現実に楽しいことなんてなかった。

だから、せめて……
空想の世界では、物語の中では幸せでいたいと思っていた。


……私は、何もない日常から幸せを空想する。

新しい兄弟が出来た。

彼は少し怖くて不器用な男の子。

いつも怒っていて、近付くと殴られそうで……。

でも、プリンを食べているときは別人みたいに笑顔で、少しも怖くなかった

それを兄さんも知っていた。
ソルが、本当は良い子だって知っていた。


私たちが二人だけの状況になると
必ずプリンを作ってくれた。



あの時は足りなかった。

ソルが自分でプリンを作ろうとしたときは驚いたけど……初めての事でワクワクした。



誰かと何かを作ることは初めてだった。

ソルと二人でプリンを作って、食べた時………あの瞬間だけは幸せになれるって思っていた。

エルカ

この物語…………いつもはソルに内緒で描いていたけれど。
このページはソルの目の前で描いた。彼が食べているのを見ながら

ソルがいつまでも食べているから、片づけられずに私は困っていた。


片付けはいつも私の仕事。

だから私は彼が食べ終わるのを待っていた。

何?

視線に気づいたソルが眉根を寄せる。

どうやら楽しんでいたところを邪魔してしまったらしい。睨まれたので、小さく息を飲みこむ。

片付けるの……だから待っているの

食べているところをさ……見られているのは恥ずかしい

………あ、ごめんね

………その辺で絵でも描いてなよ。あ、片付けは俺もやるからさ……

え? 片付けてくれるの?

意外な返答に私は目を瞬かせる。
見上げるとソルは鼻の上を掻きながら視線を反らした。

やりたくないけどさ……原因は俺だし……何よりさ……お前に怪我させるとアイツ怖いだろ?

兄さんは怖くないよ

お、俺には怖いんだ。すぐに食べ終わるからそれまでは好きなことしてなよ

……ってソルが言ったから、私は本を取り出して描いていた。

本人を目の前に描いたのはこれが最初で最後だった。


私が絵を描くことに夢中になっている。

そう思ったのだろうか、ソルは無防備に幸せそうな顔を浮かべていた。


私はその表情を盗み見て描いていた。

ああ、この笑顔は……

本の中で見た、プリン王子の笑顔と同じだ。

……次のページを開く。

エルカ

………

そこからは、黒く塗りつぶされていた。
 
どんなに描いても、怖いものを描いてしまった。

ソルが怖いものになってしまう。
プリン王子が怖い存在に変貌する。

ソルは怖くないはずなのに、怖いと思ってしまう。

幸せの欠片なんてどこにもない怖いものを描いてしまった。

真っ黒な目をした王子様が一人で闇の中に立ち尽くしている。

そんな絵を描いてしまった。


それが怖くて、私は黒で塗りつぶした。

ソルは言った。








あれは、ソルがやったからって。
あの怖いのは、ソルだったんだって。

私はソルを信じているから………その言葉も信じた。

本当は見ていたし、違うってことも知っていた。

あの男が来て暴れていたことも、本当は知っていた。

だけど……男の子でしかも年上の人に泣いて訴えられたのだから、従うしかない。

私は自分の目で見た真実よりも、ソルの言葉を信じたのだ。



私は絵本の続きを描こうとしたけど、描いては消して、描いては消して……、その繰り返しだった。結局描けなかった。

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