 ――そして、その弾けた光は、なにかを抑えつけるように。

 ――黒い塊から生まれた人影へと、収束していった。

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