刀弥は実況席へ駆け込む。

 試合の途中だったが、息を切らせて駆けつけた刀弥に異様さを覚えて、二人はマイクを切って実況を中断する。




齋が、賊に連れて行かれたか?








 容赦なく凰三は睨んだ。

息子達でも未だに怯むこの形相に、それでも齋の選んだ青年は、恐れではなく悔しげに顔を歪めた。





賢誠も一緒に連れていかれました。空間操作師が絡んでます








 凰三は、刀弥の言葉に眉をしかめる。

 隣の清貞がひきつった顔で『マジかよ』と呟く。



 空間操作師は魔術師の中でも希少だ。召喚術師と同じく、才能無くしてなれる魔術師ではない。



 そんな魔術師が絡んでいる……――どうやら、今回の織田信長暗殺はいつも以上に気合いが入っているらしい。ここで織田信長が死ねば国家間戦争にも発展する。





刀弥。もう、試合は無かったな。今日は家に戻っていなさい

雪村凰三殿!

俺も何か手伝いを……――

お前が手伝えることは何もない






 凰三はピシャリと言葉を切る。





そして、その己の無力さを忘れるな。

それが、必ずお前を武人として鍛え上げる糧になる。

お前は明日の試合のために備えておきなさい。それまでに齋は必ず救出する。

今回の事件で大分疲弊するはずだ。
それでも試合には出るだろう。

だから、お前が先陣を切り、上位四位以内に入れ。

お前が今やるべきことは、この大会の出場者として観客達に安い試合を見せないことだ

でも……――

凰三は説明省きすぎなんだってーの。

ようは、ここからが俺ら大人の仕事ってことさ

お前の方が簡略しすぎだ。

大人ではなく保安部隊の本来の仕事と言え







 元々、この大会の警護を請け負ったのは三文字幸乃からの命であっても保安部隊なのだ。大会出場者である刀弥は、ある意味で関係者とは言え本来なら保安部の庇護を受ける身だ。



 つまり、齋や賢誠が一緒に連れ去られたのは、空間操作師まで使うとは思っていなかった保安部隊の落ち度と言える。



 結局、凰三がそこまで詳しく説明して、そういうことだ、と清貞が笑った。




それに、幸乃様が戻ってきたと言うことは、妹も戻ってきたことになる。

賢誠が連れ去られたと分かれば心配になるのは当たり前だ。お前が励ましてあげなさい

……分かりました






 刀弥は、俯きながら低い声でポツリと呟き、頭を下げると実況席から離れていった。



空間操作師か。厄介な相手だな

魔術師呼ぶか?

……正直、手を借りたくないところだな

アイツら傲慢だからなぁ






 清貞は頭の後ろで手を組む。



 武人と魔術師はあまり仲が良くない。もちろん保安部隊の中には魔術師の部門もあるのだが、どうも気にくわない。それは持っている性格の気質など色々ある。




 日輪では特に、そういった気風が多かったのを凰三も覚えている。魔術師部隊の隊長は自身が優秀だと鼻にかけているタイプだった。今回の件を話せば、チクチク言ってくるのは目に見えている。


 清貞は、ボリボリと頭を掻いて盛大に溜め息を溢した。





気にくわないとかどうとか言ってる場合じゃねぇな。上司に掛け合ってみるわ

すまない、清貞

さすが俺の娘だ。
異国の大将のハートをガッチリ掴んじまうんだからな

齋は私の娘だ。だが、その気持ち悪い台詞も今回は許してやる






 嫌な想像が脳裏を駆ける。



 齋が、血塗れになって動かない姿が目蓋の裏に見えた。これは、あくまでも最悪の想像だ。そうなったら、という考えを常に抱いている。





 凰三の仕事には、完全も完璧もないと思っている。今日も一日、何事もなく終わった。それが毎日あるだけだ。




 凰三は、仕事をできる人間だと言われるのは好きじゃなかった。むしろ、ただの侮辱である。今まで、凰三は自分自身、仕事ができる人間だと思ったことはなかった。ただその日、最善を尽くしたか、それだけを常に追い求めてきた。





