えっ……

 小さな呟きと共に、呆気にとられた顔をこちらに向ける彼女。
 けれど、私はよどみなく足を進め、彼女の横に並ぶ。
 そして、手元の光を掲げながら、言った。

吸いなさい、グリ

『はいよぉ』

 私は、手元の光――カンテラと呼ばれている道具に似ている、私の相方に、指示をする。
 グリの返答は、素早い。
 彼も、よくわかっている。私のことも、眼の前の光のことも。
 だから、彼は自身の光源を強く引き締める。
 合わせるように、私も動く。
 彼の身体を、カンテラと光を、眼の前の塊へとさしだす。

……!

 すると、眼の前の光の塊が、変化する。
 ――ケイレン、という言葉を、聞いたことがある。身体が小刻みに動いて、止まらなくなること。
 もしかすると、それは、こういう動きのことなのかもしれない。
 ケイレンしながら、光の形が不定形に。
 四方に伸ばしていた枝は、元の球状に戻り、明滅を繰り返す。

えっ、えっ……!?

 慌てるような彼女の声は気にせず、私は、塊の様子を注目し続ける。
 間を待たずに、その塊にまた変化が訪れた。
 淡い光を発する塊は、その上部を変形させ、ゆっくりと盛り上げさせ始めた。

えっ、そんな……!

 彼女も、その塊の変化、それに私の行動の意味に気づいたようだ。
 塊の盛り上がりはさらに伸び。
 ――細い、細い糸を引くように、上へ上へと上がっていく。
 その先に目標はなく、ゆらゆらと揺れるように、彷徨(さまよ)うだけ。
 そして、その彷徨(さまよ)う先端は……次第に淡く、煙のように、闇に溶け込むように消えていく。

……こっちよ

 その声が聞こえるのか、私はわからない。
 ただ、誘うように、小さくその光へ呼びかける。
 カンテラを先に差しだし、グリの照らし出す光へ、闇を踊る光の糸に近づける。

 すると……まるで、引き寄せられるように、その光の糸は私とグリへと向かってくる。
 代わりに大元の塊が、形を削られるように……その輪郭を、次第に薄く無くしていく。

だめ、

だめです……!

 最初はぼんやりと、次いで大きな声で。
 光の糸と私を交互に見る彼女は、慌てた様子で告げる。
 大急ぎで私へと近寄ってくる、彼女の瞳。
 それは、まっすぐで、強い。

お願いです、やめてください!

 彼女はわたしの腕をつかみ、止めようとする。
 だが、その腕にあまり力は入っていない。
 ……無理に動かしたり、引き離せば、この光の糸がどうなるのか、知っているからだろう。
 道筋をなくし、また形となる力を奪われてしまった残りがどうなるか、彼女なら知っているはずだから。
 ――そう。知っているくせに、と、私は心の中で呟く。
 無邪気そうな顔に、必死な行動に、言い捨ててやりたい衝動が渦巻く。
 だけれど……言ってしまえば、この手元が狂いそうだとも想い、耐える。
 その間に、眼の前の光から立ち上った光の糸は、カンテラの中へと吸収されていく。

『順調だなぁ。もう少し、かねぇ』

少し待てば、終わるわ

 グリの言葉を、私はただ反復する。
 暗に、諦めろ、と言ったのに。

待って、待ってくださ……

 なおもすがりつく彼女に、耐えきれず、私は吐いた。

……なにを、どうしようと、待つの!

 断定するようにそう言えたのは、確信があったからだ。

それは……!

 握られた手と、シワを寄せた顔。悩み、苦み、なにかを考えている。
 だが、変わらないことを、知っている顔でもある。
 だから、動けない。私を、止めることもできない。
 ふりきって、変わるのなら……こうして、グリに吸われるままの今を、止める行動にも出るだろう。
 ――彼女の行動に、意味はない。なのに、そんなにも、何に苦しんでいるのだろう。苦しんだところで……。

(……霧は、思考を惑わす、だったかしら)

