魑魅魍魎の核を持参して換金所へ赴いた権兵衛は受付を済ませる。




　客でごった返し、待ち時間は五時間を言い渡された。






　これで織田信長が来るまでにここで待っていても不自然ではなくなる。織田信長見たさにこの換金所を訪れている者達で溢れかえっているのだから。




　椅子に座り、織田信長の来訪を待つ。


　静かに待っている権兵衛の隣に、若い男女が腰を下ろした。年齢は十三そこら。

　青年が、その光景を思い出したようにうっすら微笑した。



　それを見るなり、女子はビックリしたように目を丸くして、俯いた。

　青年は、女子に向かって改めて頭を下げた。それを見て、なお驚いた女子は慌てて顔をあげるよう言うが、なかなか青年の方が起こさない。





　困り果てた女は、唐突にこう切り出した。

　黒髪を後頭部で一本に纏めている女が、あはははは！　と固い笑い声をあげた途端に、辺りがどよめいた。




　織田木瓜の羽織を纏った男が二人、入ってきたのだ。しかし、その二人の姿は渡された織田信長の資料の中にあった仲間の顔。








　横の女が言う通り、織田信長の姿はなかった。






　ヒソヒソと織田信長はどうしたと、客達が口にする。それが一斉に起これば、いくら小さな声であろうとも複雑に重なりあって喧しい雑音と化す。






　隣で、女が呆れたように『あの男、本気だったのか』と盛大にため息を溢した。

　権兵衛は話を最後まで聞かずして立ち上がる。一ヶ月間、集めた情報が無駄になったが依頼は依頼だ。日輪へ行き、大会について調べる必要があった。





　金がかかるが仕方ない。
　


　日向から関所を越えた時も、法律違反クラスの金額をふっかけられた。



　ここいらの民の身体が誰もが細いのは、ここの領主の力が強くて反抗も出来ないと聞いている……――。







　興味がない、と権兵衛は頭の中から振り払う。村の隣にある火野へ行けば、足はある。


　無言で権兵衛は換金所を後にした。





　

　織田信長が、換金所へ来なかった。それは瞬く間に村中に広がり、和泉の耳に入ったところ、それに合わせるかのように国王軍の宮廷魔術師部隊・樹神仁と名乗る若い男が和泉の家の扉を叩いたのだ。





　真っ赤な封筒に三文字家の家紋が入った王命書。




　まるで赤札のようなソレを受け取り、中を確認する。

　空間操作魔法。




　それは召喚属性の中でも最強と歌われる空間魔術。
　和泉は生まれながらにその才を持ち、幾多の敵を沈めてきた。







　宮廷魔術師として働いていた、無敗を誇る魔術師……――それが、和泉のもう一つの顔だった。






　だから和泉は思う。



　高尚な魔術師がこんな貧村で長を勤めるなど、この国の在り方はおかしい。女が王になってしまう国なのだ。







　だから和泉も正当に評価されていない。本来であれば、目の前の男と同じく宮廷魔術師に属していてもおかしくない実力があるのに、和泉は王都から離れた場所。





　なにもかも、周囲が無能なせいだ。和泉が優秀な人間であることに気づかない愚かな人間達。




　しかし、これで和泉にもスポットが当たる。



　これは好機。

　樹神は、何卒ご助力を、と頭を垂れた。
　

　二つの暗殺計画は、音をたてて崩れ落ちていく。
　しっかりしていたはずのその足元から、ガラガラと。たった一本の釘を打たれて、崩れ落ちるガラスのように。






　そして、綻びの縫い目は、さらに大きさを増す。

　朝顔は持石の元へ帰還すると、早速、刀弥が選んだ服を三着、用意することになった。どれも洋服だ。しかも、少なくとも朝顔が世界各国を旅してきても見たことのない服ばかりだった。





