人通りの疎らな商店街は、どこか寒々とした雰囲気に包まれていた。
寒……。
人通りの疎らな商店街は、どこか寒々とした雰囲気に包まれていた。
それでも、頭上にあるしっかりとした屋根のおかげで、雪も雨も雷も心配しなくて良い。白に近い青みを帯びた石畳を踏みしめながら、尤理は物珍しそうに辺りを見回した。
寂れてるけど、これはこれで、……私は好きだなぁ。
都会のように、華やかな雰囲気は、ここにはない。それでも、この穏やかな空気が、尤理は好きだった。
常に問題が起こる都会は、緊張の連続で性に合わない。やはり、人が少ない場所での職務が、自分には合っている。
時折擦れ違う人々が『管理者』の制服に好奇の目を向けつつ敬遠するような気配をみせるのにだけは、少し寂しく思ったが。まあそれは、どこの町でも同じこと。
……。
『システム』を動かし、三ヵ月あるいは四ヵ月でこの国を縦横無尽に移動する『管理者』は、町の人々にとっては『余所者』でしかないのだろう。
そんなことを考えている間に、目指す靴屋の前に到着する。
こんにちは。
間口が狭く、奥行きもそんなに無さそうな店。
その小さな空間の、大小さまざまな靴が並んだ横に、なぜか風景写真も飾られている。
靴屋、だよねぇ……。
……。
それでも、この商店街には、靴屋はここ一店しかないらしい。
イヤカフ型の情報処理機器が脳内にもたらす情報を受けて店先をぐるりと見回してから、尤理は薄暗い店内に入り、底の厚い、履きやすそうな靴を探した。
と。
この、写真……。
既視感のある光景に、選んだ靴に伸ばした手が止まる。
靴の棚の横にあったのは、雪の音がうるさくて眠れなかったあの夜に撮った写真と、同じ光景。
次の朝、起きたときには、綺麗さっぱり無くなっていた、あの小さな山が写る、風景写真。
これは、足羽山です
いつの間にか尤理の横に立っていた、この小さな店を切り盛りしているらしい小柄な女性の声が、響く。
『大災害』が起こる前は、この町のどこからでも見えていたのですよ
そう言ってから、女性は、店の外の石畳を指さした。
あそこに敷かれている石は、あの山から切り出されたものなのです
屋根の無い、商店街の通路に敷かれた青白い石畳に、固い雪が降り注ぐ。雪に濡れ、青みが増したその石畳を、尤理は夢のように眺めていた。
と。
さくら
えっ?
聞き覚えのある声に、はっと顔を上げる。
店の入り口を半分塞ぐようにして、少し恰幅の良い男性が立っているのが、見えた。
文里主任?
何故、ここに?
兄さん。
尤理の横にいた女性の声で、疑問が解ける。
次の瞬間。
尤理の横にいたはずの女性は、跡形もなく、消え去っていた。
靴屋の方も、薄暗く小さな店から、冷たい光を湛えた店へと変貌を遂げている。
そして。店から見える商店街の石畳は、乾いた青白い色を見せていた。
さくら……。
消え入りそうな声に、再び、主任の方を見る。主任と尤理しかいない、こぢんまりとした靴屋は、しばらくの間、無音だった。
買った靴を手にしたまま、管理棟の最上階にあるラウンジに誘われる。
……。
すぐにラウンジに姿を見せた文里主任は、綺麗に拭かれたテーブルの上に持ってきた冊子を広げた。
……これ、は。
その冊子に貼られていたのは、古ぼけたカラー写真。主任が『さくら』と呼んでいた女性が、あの薄暗い靴屋を背景に主任と一緒に笑っている写真も、その靴屋に飾られていた風景写真も、その冊子の中に確かに、あった。
あの雪音がうるさい夜に尤理が撮った写真と似た構図の、女性が『足羽山』と呼んでいた小さな山が写っている、写真も。
商店街や、鉄道駅の前の広場に敷かれている青白い石は、足羽山を中心に採掘されていたという『越前青石』。『笏谷石』とも呼ばれる、大昔の火山活動によって降った灰が固まった、火山礫凝灰岩。しかし、その美しい石を掘り出し過ぎた所為か、『大災害』の折、山は跡形も無く崩れ、消え去ってしまった。イヤカフ型の情報処理機器から脳内へと流される情報に、尤理は静かに頷いた。と、すると、尤理が撮った風景は。
『大災害』以前に建てられた高層建築の土台を使っている所為かな、時折、この管理棟では過去の風景が見えるらしい。
尤理の推測を裏付ける文里主任の言葉に、無言で頷く。
商店街の方で過去を見たという人は、これまでいなかったがな。
そう言って笑った主任は、いつの間にか、尤理の前から姿を消していた。
……。
残っているのは、主任が持ってきた、古ぼけた写真のみ。
……。
そう、『主任』など、ここにはいない。
大災害直後の、『システム』が稼働を始めたばかりの頃には、全てを統括する部署が必要だったかもしれないが、『システム』が確立した今では、尤理のような『管理者』とそれを手助けする『システム』制御の人工知能さえいれば、小さな町の管理は十分、できる。
……。
写真、綺麗……。
春、夏、秋、冬。それぞれの季節を切り取った、『大災害』以前の風景写真を、一枚ずつ丁寧に、見つめる。
無秩序に広がっている灰色の建物群が目障りだが、それでも、……意外と、美しい。ラウンジに降り注いでいた冬の柔らかい日が消えるまで、尤理は、遺された写真に見入っていた。