穴を抜けると白い世界にクッキリと浮かび上がる黒髪の男の元へ賢誠はストンと落ちた。





 根が十八才の魂だから男に抱かれることは少々嫌なのだが、飛び降りようとしても天之御中主は賢誠の脇に両腕を差し込んでガッチリ離す気がなかった。





良かった……――信じてくれてありがとう、賢誠








 しかもこの上なく嬉しそうに頬を擦り付けてくるから恥ずかしいという男心に神様は気づいてくれない。


 それも実際には天之御中主という神に性別がないのも関係しているかもしれない。





 心行くまでぎゅーっとされた後に賢誠は解放されると、ほんわかとしていた雰囲気は切り替わる。きりっと眉をつり上げた。






あの雪村という娘の人具について、詳しい話をしなくてはいけないな

武器なら何でも折れちゃうことですか?

あぁ。あの人具の窪みに引っ掛かっただけで武器が折れるだろう?

アレは、本来の武器の使い方ではないのだよね?

それは、お前がよく分かっている







 天之御中主の言う通りだ。




 ソードブレイカーは文字通り、ソード……ーー剣を壊すために作られた防御用の武器だ。それが長槍や大斧の柄をへし折られては困った武器である。




 もはやソードブレイカーではその名が劣る。ウェポンブレイカーでまかり通ってしまう。






賢誠。

お前はきっと、武器のことを知っているから武器が持っている情報のまま捉えてしまっているんだ。

でもねぇ、賢誠。あれは元々、雪村の娘の魂なのだよ。

鋼や鉄から出来ているわけではない。それは魂で出来ていて、魔力の塊なのだ。

人具はね、魂が持っている『本質』がそのまま反映される

……どういうことですか?

あの娘の武器は、細身の剣を折るための武器だったね。

かいつまんで言ってしまうと『敵の武器を折る』ことに特化した人具なんだ……――あんな性能の人具があるなんて、恐ろしいことこの上ない。

だから人間は恐ろしいのだ。

お前、くれぐれもあの娘と人具を交えないでおくれ。

お前の魂が折られてしまったら私が消えてしまいかねないから







 それはずっと疑問だったことだ。



 ソードブレイカーは剣を折るための武器だ。なのに、何で他の武器までポキポキとへし折ってしまうのか。理解に苦しむのだ。





 ソードブレイカーはテコの原理を使って細身の剣を折るというのに、雪村の握っているソードブレイカーは見事に物理法則を無視している。それはもはや、賢誠の元居た世界でやたら強い人間にあてがわれる称号『チート』である。




 本当なら転生した賢誠自身がなるはずなのに、というお子様な考えで嫉妬し、むくぅ、と頬を膨らませた。




 雪村が敵だったら、武器を握って戦う手練れでさえただの武人に成り果ててしまう。矜持の高い人間は自害するしか選択肢がなくなってしまう。



 どうせなら賢誠だって、そんな人具が良かった。ただの真っ赤な石なんて綺麗なだけでどうしようもない。





 天之御中主は、賢誠、と穏やかに呼ぶ。





さっきも言ったはずだ。雪村の娘が使う人具は『ただの』ソードブレイカーじゃないのだよ?

分かってます。鉄で出来てなくて、魂で出来てるんでしょう?

分かってないねぇ、賢誠。

それは言葉をそのまま受け止めただけだよ。

それは表層だ。中身はもっと奥が深い。

魂とは、実際、何で出来ている?

えっと……――魔力、と記憶?









 そうだ、と天之御中主はうっすら笑う。





なぁ、お前。

魑魅魍魎を覚えているかい?

魔法生命体だ。
あれは属性の魔力を持ち、意思を持ち、人を襲うし、逃げるモノもいる。

だが、あれは魔力の塊だよねぇ?

そうですね

だけれど、あれはただの生物かい?

生物として存在してますけど、魔力ですよね

そうだ。
人具も同じだよ。

物の形をしているが、あれは『魔力』なんだ……――魔力は魂から産み出される。

そして、魂には記憶も宿っている……








 ぼーっとして、賢誠は考える。


 魂から出来ている人具。


 それは魔力から出来ている。


 文字通り、魔力の塊だ。





……魔力の塊……――魔法の道具?








 ぱっと閃いた言葉に、天之御中主は優しげな声で、そうだ、と朗らかに笑った。






魔法の道具なんだよ、賢誠。

簡単に表現してしまうとね、雪村の娘の人具は『魔法のソードブレイカー』なんだ。

賢誠の人具が『魔法の赤い石』であるように、刀弥の人具が『魔法の偃月刀』であるように、人具は『魔力の産物』なんだ。

それは人間が持っている魂の本質が現れる……――ただ、魂から出てくる便利な道具ではないのだ






 なんか、それはちょっと難しい話に思える。



 本質だとか何だとか、魔法世界にやってきたばかりの賢誠にはよく分からない。






 魔法のソードブレイカー……魔法の赤い石……魔法の偃月刀……――そう何度か繰り返して、賢誠は目を瞬かせる。







 魔法とは、色々なことができる。



 火を起こしたり、空を飛んだり、雷を穿ったり、妖精と契約して手助けしてもらったり。本当に、色々なことができる。






 それは前世の賢誠がとても憧れたことだ。






 ならば……――人具だって『魔法』なのだ。


 魔法、と付くぐらいあって、ソードブレイカーも『魔法の』ソードブレイカーになってしまった。




 鋼鉄で出来た『ただのソードブレイカー』は、細身の剣しか折れないけど、『魔法のソードブレイカー』は魔の力が宿ってるから……――。







 途端に、基本構造が能天気な頭は覚醒する。






そうか!

