機械だらけの部屋に籠もり、人工知能とともに、町中に張り巡らされた生活に必要な機器類の管理運営をする。それが、一応の国家公務員である『管理者』の仕事。

 小さな部屋に六時間籠もった後は十二時間の休憩。そしてまた六時間の仕事と十二時間の休憩。六時間と十二時間を五回繰り返すと、三十六時間の休日時間となる。

あーっ!


 気の張る勤務時間を終え、やっとこの場所での初めての休日時間を手に入れた尤理の口から最初に漏れたのは、安堵の息。

やっと終わったぁ。

 雪と寒さの所為か、町の人々の行動は、どこか鈍い。

 四六時中ごちゃごちゃと煩わしい都会よりは仕事は楽だが、それでも、人々が快適に暮らせるよう『管理』を怠らないことが、尤理の責務。

 その緊張から、一時的ではあるが解放された。これほど心休まる瞬間は無い。人影の無い、管理棟の冷たい廊下で、尤理は大きく伸びをし、微笑んだ。

 尤理が管理部屋に籠もっている間にまた雪が降ったらしい、硝子窓の外は真っ白に輝いている。

雪、触ってみたい。


 その思いのまま、尤理はエレベーターに乗って地上階まで降り、玄関の二重扉を押し開け、外に出た。

 次の瞬間。

なっ!


 目の前を横切った猛スピードの物体と、その物体が奏でた風を切るような不快な音に、全身がおののく。

きゃっ!

 音と同時に飛び上がった、道路を濡らす水が、為す術もなく尤理の全身をびしょ濡れにした。

……え?


 驚きで、思考が数瞬、中断する。

 我に返ったときには、尤理に汚れた水をぶっかけた物体も、道路を埋め尽くした水も、尤理の目には見えなくなっていた。鉄道駅の前に設えられた屋根のある広場を埋め尽くす、薄い青緑色をした敷石が、見えるだけ。

ううっ、冷たい……。


 濡れた身体で、自分の部屋へ引き返す。

……。

 制服を着替えながら、心に渦巻くのは、疑問。

あれは、確かに……。

 あの、尤理の目の前を横切った物体は確かに、昔のものを集めた電子図鑑で見たことのある『自家用車』と呼ばれるもの。ガソリンをふんだんに消費し、環境を破壊するという理由から、『大災害』後のこの世界から排除されたはずのもの。

 その自家用車に取って代わった、居住地と農園を結ぶ、太陽光で走る『自走車』は、雪の無い季節に備えて地下の格納庫で眠っている、はず。自家用車も、道路を濡らす水も、自家用車が走っていた道路の脇に積まれた茶色に染まった雪も、『管理者』であるはずの尤理が知らない、もの。

世界中に張り巡らされた『システム』を利用している、この町を管理する『システム』の管理下に置かれていないもの、なのかな?

そんなものは、この世界にはありません。


 尤理の問いに、奇跡的に壊れていなかったイヤカフ型の小型情報処理機器は一瞬で答えを返した。

この世界に、『システム』の管理下に置かれていないものはありません。

自家用車も、あなたが浴びた水の原因である道路の雪を水で溶かす装置も、過去のものです。

……。


 鉄道駅の周りに設えられた、『システム』による管理が行き届いた町で、そのような不快な現象が起こるわけがない。機器の回答に、尤理は靴下を履き替えながら肩を竦めた。

……。


 では、尤理がびしょ濡れになった原因は、何?

……。


 答えに詰まった機器に苦笑すると、尤理は靴の濡れ具合を確かめた。

……冷たい。

 これでは、履けない。靴は一足しか持っていないのに。

 尤理の溜息に、イヤカフ型の情報処理機器は今度は一瞬でアドバイスを返した。

鉄道駅の横に伸びる商店街に、一軒だけ、靴屋があります。

じゃあ、そこに、行ってみる。


 隣の部屋の、休憩中の同僚からサンダルを借りると、尤理は再びエレベーターで地上階へと降り立った。

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