　図面だけだと一着一着に、どれも手が込んでいる。
　それこそ、今、王都にいる上等な仕立て屋が作れるだろうか、と疑念を抱くぐらいだ。そもそも、模様が凝っている布生地以外で、たった一着にこれほど個性が表れる服を仕立て屋が思い付くだろうか。






　賢誠の想像力には感嘆したほどだ。





　刀弥は我慢強い。もう少し、人に頼ることを覚えた方が良い。それが厳しい状況であることは分かっているけれども、せめて家族ぐらいには一声かけたって良かったと思う。







　図面通りの服を着用することなれば、目を引かないわけがない。



　他の貴族達だって、こんな服を仕立てられる仕立て屋さえ抱えていない。せいぜい、家紋を大きく施すぐらいしかできないだろう。






　赤石家には、金がなくてもそれを成し遂げる人脈がある……――といえば表現は大袈裟かもしれないが、実際はその通りだ。




　日輪までは雅が足になる。


　宿泊先は雪村齋が手を貸してくれた。


　服装の図案は賢誠。


　そして服そのものの用意は朝顔。





　たった一つ声がかかっただけで、彼にはできないと思っていたことが出来た。




　人の力を借りるとは、こういうことなのだ。


　できないと思ったことを、一緒に成し遂げていく。


　全部、一人でできれば確かにスゴいことだろうが、経費は完全に抑えられている。






　刀弥が必要だと思っていた金額より、ずっとずっと。







　少なくとも、刀弥にはそれに気づいてほしい。

　そういう理由で、朝顔は赤石家でも一着ぐらい作ると言った図面を全部かっさらってきて、現在に至る。



　事情を説明すると、肩入れしても良いと言った覚えはない、と持石がムカっとした。


　だが、朝顔が図面を差し出すなり持石はそれを引ったくると、それをじっと凝視して固まった。しばし沈黙したかと思うとプルプル震え出して。

　興奮気味にバシバシ図面を叩きつけて、朝顔に訴えた。



　今まで遠巻きに様子を伺っていた妖精達も、賢誠の企みごととあればゾロゾロとやって来て、図面を覗きこんで、何じゃ何じゃと騒ぎ立てた。



　朝顔が一週間以内に服を仕立てたいと申し出れば、普段から暇を持て余している妖精達は、楽しそうじゃ楽しそうじゃと乗り気になった。







　これさえも雅は見越しているのだろうと思うと、将来は魔術師としての道を歩んだ方がずっと良い将来が待っていると朝顔は思った。

　出掛けなくても、一応、主従契約を結んでいる妖精ならば持石の物も作ってやるというところだが、ここが持石との関係が砕けきっているのが災いしたと言えた。




　そんなこんなで妖精達から却下された持石は……ーー。

　史上最強の出不精が、出掛けるとか言い出した。





　妖精達は一瞬、ポカンとした。




　それから、彼らはヒソヒソと小声で囁きあう。

　持石は子供みたいにテーブルを叩いて訴えた。そんな姿を見て、妖精達はケタケタ笑って、持石のも作ってやると了承した。

　こうしてはおれん、まずは布から作らねば、と、みんなが楽しげに、わちゃわちゃ騒ぐ。






　朝顔は、久々にここの妖精達が楽しそうにしているのを聞いた。




　もうずっと、この家に『音』はなかった。



　ただ、静かな時がずっと流れているだけだった。仲間がやってきても、騒がしいのは数日ぐらいだった。

　妖精はケラケラ笑って、妖精達は声を掛け合っていく。

　生地調達会議という名の物騒な会話は、和気あいあいとまだまだ続く。

　金髪碧眼の主は小首を傾げた。





　いや、一二五年前だったかも？　と朗らかに懐古する。




　懐古する年数が一般人からかけ離れていることさえ、主はスッパリ忘れてしまっているようだった。






　結局、肩入れするなと言った当本人さえ楽しげに乗り気になってしまった。



　一応、朝顔はこれは刀弥の衣装だから翌日、別の図案を賢誠に頼むことにして、妖精達と出不精の夜は更けていった。