グリ

『あいよぉ。さってとぉ……』

 ゆっくり、グリを頭上へと掲げる。

 カンテラから漏れる光が近づくと、遠い闇の果てにある光の塊へ、グリの光がかすかにつながっていく。

スーさん……

 横から、彼女が呼びかける声が聞こえる。
 私と同じように、彼女も自分の光を持ち上げる。
 かぼそい光が、グリの光を追うように続いていく。
 二つの光が、周囲の闇を照らすように、ゆるやかに広がり。
 そしてその広がりが、光の塊の輪郭を鮮明にしていく。
 闇に潰されそうに縮こまっていた、丸い形。絞られた円形が、少しずつ膨れ、揺れる動きを見せる。
 ぐっ、ぐっ、と、身を悶えさせた果実は。

あっ、落ちてしまいます……!

 なにかから離れるように、その身を闇へと手放した。
 光の塊は、こちらへ向かってくるように。
 私たちの身体へ近づくように、移動してくる。

(落ちる、と言うのが、正しいのかはわからないけれど)

 落ちる、というのは、私達にとっての視点だ。
 上から下へ、身体が引かれる方へ、物が落ちる法則。かつての世界には、そんな法則があったという。
 ――ただこの闇の世界に、上下や左右の概念があるのか……わからないけれど。

(そう、教えてもらっただけ。そういう現象に、似ているって)

 全て、グリから聞いた話。
 私の眼と、グリの眼が、同じように見ているものに、名付けた感覚。
 ――名前を付けるのは大切だと、グリは言った。
 意味を与えなければ、全てはすぎていき、理解も出来ず。
 ……それが、本当の闇なのだと。

『小さいなぁ。弾けちまわねえか?』

 落ちてくる光を見て、グリが一言。
 はっとして、また落ちてくる光を見つめる。

そうなっても……

 かまわない。
 たとえ、落ちた先で耐えきれず、潰れてしまっても……と、言い掛けたところで。

危ないです、スーさん!

 彼女と光が、足を踏み出す。

えっ……

 予想外の動きに、彼女の横顔を見つめることしかできない。
 すぐに、後ろ姿。とたとたと走る姿は、どこか必死さが足りず、けれどまっすぐに進んでいるのがわかる。
 そして、その幼い足取りが向かうのは――光の、落下地点。

(なぜ……?)

 次いで私も、ゆっくりと彼女の背中をついていく。
 光の落ちた先は、おおよそ予測できる。
 急ぐ必要はない。彼女も、その手の中の光も、知っているはずなのだ。
 ――あの光が、この後どうなるのかを。
 すでに、見慣れているんだと、想いたいのに。

間に合いました……!

 光を掲げる彼女に追いつき、その横顔を見る。
 ――また、あの笑顔。心から喜んでいるように微笑む、邪気のない顔。
 彼女の手の中、スーさんと呼ばれる光から、柔らかい光が放射されている。
 広がった光は、先ほどから落下を続けている光の塊と交わり、その速度を和らげている。
 柔らかいもので包みこむような役割を、光は果たしているようだった。

ありがとうございます、スーさん♪

 笑顔を向けるのは、手元の光へも。
 けれど……気づいて、いるはずだ。
 それは、吸い取った光達を溢れさせ、消費させる行為。
 この闇の世界。いつ、その姿を喰われてもおかしくない世界の、かすかな灯火でもあるはずなのに。
 彼女と、その光は――こんな無駄遣いを、どうして笑顔でしているの。

(グリにも、できるけれど……限りある、ことなのに)

 確かに、落下をそのままにし、砕け散った光は弱くなる。
 でも、眼の前に落ちてくるのは、未熟な光の塊だ。

(どうして彼女は、彼女の光は、無駄なことをしているの)

 ――なぜ、彼女は。彼女の光は。
 ――明日なき光に、優しい光を差し伸べるのか。

……どうして、なの

ほえ? なにがですか

その光、のことよ。あなた、今、その光を……

はい、よかったです!
もう少しで、この光の方と、お話しできるかもしれないんですから♪

お、はな、し……?

