その日も、よく晴れた気持ちの好い日だった

  彩月たちが屋上を調べた、その日と同じく

…………

   鍵が閉まり、誰も入れない筈の屋上に

         誰かが一人

   静かにぼんやりと、立ち尽くしている

         時は放課後

   下校する生徒達の声がかすかに聞こえる

     その喧噪を遠くに聞きながら

        屋上に居る誰かは

      変わらず立ち尽くしていた

          そこに――

ああ、やっぱりここに
居たんですね――

       掛かっていた鍵を開け

   五郎は屋上に立ち尽くす彼女を呼んだ

――柊朱音さん

……山田先生

     授業をするために教室に来た

  とでも言いたげな程、平然とした口調で

       自分を呼んだ五郎に

     朱音は僅かに言いよどんだ後

       ためらいがちに尋ねた

なんで、先生が……
ここに?

教師だからですよ

……え?

     困惑する朱音に、五郎は言った

まずは、お礼をひとつ

彩月たちが屋上で人を見たって
言った時、話を合わせてくれたでしょ?

お蔭であの子達の頑張りが
無碍にされずに済みました

ありがとう

……そんなの

 五郎の言葉に、朱音は後ろめたそうに口ごもる

   けれど、何かを口にしようと思い悩む

  口にするべき言葉を出せないでいる朱音に

…………

      五郎は静かに待っていた

 短くは無い、けれど長くも無い時間が過ぎた後

別に……お礼を言われるような
ことはしてません……だって――

あの日屋上に居たのは
自分だったから、ですか?

…………

      言葉を返せない朱音に

       五郎は続けて言った

あの日、彩月の友達の子が
屋上で誰かを見たそうです

ならば、フェンスギリギリまで
その人物は近付いていた筈です

そうでもなければ屋上に
誰かが居たとしても
そうそう見えるものでは
ありません

さて、ここで疑問が一つ
その状態で屋上に居る誰かを
発見する事が出来て、すぐに
駈けつけられる場所は
どれほどあるでしょうね?

あまり多くは無いでしょう
少なくとも、見える方向は
重なっている筈です

そうであるならば
貴女は屋上に誰かが居ると
発見した時は、彩月たちの
比較的近くに居たと考えるのが
妥当だと思いませんか?

けれど貴女が、彩月たちの
後に職員室に来たのは、彩月たちが
職員室に残っていた藤原先生に
事情を話し、それでも動いて
くれないから説得をし続けた
その後です。随分と時間が経ってますね

柊朱音さん。貴女は一体どこで
屋上に居る筈の誰かを見たんでしょうね

それは……その……

     答えられずに口ごもる朱音に

      五郎はくすくすと笑うと

好い子ですね、貴女は

あの時、屋上に人を見た
と言ったのは、彩月たちが
嘘をついていると思われないように
するためなんでしょう?

そんなの……違います

    僅かに語気を強め、朱音は言った

別に私は、良い子なんかじゃ
ありません。だって……

私は、悪いこと、してるんですから

それが屋上に不法侵入、ですか?

……はい

     思いつめたように返す朱音に

悪いこと、してみたかったんですか? 

     遊びに誘うような気楽な声で

        五郎は問い掛けた

……え?

怒ら、ないの?

   思ってもいなかった五郎の問い掛けに

   朱音は虚を突かれたように言葉に詰まる

   僅かに生まれた惚けるような意識の空白

     その隙を突くように五郎は続けた

悪いことをしてみたい
という想いと
悪いことが好きという
欲求はそれぞれ別の物ですよ

貴女はどちらですか?
柊朱音さん

……それは

朱音は、自分の想いを確かめるような間を置いて

      自分の在り様を五郎に告げた

悪いことを、してみたかったんです

だって、それが……
私のしてみたい事だったから

自分がやりたいと思ったことを
してみたかった。だから実行した

そういうことなんですね

はい

      迷いなく言い切る朱音に

       五郎は笑顔で返した

素晴らしい! 自分の想いに
正直であること。素直で好いですよ

ぇ……でも……
悪いこと、ですよ……

もちろん、それはいけないことです
悪い事をするのは、良くない事です

でもね、柊さん。自分がしたいと
心から想っていること。それを
実行するために労を費やし叶えること 

それは、悪いことじゃありませんよ

それで、良いんですか……?

ダメですよ、もちろん

悪によって失われる損失
悪によってもたらされる瑕疵
それらは許されるべきでも
認められるべき事でもありません

だからこそ、罪と罰があるんです

貴女は自分の行為に
罪を感じていますか?

