そして夕暮れ時。
そして夕暮れ時。
劇場表の映画ポスターに橙色が掛かる頃に裏方に回った菅原のPAでいよいよ幕が上がった。
客席は満員と言っていい入り具合。
客層は常連の老人老婆に加え、
一見の観光客、
菅原のゲストハウスにロングステイしている外人たちなど多種多様なメンツとなった。
春雄は秋子の遺影を抱えながら一番奥端の席でわが娘の姿をじっと見ていた。
夏美は銀幕に反射したお客さんたちのその光景に感動して涙を流しそうになったがグッと堪えて闊達の良い口上と共に活弁リサイタルを始めた。
びっしりと手書きで書き込まれた台本を基に流れる演目はチャールズチャップリン主演1921年製作の『キッド』。
町角に捨てられていた赤子を浮浪者のチャップリンが拾い育てる人情喜劇である。
子供にわざと民家のガラスを割らせてチャップリンが修理工を装ってお金を稼いだりするなど出鱈目な商売をしながらその日暮らしをする日々。
しかしそれはそう長くは続かず、
子供は警察の手によって施設に強制保護され、
最後には産みの母の元へと帰る古き良き話である。
❝A picture with a smile-and perhaps, a tearこれは笑いとたぶん涙のお話❞
という冒頭のテロップで始まる、
悲しみの中にある喜劇のメロドラマを通して夏美は自身の半生と理想をすべての登場人物に落とし込んで演じきった。
子供は幼少期の自分を、
チャップリンは父・松田春夫の親心を、
そして産みの母には今は遠き秋子の姿を投影させた。
お父さん!お父さん!
と心の奥底から叫んだし、
父の喪失感は自身が女優業を引退した時の虚無感を重ね合わせて落胆した。
ラストシーンの子供を自宅に迎え入れる母にはありったけの自身の母性を注ぎ込んだ。
夏美の迫真の活弁と銀幕に反射された名画のノスタルジーに観客たちは大いに笑い涙した。
そしてキャラクターたちに思い思いの人生のワンシーンを投影した。
小暮も例外ではなく粧子を思い浮かべたが、
依然とくらべ輪郭は薄まっていた。
きっとそれは隣に座ってポップコーンを食べながら号泣している織原経華の存在がそうさせていたからであった。
本当に感動的な映画ですね。とっても素敵なリサイタルに呼んでいただいてありがとうございます
礼は要らないよ。一番の立役者は君だ。みんな感謝してる。夏美さんもとても初めての活弁とは思えない立派な言い回しだな。所々に夏美さんの人生観溢れるアドリブが散りばめられていてとても味わい深い。ところで織原さん
はい?
また一緒に働いてくれないか?
経華は飲んでたコーラを口から吐き出した。
それから小暮の顔をポカンと眺めてポロリと新しい涙を流した。
小暮は慌ててハンカチを出したものの果たして涙かコーラかどちらを先に拭いたらいいかオドオドしているうちに、
弾みで肘をぶつけてポップコーンを床にぶちまけてしまう。
他の観客に悟られぬようにその一粒一粒を二人で四つん這いになって拾いながらクスクスと笑い合う。
ごめんなさい。また私がミスを誘発してしまいました
問題ない。
別に今に始まった事じゃないだろうう?
かもしれません!
ところで返事はどうかな?
卒業か就職が決まるまでの間でいいし、
君が大丈夫ならいつまでだっていたって構わない
嬉しいですけど本当に良いんですか?
どうせまた私先生の足を引っ張ってしまいますよ?
バカな言動もいっぱいするでしょう。
バイト代の割に合わないかもしれません
たしかに君は俺の調子を狂わせる。でも気づいたんだ。
君の過ちは俺に新しい発見を与える。やはり女性が付き添いだと患者さんに対しての印象も良いし、君の愛嬌も割と評判だということがよくわかった。何だかんだで本業のギャンブルも上手く回っているしね。それを考えると君を再雇用する事は十分な費用対効果だと言えるかな
またそうやっていろいろと回りくどい言い方をするんですね
じゃあ、バカでも100%わかるように言ってやる。そばにいてくれよ。君の事をもっと好きになりたいんだ
座席下の死角に隠れて小暮は経華の涙を拭い、
額や頬を愛しく撫でてからキスをした。
その姿はまるで軒先で野良猫同士がじゃれ合うようであった。
❝意味を考えていたら始まらないよ。人生ってのは欲望さ。意味なんてどうでもいいじゃないか❞
チャールズ・チャップリン
第8章
タイムス・ライク・ディーズ
完