 ぞくり、と背筋が震え、身体が無意識にざわめく。
 先ほども、彼女が口にしていた言葉を、想い出す。

――はい!
リンは、出会った方とお話しするのを、とても楽しみで、大切にしたいんです!

 眼の前の彼女が、私と同じような光を持っている彼女が、理解できない。

 ――消えるだけしかない光に、優しさを与えて、どうするというのか。

えいおー、えいおー!
ほら、あなたも、応援です♪

 彼女は腰を屈め、眼には明るさを満たして、両の手を握りながら、淡い光の塊へと声をかけている。

ほら、早く♪

 差し出された、彼女の左手。
 汚れのない、綺麗で細い指先。
 この闇の中で、なんの穢れにも触れていないような、白い肌の手。
 視線を動かし、瞳が交わるのは――迷いのない、無邪気な笑顔。
 それを支える、透き通るような色の二つの瞳。
 その視線の先に、求められているのは……。

(私、なの?)

 ……空いた手で、胸元を押さえる。
 身体の奥、想像もできない部分が、なにかざわめくのを感じた。

えっと……?

 不思議そうな彼女の顔から、眼をそらす。
 そうしなければ……胸の奥のざわつきが、収まりそうになかったから。
 あの……と、彼女が小さく呟いた時。

はわわ……!

 声を上げた彼女へ、少しだけ視線を戻す。
 背中越しにも、見てとれた。眼の前の光の塊が、形を成そうと、光を強めている光景が。

がんばってください!
ほら、もう一歩ですよ!

 彼女はまた、その光への呼びかけを行う。
 おそらくその顔には、さっきのような笑みが浮かんでいることだろう。
 ――けれど私は、その光の塊を見て、気づいていた。

『セリンよぉ、気づいているとは想うが……』

……あなた、なにを言っているの

 それは、グリにではなく、彼女へのものだった。
 察してくれたのか、グリは言葉を続けなかった。
 むしろ察しないのは、問いかけられた彼女の方だった。

もちろん、応援ですよ!
リン、この方がどんな姿になるのか、とっても期待してしまうんです

 その言葉に、また、手元の力が強くなる。

なんですって……?

 希望を見るのは、勝手だ。
 彼女が勝手に考え、勝手に光を照らし、勝手に形のない姿を想像するのなら、かまわない。
 けれど。
 けれど、違う。
 希望のない塊に。
 勝手に、願いを押しつけるように、光を与え。
 その形を、与えようとする。
 ――それが、その行為が、お互いにどんな意味があるというのか。

(……っ、あっ……!)

 胸の中に渦巻く、焼け付くような感情。
 カンテラを持つ手が、揺れる。
 力を込めすぎているのを自覚しているけれど、ここで吐き出さなければ、代わりがどこかへいってしまいそうだった。
 けれど同時に、グリの伝える硬さと冷たさが、冷静さを与えてくれもする。
 ……文句一つ言わず、私の気持ちを受け止めてくれているのも、悔しいけれど嬉しくも想う。

はわわ、もう少しです、がんばって……!

 そんな私の様子に気づいているのか、いないのか――いないだろう――、彼女は変わらず眼の前の光の塊に応援を送る。
 それに応えているのか、本能なのか。
 眼の前で蠢く光の塊は、伸び、戻り、揺れ、溶け、淡く漂う。
 次第に、その分かれた部分はそれぞれの形をとろうと、もがくけれど。
 ――もがく、けれど。

(やっぱり、やっぱりだ……)

 これだけ、グリやもう一つの光を与えても、伸びた四肢や指先は、固まらずに一瞬で元に戻ってしまう。
 ……冷めた心で、私は手元のカンテラを、静かに持ち上げる。

 ――後は、闇に呑まれるか、私達に吸われるか。それしかない。

(ない、のだから)

くだらない

 終わらせるのが、当たり前のこと。

ある同じ形の違う歩み・03

facebook twitter
pagetop