   自分の行為を噛み締めるような間を空け

          朱音は返した

……ええ、そうですね
きっと、罪はあるんだと思います

それでも、私は何か
悪いことをしてみたかった

それだけです

でも、誰かを傷つけたい
訳では無かったんでしょう?

それは……

     朱音が何かを返すよりも早く

     五郎は一つの想像を口にした

彩月の友達の子が貴女を見つけた時
貴女は慌てて屋上から逃げ出した

屋上に人が居たと
思われないよう鍵を掛け
すぐに誰にも見られないよう
その場を去りました。でも――

それでもバレていないか気になった
貴女は、騒ぎになっていないか
確かめるために職員室に向かい
そこで彩月たちと藤原先生の
やり取りを耳にします

逃げてしまえば良かったんですよ
他人がどうでもいいのなら
でも、貴女は逃げなかった

自分のせいで、誰かが嘘つきだと
思われたくなかった。だから
貴女は屋上に自分が居たことは隠し
誰かが居たことを証言した

誰かを傷付けても良い
そう思っている人は
こういう事はしませんよ

貴女は好い子ですよ
柊朱音さん

……良い子、ですか

  煩わしい物を口にするように朱音は言った

大っ嫌いです、そんなもの
私は、そんなんじゃないです

ええ、もちろんです

……え?

貴女は誰かにとって
「都合の」良い子じゃありません

    言い聞かせるように五郎は言った

自分の意志で考えて
自分のやりたい事を
自分でやり遂げる事の出来る
そういう子ですよ、貴女は

誰も入れない筈の屋上に
こうしていることが証明です

……それは

でも同時に、貴女は好い子ですよ

…………

       身構えるような朱音に

       五郎は嬉しそうに言った

貴女は「人の」好い子です

自分以外の誰かのことを考えて
動くことのできる

貴女とここで話すことが出来て
私はそう思えるんですよ

人の……良い子、ですか?

ええ、そうです。言っておきますが
これは貴女にそうあって欲しいとか
貴女以外の誰かの願望とは別の話です 

別に私は貴女に、私の望む
貴女であって欲しいとは
全く思いませんから

単に、貴女の性質の話です
柊朱音さん、貴女には――

悪いことをする才能が有りません

そういう人ですよ、貴女は

……才能、ないですか……

ええ、ありませんよ
どう考えても

…………

     自分でも薄々気が付いている

       そんな事を告げられ

……そう、ですね

        力なく薄い笑みを

  けれど、どこか納得したとでも言うように

       彼女は静かな声で返した

私、自分でやってみたいって
想ったことをするの
初めてだったんです 

いままでずっと、お父さんと
お母さんの言う事だけしてきたから

でも初めて、悪いことだって分かってて
それでもしてみたいって思って

だから今回だけは
諦めずにしたんです

誰も入れない屋上に
勝手に入って、誰にも
気付かれずに皆の姿を見る

悪いことだって分かってて
それでもするのは、すごく
すごく楽しくて興奮しました

どうすれば良いか一生懸命考えて
実行した時はドキドキして
ふわふわするぐらい気持ち好かったです

でも、それだけでした
気持ち好いだけで何も残らなくて
私がしたかった事って
こんな事だったっけ、て思いながら

あの時、フェンスギリギリまで
近付いて下を見た時に
彩月さん達に見つかっちゃって

その時見つからなかったら
貴女はどうしてました?

え……?

   唐突に尋ねられ、不思議に思いながらも

        朱音は素直に答えた

……フェンスを
乗り越えていたと思います
屋上に無断で入っただけじゃ
悪い事が足らないって思ってたから

なるほどなるほど。それなら
フェンスを乗り越える前に
見つかって良かったですね

……?

パンツ見えちゃってますよ
そんなギリギリの場所に居たら

…………

    五郎の指摘に朱音は一瞬惚けた後

いやらしいです、先生

いや失敬。言い方が悪かったです

         即座に謝る五郎

    そして同時に、朱音の表情を確かめる

一先ずは大丈夫
……だと思いたいな

      取るに足らなくて下らない

     馬鹿馬鹿しいと思えるような事実

 それを楔として打ち込んだ五郎は表情には出さず

    冷や汗をかきそうになる自分を抑える

彩月の友人が見つけてくれて
本当に良かった。最悪
なんとなくそうしてみるのが良い
という気分で、跳び下りかねなかったな

  静かに胸をなでおろしながら五郎は続けた

さて、ここでの話は
もう終わりです

これからどうしたいですか?
柊朱音さん

どうしたい、ですか……?

