じゃあ、サイン書いてもらえば?

そ、そうか! じゃあ、今から色紙を……――

それも良いけど、服に書いてももった方が思い出になると思うよ?

それは名案だ!









 嬉しそうな刀弥を見て、賢誠もご満悦だった。



 さっきは鬼のごとく無慈悲に敵をほふった怖い兄貴とは思えないほどの豹変ぶりだ。油性ペンを貰ってくると部屋を飛び出していってしまった。





 しかし、もっと驚くべきは今の光景かもしれない。





敵国『果夜国』の首領、織田信長

織田信長家臣・薬研藤四郎

晴渡国皇女、三文字幸乃

その息子・三文字右京

晴渡国宮廷魔術師・樹神仁











 彼らは同じ部屋に面と顔を付き合わせているのである。しかも本来であれば出場する生徒が待機する個室という狭い場所でだ。





 朝顔は現在、席を外している。薬研や、そこの宮廷魔術師に妖精であることを見抜かれる可能性があるからだ。



 そのかわり、緑の幼女がいらっしゃる。雅の背に子泣き爺のようにへばりついている。それを









ご機嫌麗しゅう、晴渡国皇女殿下。この前の件でしたらお断り申し上げたはずだが?

うふふ。事情が変わってしまったのよ。この子達が織田信長候を大衆の面前に晒してくれたから、国王が直々に警護せねばという話になったのよ

ハッキリ言っておこう。貸しの押しつけは要らん

残念。あなたと私が作る貸しを愛とお詫びの気持ちだけでチャラにするのが今回の目的なの。だって、私達ったら無能なんだもの









 皇女は手に持っていた扇子をパタリとたたみ、眉間に小じわを刻んで増溜め息を溢した。



 そこへペンを握って戻ってきた刀弥は早速、上着を脱いで服を織田に差し出した。






 その背中にサインを書いてもらってこの上なく喜ぶ刀弥を見ると、三文字幸乃はペンを寄越すように言って雅のスカートと雪村のスカーフの部分に名前を書いてあげる、という。



 猛烈な勢いで喜ぶ嫁候補にお前にも書いてやるというと物凄い拒絶され、何故か矛先は賢誠。俺の名前を書いてやる、と織田。





 それを断ると、幸乃はやっぱり私の名前が良いわよね、と得意気にペンを握る。無駄な争いが勃発したのを察知して、織田信長と三文字幸乃の二人から直筆をいただくことにした。





 そして、もう一人の元へパタパタと。




 さっきから瞬き以外は全く動かない三文字幸乃の息子たる右京の元へペンと服を握って差し出した。






王子様からもほしいです!







 右京は、特に表情も変えずに賢誠をじぃっと見下ろした。






私の名前など書いて、何が良いのですか? 母上だけ有れば十分ですよ

親子共演して、それに織田さんの名前も入っていれば売り飛ばした時に大金になるかな、と思って









 おい! と刀弥に怒られたが、賢誠はそれよりももっと良いことを思い付いた。背中の上の部分に空いている隙間へ指を差す。






この部分に『天衣無縫様』って書いて、益々のご活躍を期待してます、ってコメントと、その下に王子様のお名前を書いてください。それで、これを天衣無縫のお店で飾れば、もっとお客さんが来てくれるかもしれない!

喜助お兄ちゃんもイノさんも、喜んでくれそうねぇ

これでお土産代をケチっても大丈夫ですよ、刀弥兄さん!









