想わず口元を抑えて、自分らしくない言葉を取り返そうとする。
 ……もう、この闇に流れてしまったことは、わかっていたけれど。

(油断、させられた)

 それはあまりにも、今までの会話の流れから、外れすぎた反応で。
 彼女が発した言葉は、予想を上回るほどに、脳天気で明るすぎて。
 そう――先ほどまでの張りつめた空気が、一瞬で吹っ飛んでしまうほどの、変わりようを見せたから。

(わざと、話を変えたのかしら)

 唇を閉ざしたまま、疑いの眼を彼女へと向ける。
 けれど、演技や計算などのような、作られた感じはなさそうに見える。
 ――今まで出会った、そうした光の者達は、こんな笑顔を浮かべたことはなかったから。

(……そう、見えるだけなのかも知れないけれど)

 ただ、一つだけ、わかったことがある。

(調子が、狂う)

 心の中に、重いなにかがたまっていく。
 ……元々、軽くも、明るくもないけれど。

 ――そもそも、心なんてものは、この闇と同じだ。

 真っ暗で姿形はなく、ただ自分を不安定にするだけの、内に住んでいる他人。
 眼の前に、なにかを生み出すことはない。
 じっと、息を潜めていてくれた方が、ありがたい。
 ……私という存在を、長引かせてくれるとさえ、想う。

(ずっと、そう、想ってきたのに)

 なのに彼女の言葉は、その暗く塗りつぶした心を、奇妙にかき混ぜようとする。
 胸の奥をうずきを、錯覚だと想おうとした時。

お話です!

 突然の大声に、はっと顔を彼女に向ける。

お、お話?

 力強い視線とともに、私へ向かって手元の光を差し出す彼女。
 指先の間、棒の先で揺らぐ淡い光。
 グリの作り出す、広がるような光とはまた少し違う、不安定な光。
 眼の前に差し出された彼女の光に、私がためらっていると。

『ふぅん、俺の方がくっきりなんだなぁ?』

 感心するようなグリとは真逆に、私は、戸惑っていた。
 なんの意思表示かわからず、どうすべきか、わからなかったからだ。
 だから、また、言葉をそのまま返すことしかできない。

お話って……なんのこと?

はい、スーさんとグリさん!
せっかくお会いできたのですから、
お話しましょー!

 そう言って、彼女はためらわずに足を出して、私との距離を詰めてくる。
 差し出す光の角度が、私の視界に強く差し込み、一瞬だけ瞼(まぶた)を閉じてしまう。

ちょ、近づかないで。
まぶしい……!

あ、ごめんなさい!

 すぐに身を引いて、光を遠ざける彼女。
 ぼやけた視界から、申し訳なさそうな顔が見える。

でも、ですね……

 また、今度は角度に気をつけて、ひょいと近づいて来る彼女。

 グリの光と、彼女の光が、淡く絡み合う。

リン、とっても嬉しいんです!
ほら、お二人の光も、混じりあっていますよ♪

 私の持つカンテラの光と、彼女の持つマッチの光が、溶け合うように混じり合う。
 ゆらりと歪み、今にも散ってしまいそうな光を通わせる、二つの光。
 手を伸ばすようにお互いの光が伸びて、お互いをはめあうように、組み合わせている。
 ――まるで、光の形同士が、手をつないだ時のよう。

(やっぱり、よく似ている)

 混じりあう二つの光は、やはり同じものなのだろうか。
 けれど、かすかに見える色の違いが、奇妙な境目を感じさせた。
 それが、グリとスーという、内なる者の違いによるのか。
 私には、わからない。

グリさんグリさん、
スーさんと仲良くしてくださいね♪

 ……明るく楽しむ彼女は、そんなこと、気にもしていないのだろうけれど。

話せるかどうかも、わからないのに……

 私達と同じように、グリも意志を交わせるのか。わからず、想わずそう突っ込んでしまう。
 すると彼女は顔をこちらへ向けて、今度は私に微笑みかけてきた。

あの、あなたのお名前は?

えっ

 鮮やかな言葉と、まっすぐな瞳。
 なんの嫌みも裏もない、その言葉の響き。
 閉ざすべきだと誓っていた、私の唇。
 なのに、その無邪気さのためだろうか。

セ、セリン……

 知らず、無意識に漏れ出た、自分の名前。
 答えてから、しまったと想い返す。
 だが、彼女の顔に浮かぶ満面の笑みを見てから、後悔しても遅いと気づく。

セリン、セリンですね!
教えてもらって、ありがとうございます!