 眼の前の光へ視線を戻す。
 人型になりきれない、重く揺れ動く光の塊。
 薄く輝き、広がる姿を、かつてグリは『霧が光るよう』と言った。
 また、かつての世界の形をとろうともがく光の姿を、『ハチミツのようだなぁ』と呟いたこともある。
 どちらも、この世界で私は、見たことがない。
 想像できないそれらが、なんなのか。別の機会に、私は聞いたことがあった。
 そして、最後にぽつりと、付け加えるように言われたのだ。
 ――そのどちらも、踏み入れば、身動きがとれなくなるものであると。

(危険なものであれば……踏み入らない。たとえ、それが知らぬものであっても)

 私は、本物を知らない。偽物なのかも、わからない。
 ……けれど。
 それらがどちらも危険であれば、今と変わることはない。
 知る必要は、ないはずなのだ。

 ――全て、この闇を払うだけの、燃料。
 どうして、必要なの?

『そろそろ、終わりだなぁ』

 次第にグリの身体へと集まる光が薄くなっていくことには、私も気づいていた。
 それに合わせるように周囲の光量も少しずつ低くなり、周囲の闇が鮮明になる。
 残るのは、カンテラから灯るグリの光と、彼女が灯すスーという光だけ。
 音は、ない。
 私達の光にも、周囲の闇にも、今、音をたてる者はいない。
 音をたてられる私達も……今、眼の前で消えゆく一つの光の塊を、じっと見つめる。
 私と彼女の息づかい、そして服の音。
 それ以外はなにも響かない静謐な世界で、一つの光がグリへと吸収される。

……これで、終わり

 感情を殺しながら、私は呟く。
 光の塊が落ちてくる前、彼女と出会った時のような、圧倒的な闇が支配する世界の中で。

 眼の前の光の残滓を見つめながら、眼を細める。
 残った薄く白い光が、次第に闇へと溶けていく。

どの程度だったかしら、グリ

 吸い込んだ状態を確認しようと、私は声をかける。

『まぁ、ある程度は持つんじゃねぇかなぁ。ただ、やっぱり早く次を見つけねぇと』

そう。仕方ないわね

 仕方がない。
 ……そう、仕方がないのだ。
 この闇で存在し続けられるものは、多くない。
 ならば、と、私とグリは決めたのだ。
 ――光を保てる私達と、いつかは消える光。なら、その光をどうするか。

(そう……。もう、決めたこと、なのよ)

 少しだけ、口元の息を交換し、力を抜く。
 なのに、手元をぎゅっと押さえてくる彼女は、まだ、離れない。

……どうして、ですか

 ゆっくりと、私へと向けられる、強い視線。
 出会った時から見せている明るさとは、真逆の意思。
 辛さをこらえたような、潤みを持った瞳。
 悲しいのか、悔しいのか、責めたいのか。
 ――だけれど、わからない。決めた私には、わからないのだ。

逆に聞きたいわ。
なぜ、やめなければいけないの

なぜ、なぜって……!

 私の問いに答えるためか、彼女はようやく手を離す。
 そして、光を持っていない方の手を指し示すように広げ、言う。

だって、もう少しで、形になりそうだったんですよ……!

 その手の先は、なにもない、闇のみが残る空間。
 先ほどまで、確かにあった。
 彼女が形を持つことを願い、そして、私がグリに吸収するよう願った、光の場所。
 そこになにかがあったと聞かれれば、否定はしない。

聞き方を変えるわ。
どうして、そんなに必死なの

 だから、私は聞き方を変えた。

あの光を待つことに、いえ……
光が形を持つことに、なぜ、期待するの

形を持つことに、期待……?

 その問いかけは、彼女にとって理解できないことでもあったようだ。

だって、取り戻してほしいじゃないですか

 その言葉に、二重の意味で、息を吐く。
 心を落ち着け、言葉を選ぶ。
 あのまま待つことに、意味があったとは想えない。
 むしろ、私は、確信している。
 ――だからこそ、ようやく、この言葉を告げる。

形など取り戻さない方が、お互いにとって、幸せじゃないかしら

そんなこと、ありません!

 間髪入れず、彼女は言葉を切り返してくる。
 まっすぐに、こちらへの視線を逸らさず、彼女は訴えかけてくる。

だって、こんな一方的なやりかたは……!

一方的?

 彼女の言葉に、私は聞き返した。
 できるだけ冷静に、忘れていることを想い出させるように、しっかりと一言一句を正確に。

あなただって、やっていることでしょう

……っ

ある同じ形の違う歩み・04

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