 強かに天衣無縫への土産代をケチりにかかった賢誠に、刀弥はそれで良いのか? と首を傾げた。



 賢誠にしてみれば、本屋に飾ってある作者のお礼色紙みたいなものだ。それを洋服の背に施してもらうのだ。






 どうせなら証拠写真もほしいところだよね、と賢誠は呟く。



 右京は言われた通りに激励の言葉を連ねて、名を綴ると賢誠に差し出した。




 賢誠はそれを受け取って高らかに掲げた直後、ひょいっと幸乃に腕の部分に一筆お言葉をいただき、それならばと織田も反対側の腕に『俺の服も作れ』と男らしく書き殴った。






織田候。私と勝負致しませんこと? まぁ、私が勝つから、あなたには私の条件を飲みなさい

何を言い出すかと思えば。女の首を切るのは趣味じゃあない

でしょうねぇ。奥様を大事に思ってくださる方のようですし。でも、私が提案する勝負は『かくれんぼ』よ








 かくれんぼ? と織田信長と薬研は怪訝そうにシワを寄せた。





そんな子供の遊びなんぞで勝負になるものか

簡単よ。こちらが指名する人間に隠れてもらって、それをあなた達が一人でも見つけられたら勝ちにしてあげるわ。まぁ、見つけられないけれど

まるで話を聞く気がないようだが、お得意の未来予知か。

ずいぶんとまぁ、自信がお有りのようだな。隠れるのはやはり、そこの宮廷魔術師か?









 織田信長は、ちらりと後ろに控えて立っている黒髪を長く垂らしている男を一瞥した。






いいえ。赤石刀弥、赤石賢誠。
お前達二人よ

はい?

はい?







 突然の指名に賢誠と刀弥は互いに顔を見合わせて、パチパチと目を瞬かせた。



 皇女はニッコリと微笑む。その様子を見守っていた右京がチラリと幸乃を見上げた。





隠れるぐらいなら、私もできます

うふふ。お前には織田候の後に私と一緒に刀弥を見つけましょう? お前のビックリする顔を見れると思うと嬉しいの








 幸乃は嬉しそうに右京の頭を撫でる。



 そんな愛撫に右京は何の反応も示さなかった。普通、人前で母親に撫でられると恥ずかしい年頃ではあるのだが、そんな感情は欠如しているかのようだった。






 三文字幸乃が指定した隠れ場所はこの控え室はぐるりと一周できるように輪を描いているフロアだ。壁際には物がゴソゴソ置いてある。



 隠れるところと言えば控え室の中ぐらいしかない……――だが、それは普通のかくれんぼするならばの話である。



 これは肉体強化の出番だ。賢誠は刀弥とアイコンタクト。







なら、手分けして探すか

信長様。危険ですので、この薬研藤四郎が見つけます

この中だけなんだから良いだろう

立場と状況をお考えください

そうねぇ? こわぁい暗殺者が闊歩しているものねぇ? でも二人で探すのをお薦めするわ。だって、この二人が隠れるところは見つけるのが難しいわよ?








 クスクスと幸乃は肩を震わせる。



 制限時間は二十分。二十分以内に見つけられなければ部屋に戻ってくること。戻ってこなかったら宮廷魔術師が連れ戻しに来るから好きなだけ探していれば良い、と穏やかに笑いかけて、『かくれんぼ』はスタートした。























 賢誠と刀弥は飛び出していく。




 賢誠は近くにあった手頃な箱……ーーと言っても、身長八〇センチの賢誠がギリギリいけるかどうかは分からない焦げ茶の塗装が少し剥がれた木箱があった。




 この辺りには隠れられそうな箱がコレしかない。賢誠は試しに身体を折り曲げていく。無理に押し込めてみたら少し痛かったが、大丈夫そうだと身体をねじ込んだ。段ボールと違い、作りがガッシリしている木箱ならため無理にねじ込んでも箱の方が壊れることはない。




 仕上げに、体を揺らして箱をひっくり返す。賢誠の入り口側が地面になるように。箱は一縦になると、勢いよく倒れた。







 呼吸が、少々苦しい。もう少し余裕のあるものであれば楽に呼吸できるのだが、小さい分、肺が圧迫されて思うように呼吸できなかった。このことはあとで刀弥に伝えておかなくては。




 いざ身体を起こそうとしたが……ーー抜けない。
 ぐぬぬ、と力を込めるが、いっこうに抜けそうになかった。




 狭いところ大好きな猫が、狭いところに入って抜け出せなくなったかのようだった。猫なら可愛いが、人間がやればただの阿呆である。



 やばい! と賢誠はもがいた。このままでは魔法の効果が切れたときに身体のダメージが大きい。






助けてぇえええーー!