ええ。貴女のこれからしたい事は
なんですか?

私のしたいこと、ですか?

そうです。教えてくれませんか

……なんで、そんな

それはもちろん、私が
教師だからですよ

最初に、そう言ったじゃないですか
私は、それを聞く為にここに来たんです

自分のしたい事を、貴女は
口にして好いんです

私の、したいこと……

   思いがけない贈り物をもらったように

     驚きと自覚できない嬉しさを

     朱音は表情に浮かべていたが

…………ない、です

   自分自身に落胆し気落ちした声で返した

もうなにも、思い浮かばないです
それに……――

私は退学に、なるんでしょ、先生

     そうなるのが当然だという

 諦めにも似た響きを滲ませ問い掛ける朱音に

ふむ、そうですね。確かに
禁止されている屋上に
勝手に入っているんです。学校は
何も無しですませないでしょうね

……しょうが、ないです
悪いこと、しちゃったんだから私

罰を受けなきゃ、ダメです

     思いつめたように告げる朱音に

そうですね。でも柊さん

悪いこともバレなきゃイイんですよ

  朗らかな笑顔で、えげつないことを言った

え……ええ?

別に私は探偵でも
警察でもないんです
事実を暴いた所で
それ以上をする義理は無いです

私が黙ってたら
そこで一件落着です

で、でも、先生は先生
なんですよね?

そうですよ。でもあいにくと
貴女と同じで悪いことが好きな
悪い教師なんですよ。その証拠に

      五郎は胸元のポケットから

  真新しい屋上の合い鍵を取り出して見せる

私も貴女と同じように
屋上の合い鍵を勝手に作って
ここに居るんですから

…………

カギ番号さえ知ってれば
合い鍵が作れるのは便利ですけど
防犯には気を付けないとダメですね

あ、もう職員室にある鍵には
全部キーカバーを付けてるので
心配しなくても好いですよ

         五郎の言葉に

   しばらくポカンとしていた彩月だったが

せ、先生――

はい?

先生って、先生ってば
悪い人です

ええ、そうですよ。だから
後ろ暗い裏取引だってしちゃいます

私が合い鍵を作っちゃったことは
黙っておいて下さいね。その代り
私も貴女が屋上に居たことは
秘密にしちゃいます

え……それって

楽しくありませんか?
誰にもバレずに悪いことするの?

…………

        僅かな間を置いて

    朱音は自然と笑みをこぼしながら

……はい

      受け入れるように頷いた

それは好かった。それじゃ
そろそろここは出ましょう

        そう言うと五郎は

     連れ出すように朱音の手を掴み

あ……

……はい

  小さく頷く朱音と一緒に屋上を後にした









 







     それから数日後、職員室にて

という訳でゴロー兄が
私達のクラブの顧問になるんだよ

なんでこうなった……

      放課後、五郎は彩月たち

新設されるミステリークラブの面々に囲まれていた

よろしくお願いします

よろで~す

はい、よろしく

じゃなくて、どうして
こうなったのかな?

勧めたのは確かにこっちだけど
よくもまぁ、こんな短時間で実現したね

お爺ちゃんに言ったら
ゴロー兄にさせれば好いって
言ってくれたの

あんのクソじじい……

それはまぁ、あのじーさんだから
しょうがないけど、申請書類とか
どうしたの? 短期間で出すには
数とか多いし面倒だったろうに

へっへ~ん、それはね
あかねちゃんのお蔭なんだよ

すごいのすごいの~。あかねちゃん
あれだけの書類、ぱぱーって片付けて 
くれたんだ~

それは、その……

   少し困ったように言う朱音に五郎は

偉いですね、柊さんは

自分のやりたい事の為なら
苦労も惜しまないんですから

……え?

  五郎の言葉に、ようやく気付くことが出来た

    そんな驚きを表情に滲ませる朱音に

おや、違うんですか?
あれだけ手間のかかる
書類仕事をしたんです
自分がしたいから
したんだと思いましたよ

違いますか?

…………

       朱音は、自分で自分を

      確かめるような時間を掛けて

……そうですね。これが
きっとそういう事なんだって

信じてますよ、先生

    心から湧き立つような笑顔を浮かべ

        朱音は力強く答えた

それは好かった

      朱音の笑顔に五郎も返す中

 こうして気付かれる事も無い一つの小さな謎は

    二人以外の誰にも知られることなく

        解決するのだった




  あんこっぽいものをやってみよう・その①

     高校教師・山田五郎の小事件録

      これにて――終幕――

高校教師・山田五郎の小事件録・その⑤・了

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