 今にも踊り出すのではないか、と想うくらいの喜びよう。

 ――そんな、無邪気で明るい姿。
 ――闇を見て発狂し、すぐに消えてしまった者でしか、見たことがない。

 彼女は、私の名前を聞くだけで、その喜びを感じることができるらしい。

あの、リンの名前と、よく似ていますね。
とっても、嬉しいです!

……私は、嬉しくないわ

 なんの偶然か、確かに似ている。気づいても、いた。
 だから、名乗りたくなかった。
 奇妙な一致は、もう、いらない。
 わからない彼女のことを、知りすぎる必要もない。

あの、セリンってお呼びしてもいいですか?

 その問いかけに、私は。

ふぅ……

 ため息を上へ吐き出し、首を少しのけぞらせる。
 少しだけでも、彼女の息づかいや明るさから、視線をそらしたくなったのだ。

『うぅ……んむ』

 そんな時だった。
 心の内に、いつもと少し違う、はっきりしないグリの声が聞こえたのは。

どう、グリ。
なにか聞こえる?

 彼女との話に気疲れたのもあって、私はグリへと話をふる。
 まだ、グリのからかいの方が、気が休まる。
 ……そう、想っていたのに。

『こいつは……なん、だ……?』

 けれど気は休まるどころか、違う不安を感じ始める。
 いつも私に皮肉を投げかけ、からかい、だけど気を使ってくれるグリ。
 ……今のグリの声は、そうしたいつもの響きとは、少し違っているように感じた。

グリ、どうしたの?

 そうして投げた私の問いかけに、答えはなかった。
 不思議に想い、視線と意識をグリへ傾ける。

『こいつぁ……』

 呟くグリの響きを受けながら、私は、ようやく周囲の変化に気づき始めた。

 彼女の持つ光と重なり、グリの光は、いつもより強く淡い光を周囲に発し始めていた。
 ぶつかりあう光と光は、弾けあう前よりも強い波を周囲にまき散らす。
 散っては儚くなり、闇に潰されそうになりながら、それでもまた甦る。
 消えることなくつながりあう二つの光は、より大きな、一つの光へと成長していくようだった。

きれい、です……

(……確か、にね)

 彼女も、私も、光の粉が舞い散る幻想的な光景に、視線を奪われた。
 あまるにも美しく、ぼうっとし、意識が消えてしまいそうな光の中。

『――セリン。ヤメだ、離れろ』

えっ……?

 魅入られていた意識に、グリの声が響いてくる。
 それは、私がよく知るグリが出すには、硬く強い声だった。
 まるで、命令されたような、願われたような、そんな響き。

グリ?

 感じていたのは、不安だったのかも知れない。
 自分の声が震えているのが、はっきりとわかった。

スーさん……?

 そして同じタイミングで、横から、彼女の声も聞こえる。
 その声もまた、同じように震えているように想えた。
 ちらりと眼を横に動かし、彼女の顔を見る。
 眉を少しだけ寄せた表情を見ると、やはり、先ほどの声に感じた震えは間違いではないと感じる。
 気づいたわけではないだろうが、彼女も私へ視線を向けてきた。
 ……互いに無言で、瞳を重ねる。まるで、不安を確かめあうかのように。

(――私も今、あんな顔をしているんだろうか)

 重なる瞳は、先ほどまでとは違い、同じことを考えているのだろうと想えた。

『セリン。悪いが、離れてくれねぇか』

 彼女の様子を見ていた私へ、グリが新しい言葉を送ってくる。

離れるっていうのは……彼女と?

『いやぁ、どちらかといえば……光とか。結果的には、そう、なるのかねぇ』

 どこか疲れたようなグリの声に、私は急いで動き出す。

 距離をとるのは簡単だった。

スーさん、これでいいですか?