 だからだろう。火野に飛ばされたのも。


 そういう固い生き方しか出来なかったから、火野という辺境の地に移動させられたのだろうとも思う。





 だが、それでもその生き方で紡いできた今がある。



 まだ打つ手があるのだ……――齋達が、三文字幸乃と関わってくれたおかげで。そして、ルームフェル・ヴァールハイトを家に置くように王命を賜ってくれたから『織田信長を護衛する』という名目で、打てる手がある。





 凰三は清貞の代わりに実況席に座ってくれる保安部の人間を捕まえにいこうとする彼へ。







清貞。

三文字幸乃皇女に齋の件を伝えておいてくれ。

齋の救助に手を貸してくれる。

だが、織田候には話すな。暴走されても後々、厄介になるだけだ





 かつての相棒は、了解、と実況席を走って離れていく。




 凰三は思う。





 無事でいるだろう。



 その心も折れていないだろう。





 今まで、齋は自分の人具で結果を残したことがなかった。それは日輪に居た頃からだった。



 剣術こそ誰にも劣らなかった。人具が使えない分、剣術だけは磨き続けたのだ。





 使えないと思っていたあの人具が、今は色を変えて輝き始めている。雪村一族の中でも突出した存在になる。





 今まで諦めてこなかった想いが、実ったのだ。





 確かに、今回間に合わなくとも来年もある。


 だが……――凰三が、齋の輝く姿を見たいのだ。





 異国の武器に関する知識の乏しさ。これは刀弥の弟である賢誠に指摘された通りだ。



 使い方を分かっていない武器を分からないまま使わせていたのは学校だけではなく、凰三本人でもある。それが、彼の側にいる神から賜った知識一つで齋の世界をガラリと変えた。





 織田信長の目にまで留まるほどに。




 知らないままでは相手にもされなかっただろう……――敵国の主になど相手にされないで欲しかったが。





齋……――









 色濃く妻の血を受け継ぐ娘が、目蓋の裏に見える。



 マイクのスイッチを、入れる。











 アメノミナカヌシ様。




 どうか、

かの少年と齋をお守り下さい















突然、実況の方を中断してしまい、失礼した。

藤堂殿は飲み過ぎと食べ過ぎで朝から腹の調子が悪かったので……――

  




















 刀弥は失意にかられながらも、凰三の言う通りだと言い聞かせていた。



 皇女が帰ってきたということは、雅も帰ってきたことになる……ーーそう思って、三文字幸乃とその王子が座っている観客席までやって来たが、客でごった返していて席に近づけそうにない。




 観客席を眺めて、ふと思う。






 雅の姿がない。あと、あの黒い長髪の魔術師……――樹神の姿も。



 あるのは皇女だけ……――雅は、いったいどうしたのだろうか。






 雅は皇女から直々に頼まれ、公務の手伝いに行ったはずだ。
 皇女だけ先に帰ってきて、樹神とまだ仕事をしているのだろうか。

……

突然、実況の方を中断してしまい、失礼した。

藤堂殿は昨晩、飲み過ぎと食べ過ぎで朝から腹の調子が悪かったので代理人をたてた

飲んでもねぇし、食べ過ぎてもねぇわ









 刀弥の後ろで清貞がそうぼやいた。



 そしてカラっと笑い、刀弥の背をバシンバシンと豪快に叩いた。









やっぱ、じっとしてらんねぇよなぁ

えぇ。ですので、雅を迎えに来たつもりなのですが……――よくよく考えれば、雅が同じ観客席にいるわけにですよね

家に返したんじゃねぇか……?

あぁ、でも。鍵かけてるから雅嬢ちゃん、家は入れねぇな

すみません、藤堂殿。

家へ先に帰ってもよろしいですか? 雅が、家の前で待ってるかもしれないので……――

あぁ。鍵、預けとく








 清貞から、銀色に輝く鍵を受けとる。毎日の鍛練で握りタコが浮き出ている手に、乗っかった。



 何のために、強くなろうと思った?


