――DAY 2――



宿屋『サスリカ』

 凄まじい音と共に、イリヤは叩き起こされた。


 いや、ベッドから叩き落ちた。

……今日は壁際に寝たんだけどな



 シーツ皴(しわ)のできた頬を掻こうとして、

 手を止める。

血……


 そのまま首もとに触れた。







イリヤ(イーリャ)

やばっ、昨日肌搔きすぎた

薬塗らないと、リーレニカに怒られ……

…………

……リーレニカ、怒ってもいいから無事でいてくれ……

 小さな食堂には誰もいなかった。


宿屋シャルロッタ(ロッタ)

……




 それが当然のような女主人の顔を見るに、

 イリヤ以外ここでは食事しないようだった。


イリヤ(イーリャ)

セミョーンさんもいないんだ……

 今日も外は大吹雪。



 ご飯を済ませ、出かける前に、

 昨日のようにきっちりとマフラーを巻き付ける。


ご馳走様でした……



 返事はなかった。





イリヤ(イーリャ)

ははは……寒っ……



 イリヤはそこまで吹雪に強いわけではない。

 出たばかりなのに、もう凍え始めていた。

サスリカに来るときも、本当は一時間くらい早く着く予定だったんだよな……

もっと早く、歩けていれば



 イリヤは当てもなく歩き出す。


もしその分早く着けてたら、いや、そのときにはもう行方不明だったのか……

じゃあ、どれだけ早く行ければ良かったんだろうな……

ねえ、そこのきみ。きみがイリヤくん?!

?!



 驚くほどの大声に、イリヤは固まった。


 目の前に、美しい銀髪の女性が

 飛び出してきたのだ。

やっぱりそうみたいね。似顔絵見せてくれない?!

イリヤ(イーリャ)

え、に、似顔絵って……

あーそう、鉛筆の! ごめん見せて!

 恐る恐る取り出したリーリヤの絵は、

 あっという間に奪い取られた。

イリヤ(イーリャ)

待ってください、いきなり……

そう!! 
この子よ!

 絵はぐしゃぐしゃに濡れてしまうが、

そんなことを気にも介さずに

 女性は嬉しそうに紙を振り回す。

私、この子を見たの!!!

ファイーナ(ファーヤ)

あたしはファイーナ。ファーヤって呼んでちょうだい



 まだ若い女性、ファイーナは、

 この天気の中でもまったく動じていないらしい。


 恐ろしい元気さで、イリヤを町の一角、

 一軒の店に連れ込んだ。

そうそう、もしかしてきみ、この店知らないんじゃないかと思って!!

こ、ここは……

店員

いらっしゃい


 店員が声をあげる。


食料品店だった。

ファイーナ(ファーヤ)

ね、もしかしたらその子自炊してたのかもしんないよ?!

えええ……

店員

やあ、ファイーノチカ。
今日も美しいね

ファイーナ(ファーヤ)

「店員さん」、やめて。あたしは貴方を彼氏にしたことないわ

 ファイーナは笑顔のまま、

 言い慣れた様子で店員の男性の言葉を流す。


 さすがに大声ではなかった。

Ж

ロシア人の呼び名には名前の変化形が使われるが、

「親称」は一般的に名前よりも長くなり、

「~カ」「~チカ」

 で終わることが多い。



 例えば、

 「ファイーノチカ」は「ファイーナ」の親称。

親称はごく親しい人に

 対してしか使われないため、

 本人の許可なく使うのは失礼に当たる。


本人が申告している愛称「ファーヤ」を

 使うのが正解。

Ж

店員

ちぇ~。でも、そんな
お子様はやめとけよ

ファイーナ(ファーヤ)

変に言い寄ってくる人よりはましね!

店員

む……

イリヤ(イーリャ)

あ、あの……

ファイーナ(ファーヤ)

なあに、『イリューシェチカ』?

イリヤ(イーリャ)

じょ、冗談はやめてください!

ファイーナ(ファーヤ)

あはは

イリヤ(イーリャ)

ファイーナさんが勝手に親称使うのは良いの……?

ファイーナ(ファーヤ)

っと、
それはともかくね、妹ちゃんのこと!

イリヤ(イーリャ)

そうでした。どこで見たんですか? どんな風でしたか? 話しましたか? 格好は、あと……

落ち着いて

……はい

ファイーナ(ファーヤ)

あはは、イリヤくんって素直なのね

でもごめんね?

ファイーナ(ファーヤ)

今朝なのね。
見たときにはまだ貴方のこと知らなかったの。追いかけたんだけど、すぐに消えちゃうんだもの

でも、そのあとお父さんから貴方のこと聞いて、その娘(こ)に間違いないっ! て思ったわ

ファイーナ(ファーヤ)

だって、あんなかわいい子この町にいないもの!

イリヤ(イーリャ)

知らなかったのに追いかけたんですか……?

もちろん!

イリヤ(イーリャ)

え、えっと……それで

ファイーナ(ファーヤ)

そう、あっちに走って行ったから、追いかけられなかったのよ!

ファイーナの指さしたのは、樹海の方角だった。

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