 隠れなければいけないのに見つけてもらわなければ死ぬという窮地に立たされた。




 見つけてくれと願うぐらいだから本末転倒も良いところだった。



 ガタガタと賢誠は暴れる。箱が一人でに動く奇妙な光景になっていた。大半であれば恐ろしくて近寄らない。






 しかし、そこへ一つの人影が歩み寄ってくる。


 箱を軽々起こすと、側面の木板を破無造作に壊す。



 賢誠が箱から飛び出した直後、肉体強化の効果が切れた感覚が襲った。助かると分かった賢誠の集中力が切れたからだ。




 ほぼギリギリだ。本当に死んでいたかもしれない。最悪、圧迫死。



 というか、箱に詰まったまま死亡とかどんだけアホな死に方だ。無様にもほどがある!






ありがとうございます、お兄さぁーん!

よく入れたな。こんな小さな箱に

入れましたけど抜けなかったんです!







 頭を下げて、賢誠は屈強な男に礼を述べた。肩まで伸ばしている波打った髪の隙間から覗いた顔は表情は、当たり前だと言っていた。





 もうすぐ織田チームが探しにくる時間になってしまう。



 さっきの箱しか賢誠が隠れてもバレなさそうな物はなかった。どうしようかーーと困り果てた時に、男性の肩に引っ提げてある袋に目が止まった。





 おおよそ普段の賢誠が入れそうにはない大きさだが肉体強化で柔軟性を上げれば問題はない。



 袋を貸してくれとお願いすると、男は無表情で賢誠に手渡した。賢誠は改めて肉体強化魔法を自身に施すと、尻から入り、足を折り曲げながらモゾモゾと入っていった。感心しながら見下ろす男に口を閉じるようにお願いした。




 紐を引っ張れば、口が閉じた。




 そこで、ちょうど、ドアが開いた。


 出てきたのは織田信長と薬研藤四郎。二人は二手に分かれ、織田信長が男に声をかける。





おい、お前。男児と黒髪の青年を見なかったか

男児ならこの袋の中だ









 さっそくバラされた! と賢誠はちょっと慌てた。この男性には何の事情も説明しないで袋に入れさせてもらったのだった。失念していた賢誠だったが、織田信長はクツクツと笑って腕を組む。






お前、面白い冗談を言う。見てないなら、そう言え








 じゃあな、と織田は颯爽と去っていった。




 賢誠はそれに安堵を吐いて、遠ざかる織田信長の足音を聞きながら、にょきっと腕を伸ばして袋の口を開けた。





























 もぞもぞと抜け出してきた子供はまた頭を下げた。




 ずいぶん、面白い使い方をする。権兵衛は思った。
さっきは気づかなかったが、着ている服に織田信長の直筆が書き込まれていることにも気づいた。




 それに、たった今、声をかけてきたのも織田信長だ。彼が探す子供……――それに、今の肉体強化の使い方。



 もしかして、織田信長が新しく仲間を連れてきたのか……――。







お兄さん、ありがとうございます! ひょっとして、刀弥兄さんの通う武術学校の先生ですか?






 ここが生徒用の控え室だというのは分かっていた。関係者以外立ち入り禁止と書いてあったが、あまりにも人間が雪崩れ込んできたから権兵衛は今日の日程が終了するまで何処かに潜んでいようと思ったのだ。





 権兵衛は人目につけば目立つ容姿をしている。外面が良いというわけではない。権兵衛はこの島の外から渡ってきた身で、この島の人間達と違って体つきも良いから異国民だと直ぐに分かる。


 なので、権兵衛は普段から人気の無い場所を見つけてそこを根城にするのだ。





 果夜国でも貧民街にいたのはそのためだ。


 必要以上に、人目に触れないようにしていた。


 この無邪気に肉体強化の新たな使い方をしている子供は、名乗る。






ボク、赤石賢誠です! 先生のお名前は聞いてもよろしいですか?