 国の人間だけではない。家族を守るためだったはずなのに……ーー。






 一歩、反応が遅れた。



 賢誠の方が早かった。それが今一番、悔やまれる。



 家族を守るどころか、窮地へと追いやった自分のふがいなさに。







皇女様にお力添え願えないか声かけてくる。気が落ち着かないなら、木刀でも振っとけ。うちなら、探せばあるからな

ありがとうございます……






 刀弥は鍵を握りしめて、頭を垂れる。



 誰かの優しさが、こんなにも心を抉る日がくるとは思いもしなかった。






 こんなにも、自分は弱い。
 一人では、何もできない。





 今はただ、神に祈るしかできないのだろうか。





 賢誠の武器に関する知識の源は神様だと言っていた。




 名前は、アメノミナカヌシノカミ。





 賢誠にしか見えない、架空の神。



 昔はよく、そう口にしていた。最近は聞かなかったが、五歳児にあれだけの武器に関する知識を授けてくれた神。





 もし、本当にそんな神が賢誠の側にいるのなら……――。

















 アメノミナカヌシノカミ様。




どうか、
弟を守ってください。



身勝手な願いだとは
思います。




だけれど、
もう一つ我が儘を
聞いてくださるのなら。




守ることができなかった
雪村齋を、助けてください。













 清貞はどうしたものかと鍵を刀弥に渡しながら、客でごった返している観客席を睨んだ。三文字幸乃の席まで通るにはあまりにも人が多かった。





 なぜなら、客席ではない通り道にも立って試合を眺めているのだ。



 これは観戦料金を踏んだくっても良いぐらいに居る。清貞が直接行けば、緊急時なのは分かってくれるだろう。しかし、それが観客に伝わるのは不味いのではないだろうか。






 だが、三文字幸乃に協力を求めるのは必須だ。上司は頭が魔術師達に手を借りるのを拒むだろう。だが、三文字幸乃からの命令だと聞けば確実に動いてくれる。かえって、動かなければ首が飛ぶ。






 三文字幸乃の側には、愛する美佐子がいる……ーーそうか。美佐子に文を託すか。



 そうとなれば、と、清貞はまだ観客席で三文字幸乃を眺めている刀弥に頼む。








刀弥。

悪いんだが、帰る前にもう一回、凰三に美佐子をマイクで呼び出すように頼んでくれないか。これから美佐子に文を渡して幸乃様へ事情を伝えたい

……は、はい! 行って参ります!








 刀弥は暗かった面持ちを驚きに変えて、走り出す。客にぶつかるから走らないようにとは行ったが、この大騒ぎの中では聞こえていないようだ。




 また会場で、フランキスカが無慈悲に暴れているのだ。観客達が熱を帯びた雄叫びをあげている。






 少年達はその期待に応えるかのように人具を踊らせた。



 赤石賢誠という子供を介して、武器の知識を授けた神。










 アメノミナカヌシノカミ……――。





アメノミナカヌシノカミさんよ……どうか、齋と賢誠を頼みます








 観客の声に紛れて、彼の声は聞こえない。




 それでも想いが届くように、願わずにはいられなかった。



























 鉄格子は四角く形成されて組まれている。齋が人具で鉄格子に切りかかるが、鉄格子に傷がつく様子もない。



 賢誠は顔と片腕が通るが鉄格子の隙間にシワを刻んだ。骨が邪魔だ。骨が自由に動けば抜けられそうなのだ。もう片方の肩が少しなだらかにか、もしくはグニャリとズレてくれれば通りそうなのだ。
















 そこで、天之御中主に相談しに、白い世界に飛び込んだ。


 この前よりも、本の飛び交う数が増えて、賑やかになっていた。


 齋には、眠くなったから寝る、と言ってこっちに来ている。



 天之御中主は、嬉しそうに目を細めて賢誠を抱き止める。








なんか、この前より賑やかになってますね

お前のおかげだよ、本当にありがとう……――前のその知識で、私の存在を信じるに値すると思ってくれるモノ達が増えて来ているんだ

? どういうことですか?

そのままだ。

私の存在を、見ていないにしても『いる』と思ってくれる人間や妖精が増えているんだ

えっと……そう思ってくれる人達が増えると、どうして白い世界が賑やかになるんですか?









