他人の記憶を覗くこと。

それは、繊細な飴細工に触れるときのように、ある種の恐怖を伴うことだ。

けれどそれは、失ってはいけない感覚だ。

--------慣れ、なんて、いちばん感じてはいけない感覚だ。

っと、質問の前に、ひとつ確認させてください

踏まなければいけない手順を思い返す。

まず最初は、ここから。これまでの経験から学んだことのひとつだ。

僕が記憶をみる、ということは、鳴海さんのプライバシーが、僕に筒抜けになってしまう、ということです。そこを、ご理解ください

鳴海 雪菜

えぇ、もちろんです。そのつもりで、ここに来ましたから

そうですか、わかりました

こういう風に、すんなり受け入れてくれる人は珍しい。大抵はまず、どの程度踏み込まれることになるのか、詳しく尋ねられるものだから。

……逆に言えば、その覚悟がなければ店を訪れようと思えないほどに、深いなにかがあるということだ。

それでは、改めて……って、あぁ、まず、この紙にプロフィールを書いていただけないでしょうか。すみません、落ち着きがなくて……

鳴海 雪菜

気にしないでください。プロフィールですね、わかりました

なぜか慌ててしまう。依頼の内容に、戸惑っているのだろうか。

--------僕にも、忘れられない人がいるからだろうか。

彼女と同じように、名前も顔も思い出せない、忘れられない人が。

……さん、

連動して、僕もなにか思い出せるかもしれない……。

……さんっ、

鳴海 雪菜

記憶屋さんっ

はっ、はい!!

鳴海 雪菜

大丈夫ですか……?

失礼いたしました、ご心配には及びません

鳴海 雪菜

そうですか……?あ、これ、書き終わりました

はい、ありがとうございます。それではすこし、お待ちください

紙を受け取りながら、そっと彼女の表情をうかがう。

顔立ちはすっとしていて、綺麗な印象を受ける。ただすこし気が弱そうにもみえる。

鳴海雪菜、二十四歳。誕生日は三月七日、血液型はB型。趣味は、特になし……。

自分について一言書いてください、という項目欄には自己主張ができない、と書いてある。

イメージ通りのような、まったく異なるような、ちぐはぐな印象を受ける。

鳴海 雪菜

ところで……依頼の内容についての詳しい質問が、その用紙にはなかったのですが?

内容を頭に入れていると、鳴海さんがそう訊いてきた。

あぁ、それは、僕が直接お伺いすることにしているんです。そのほうが、その、記憶に辿り着きやすいといいますか

鳴海 雪菜

……覗きやすい、ですか?

はい、そうなります

鳴海 雪菜

そうですか……

なにかを考えるように目を伏せる鳴海さん。沈黙が落ち、時計の秒針が動く音のみが響く。

戸惑いつつも、普段通りの手順を踏むうちに、僕は落ち着きを取り戻しつつあった。

呼吸を整え、沈黙を破る。

順序がいろいろ逆転してしまいましたが、今度こそ、改めて依頼内容について質問させていただきます

鳴海 雪菜

はい、よろしくお願いします

大丈夫だ、いつも通りやろう。

集中しなければ、大切なものを取りこぼしてしまう。

どんな要素も大切に、丁寧に扱わなければいけない。

すこしの恐怖と、明確な、覚悟を持って。

第五話へ、続く。

pagetop