 彼女もまた同じように、私から離れ始めたからだ。

 二つの強い光は、私達が動くことで、また個別の形に戻ろうと伸び縮む。

(……あの、光の光景、かしら)

 闇の深さへ背中を踏み入れ、彼女と距離をとりながら、離れる理由を考える。
 グリが引かれているのか、それとも、あちらの光が混じってくるのか。
 今まで見たことのない、大きな光の生み出す視界。
 それは、あのまま成長すれば、私達の姿すら曖昧にしそうな強さを持っていた。
 魅入られたあの光景は、想い返せば、あまりにも少し怖い気もする。

 ――まるで、あのままいれば、光とともに溶けてしまうような……。

(そんな、まさか)

 感じた想いを否定しながら、さらに距離をとる。
 グリや、あちらの光が、私と同じ気持ちだったのかは……わからない。

 ――ある程度の距離をとると、二つの光は、最初の姿へと戻り始めた。

(これで、一安心かしら)

『すまねぇなぁ、セリン。もう、落ち着いたぜぇ』

 少しだけ距離の離れた、彼女の顔をうかがう。

……♪

 その様子から、相手の光も落ち着いたのだろうと察することができた。

(さて……どうしようかしら)

 動けずにいると、またグリが声をかけてくる。
 今度は、いつもの彼らしい、陽気さが混じったものだった。

『おそらく、あっちもそういう状態だったんだと、想うがねぇ』

あちらも……そう、かしら

 こちらの呟きが聞こえたのか、距離をとった彼女が声をかけてくる。

もしかして、セリンとグリさんも、
同じなのですか

 無音のこの空間では、小さな呟きでも、驚くほど聞こえることがある。
 張り上げている様子はないのに、彼女の声も、ちゃんと聞き取ることができる。
 ……その、こちらに近づきたそうな、前のめりの姿とともに。

おそらく、そうなんでしょうね

 不本意そうにそう言ったが、安堵している自分を自覚してもいた。

 ある程度動き、足を止める。おおよそ、人で言えば、三人分くらいだろうか。
 二つの光の干渉は、すでに収まっていた。

『あっちも、気をつけてくれてるみてぇだな』

 その呟きで、グリもなんらかの対策をしているのだと気づく。
 それは、あちら側の光も同じようだった。

……大丈夫ですか、スーさん?

 手元の光に語りかける彼女の様子に、私も手元のグリを見る。

『ずいぶん、おセンチな顔してるじゃねぇの、セリン』

センチ……?

『俺が弱気でぇ、悲しくなっちまったかぁ?』

……!

 空いた手で、カンテラを叩く。

『おまっ、叩くのはダメだってよぉ!?』

……くだらないことを言うからよ

 本当に、くだらないことを言う。
 ……そんな言葉、聞きたくはないのに。

あの、セリンとグリさんも、
大丈夫ですか?

 自分達の心配を終えたのか、こちらへまた声をかけてくる彼女。
 どうすべきか、一瞬迷ったが。

……ええ。
特に、どうということもないわ

 当たり障りのない声を返すことにした。
 すると、彼女の顔は大きく変化し。

そうですか、良かったです~!

 距離をとっていてもわかる、彼女が浮かべる、満面の笑み。

(……お話、か。今、私も、話してしまっているわね)

 ――すっかり、気を削がれてしまった。
 怒りや嘲りが、胸の中を渦巻いていたはずなのに。
 不思議と今は……落ち着いて、しまっている。
 ただ、消えたわけではないのが、自分でも感じ取れる。

(……消えるわけが、ない)

 だから、必死に、否定したかったのだから。

(このまま別れるのが……いいのかしら)

……

 すっと足を踏み出して、移動を始める。

 もちろん、彼女とは逆の方向に。

あっ、待ってください、セリン!

 ――だが、彼女はやはり、追ってくる。
 話し合いたいというのが、この闇に住む彼女の願いなら……私も、その一つとなるのかもしれない。
 それは予想できたから、追ってきたことに関して、驚きはしない。

(でも……どうする、べきかしら)

 消せないのが、この胸の内と、彼女の存在であるなら。
 関わらない方が、いい。そう考えるのは自然だと、考えもする。
 なのに、あえて掘り返すまでもない、と考えもするのに。
 ――心に、引っかかるものがあった。
 その、消せない胸の内が、闇の中へ置き去りにすることを……ためらうのか。

 ――本当に、無意味なことだ。
 私は、知っている。決めたのだから。
 その行為が、無意味であると、いうことを。

ある同じ形の違う歩み・06

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