 天之御中主は、クスリと肩を震わせて笑った。






まだ、話していなかったね……――神の、在り方についてだ。賢誠、神はどうして生まれたと思う?

え?

えっと、天之御中主様が宇宙を創造して……――

そうだね。その文献は、誰が作った?

え? えっと、誰だったかな……

いや、正確な人物名じゃないよ。

地球上に生きる生命の、なんという種族が作ったかな?

それは、人間ですね









 そうだ、と天之御中主は微笑む。






この世界に存在を置くことができる神は、いわば空想の産物なのだ。

居ると思ってくれることで信仰心となり神は力を蓄えることができる。

信頼の数だけ神の力になる、ということだ

うーん?

ボク、それでお礼を言われるようなこと、何かやりましたか?

お前、自分の知識を私からもらったことにしているだろう?

だって、そう言わないと面倒じゃないですか?

五歳児だし、家に本はありません。知ってても、いざどうして知ってるのか聞かれたら、ごまかす方法がないじゃないですか。朝顔さんが知ってる可能性もありますけど、妖精ですし、下手に注目は浴びたくないと思って……

ふふっ。そうだね。だが、その面倒が私に回り、存在を信じさせる要因になっている。少なくともこの三日で私を信じてくれた人が増えている。お前の知識が、私を助けてくれているのだ







 神の存在は、儚い。



 神話に生きる神々は、人々の信仰心なくては存在すら叶わない。






 賢誠が前世の記憶に天之御中主神という記憶を残してくれていたから、賢誠には会えた。そこから賢誠の行動が徐々に天之御中主という神がいるという信頼へ少しずつ繋がっている。






 天照大神のように信者が多ければ多いほどその存在を確立させ、力となる。





 逆に、天之御中主ように存在さえ認知されていない神は、この世に姿を顕現させることができない。こうやって賢誠と魂の縁を繋ぐぐらいしかできない……ーーもしかしたら、それさえも危うかったのかもしれない。





 神の力は、信仰心に比例する。





 信者が多ければ強く、少なければ弱い。




そして、信ずるものがいなくなれば消滅するほかない








 言葉を失って。


 少し重たい沈黙の中、ふわっと、記憶が蘇る。





 かつて、誰かが言っていた。

 偉人の言葉だったと思う。




 そうじゃなかったら、海賊達が活躍する少年漫画のワンシーンだ。雪国でトナカイを助けた医者が死に際に言った言葉だ。








人が本当に死ぬのは、名前を忘れさられた時

あぁ。

我々のような信仰神は、まさにそういう生き方しかできない。

存在が認知されなければ、私は存在することすら叶わない。

いや、そもそも存在意義などないのだ。

名も忘れ去られるほど神など人間達にとって不要ということだ






 賢誠は思う。





 人間だって、そんなシビアな生き方はしていない。



 不要だったとしても、生きることはできる。生きた屍のようにはなるけれども、不要になれば存在そのものが消えるなんてことは人間にない。






 今、自分の存在意義を見つけるために生きている人達は、もしかしたら贅沢な悩みなのかもしれない。


 存在意義が無いとかで、人間は死なない。誰かに必要としてほしいと、渇望することにはなっても生きることはできる。







賢誠。

肉体強化で柔軟性をあげたのは良い案だ。

だが、今は骨がしっかりはまっているから抜けられないんだ。

肉体強化したまま肩の関節を抜いてみなさい。

多少は痛いが、お前の今の体格なら鉄格子を抜けられる

本当ですか!?

あぁ。賢誠が外へ出られれば鉄格子の鍵穴を覗いておくれ。鍵を開けてあげよう。それぐらいの力は戻ってきたからね







 そうなんですか!? と、喜びはしゃぐ天之御中主は嬉しそうに微笑んで賢誠の頭を一撫でするとフワリと賢誠を空へと浮かばせる。




子供だからって、黙ってると思うなよ! 和泉村長!!










 天井にある真っ黒い穴へ、賢誠は飛び込んでいった。



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