 子供は面倒臭い。



 一睨みすれば、大概の子供は逃げるのだが、たった今も睨んでいるというのに子供はたじろぐ様子もなかった。


 それどころか、外人さんですよね? と逆に興味を抱いて権兵衛の周りをウロチョロする始末だ。適当にあしらうおう。






 権兵衛は口を動かした。



 何を思ったかは分からないが、権兵衛は生まれた時に与えられた名で、名乗っていた。






ルームフェル・ヴァールハイトだ






祖国を出ると同時に
捨てた名を。
















 








 








 

 幸乃の頭の中で金具と金具がぶつかりあったような音がした。




 クルクルと『運命』が動き出す。



 幸乃の中に見えていた未来が、書き換わる。





 その異常事態に気づいたのは、最愛の息子のである右京だった。




 心配そうに覗きこんでくる愛しい息子は眉尻を垂れていた。どうしたのですか、と尋ねてきた。





 安請け合いで大丈夫などといえる状況ではなかった。






 なぜならば、今回の『かくれんぼ』には二つの目的があったからだ。



 一つは織田信長に自身の命を狙っている男の顔を拝ませてやること。そして、もう一つはこちらの提示する条件を呑ませること。その代わり、命の保証を確実にするというものだった。







 それが今、ガチリ! と変わってしまったのだ。






 幸乃の未来予知は複数の選択肢を覗き見ることができる。



 短時間であれば近況三秒後から、もう少し時間をかけて見ることができれば何日と先を、もっと詳細を詳しく知りたければ更に時間を費やして覗くことができる。



 たった今、書き変わったものをじっくり見る余裕はない。






 でも、今、確実に状況が変わった。



 ただすれ違うだけだった三人が、密接に絡み合う未来がほんの一瞬で見えた。




 すると、突然、雅は。




そうだ!








 手を叩き合わせた。






雅のお願い決めた! 賢誠のやりたいこと、全部やってあげて!

は?







 全員が、クルリと雅の方へ振り向いた。




 雅はそれを言うだけで、もう満足そうにニッコリと笑う。






雅。今、その話は後にして。不味いことになったの……――

織田さんの命を狙ってる人が賢誠と一緒にこの部屋に来ちゃうのよね?

そう、その通りよ










 雅が言えば何のことだ、と誰もが疑問を抱くが、それを幸乃が認めれば話は別だ。とたんに、室内の空気が冷え冷えと変わった。




 幸乃と雅を除いて、誰もがドアへ視線を集中させた。






 武人の娘である雪村齋が鋭く睨む。



 愛する息子も袖口に忍ばせてあるクナイをいつでも出せるように準備する。


 そばの宮廷魔術師……ーー樹神仁は胸元から一枚、布を取り出した。





 きぃい、と扉は軋んだ音をたてて開かれる。



 そこから潜り抜けてきたのは、見るからに外国人だとわかるガタイの良い男だ。真新しい濃紺の着物からはでも、その屈強な肉体であることがわかる。背が高いので、ドアの高さとちょうど同じぐらいだ。波打つ黒髪を肩まで伸ばしているそんな男の肩に乗っていた賢誠は、慌てたように待って! と叫んだが、遅かった。










 男が入室と同時に肩の上の賢誠は盛大に顔面をドアの上部に打ち付けた。


 しかも、かなり、良い音がした。


 ぶへ! と間抜けな声をあげる賢誠。







すまない。大丈夫か?







 のけぞった状態から賢誠はムクリと顔を真っ赤にして涙ぐんだ。




 だいじょーぶ、とか言ってるが明らかに痩せ我慢だった。ぷるぷる震えて、生まれたての小鹿のようである。





 緊張状態の中、ほんわかーとしている少女は暗殺者であるその男の元へと駆けつけ、痛みに悶絶している賢誠の頭をよしよしと撫でた。







オジサン、大事な袋を貸してくれてありがとう。賢誠、もうあんな小さい木箱に入っちゃダメよ?

雅お姉ちゃぁあああん!







 五歳児は、ついにぎゃあぎゃあ泣き出した。



 かなり痛かった。猛烈に痛かったと訴えて、連れてきた暗殺者の心を容赦なくグリグリ抉るのだった。 

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