『魔法の』ソードブレイカーだから、武器は何でも折れちゃうんだ!

当時、敵が持っていた武器を折るのがソードブレイカーが作り出された理由だから、『敵が持ってる武器』を折っちゃうんですね!

恐らくね。

それが雪村の娘が持っている『魂の本質』でもある。

前世も敵の武器を折ることに何かしら執着を抱いていたのだろう。

だから武器を何でも折ってしまうのかもしれない。

賢誠、雪村の娘には気をつけなさ……――

じゃあじゃあ! ボクの人具も、『ただの赤い石』じゃないんですね!?

当たり前だ。お前の人具はお前の魂だ。お前の魂が、ただの石ころなわけがないだろう?








 賢誠の人具は、赤い石。



 途端に妄想が膨れ上がる。






 賢誠自身、自分の人具で何ができるのかサッパリわかっていない。



 それは勿体無いことではないのか?



 何ができるか分からない……――それは、何もできないという決めつけじゃないのか?



 雪村は気づかないで暴走し、次々と武器をへし折っていった。









 賢誠の人具も実は何かができるけれど、賢誠自身が全然分かってないだけ……――それは、賢誠が肉体強化で柔軟性を上げた時に、人間なんかが入れなさそうな所に入れることを探し当てたようなことじゃないだろうか?





 せっかく、自分だけの特別な魔法の道具が取り出せるのに、何も出来ないなんて、つまらなさすぎる。どうせなら何ができて何ができないのか、とことん追求してやるべきではないのか。







 賢誠は、ひょいっと天之御中主の腕の中から飛び出した。




 早速、目を覚ましたら調査だと息巻いて、行ってきまーす! と賢誠は上機嫌で浮上していく。







 遠くから、声がする。








雪村の娘には気を付けなさい





 天之御中主の声が心配そうに張りつめていることに、賢誠は気づかなかった。























そして、雪村齋のための物語は


動きだす。




















 齋は雅達と別れた後、火野にある武術学校に直行し、申請書を提出した。無事、担任から参加許可が降り、代筆がバレなかったことに安堵しながら帰路についていた。





 学年対抗戦は人具を使用する。

 今の齋の実力なら、刀弥の足を引っ張ることもない……――齋は家に帰ったら自分の人具に武器を折る能力が有ったことを父に伝えねばと心が踊っていた。






 今まで、刃こぼれ小太刀と笑われてきた。



 人具も上手く使えず、剣術がどれだけ優れていても認めてもらえなかった。



 だが、このソードブレイカーの使い方を見つけた以上は、刃こぼれ小太刀だとか、女だからなどと笑われることは、もうさせない……――。











 そんな胸中の齋の耳に、きん、と甲高い音が聞こえた。一瞬、気のせいかと思ったが、立て続けに聞こえてくる。これは明らかに剣を交えている音だ。こんな夕刻に剣を交えるなんて……――まさか、誰かが襲われて応戦しているのでは?





 齋は音に向かって駆け出した。その金属のぶつかりあう音を頼りに、整備されていない小路を駆け抜ける。






 覚えがある。この小路を抜けると、今は使われなくなったコの字を描いた建物の裏側に出るのだ。そこはある意味で行き止まり。




 齋は速度を落とし、その空間を覗きこむように様子を伺った。














人影が八つある。二人相手に六人囲んでいる。囲まれている二人のうち、小柄な男は短刀だ。しかし、後ろの無造作な髪型の男は敵を見据えて腕を組んでいるだけ。




 六人の方は、長槍やら巨大な金槌、金棒と武器が異なっていた。






 余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ! という汚ならしい語句を投げつけて襲いかかる金棒の男。



 その体は小さくありながらも出で立ちが立派な男子は、軽々とかわして懐に切り込む。しかし男も戦い慣れて、それを紙一重でかわされる。



 恐らく、後ろが警護対象で、戦闘員は彼一人なのだ。あまりにも部が悪い。






お前達! そこで何をしている!









 そう声を発しながら、齋はすでに六人へ向かって突入していた。



 どれも顔付きが犯罪者と人目で見て分かるほど険しい。しかし、男達は齋の姿を見て、ただ笑った。






んだぁ。助っ人は女かよ。情けねぇな……――おっとぉ!







 炎に燃える人具を出現させて、雪村は男の金棒にソードブレイカーを叩きつけた。窪みの部分だ。




刃こぼれ起こしてるじゃねぇか!






 男達が笑ったその直後、雪村はぐりん! と無遠慮に手首を捻った。










 甲高い音と共に金棒が破壊されて二つになった。



 破壊された金棒は、すうっと空気に溶けるようにその身を透かすと、地面に落下する直前に消えてしまった。




 人具を折られた男は、どさっと膝から落ちると白目を剥いて身体を横に倒した。



 どさっと重々しい音からも男は脱力してしまったかのようだ。




昏倒した……

あの時、弟が止めてくれなかったら、本当に刀弥を昏睡させていたかもしれない……――






 だが、齋はすぐに切り替えて雪村は現状を理解できていない男達の武器へ次々とソードブレイカーを打ち付ける。



 がぎ、と武器をへし折っては男達を一撃でのしていた。ランス、バルディッシュ、ウォーハンマーと、彼らが握っている人具を驚く間さえ許さずあっという間に五人を片付ける。






 白目を剥いて倒れた仲間達を見て、残る男は全身から死の恐怖に包まれ腰を抜かした。







 雪村からソードブレイカーを突きつけられれば人具を収め、両手をあげる。





貴様ら。一般人相手に六人がかりとは愚かの極みも良いところだな。金か

た、頼まれたんだ! 織田信長を殺してくれって……――

阿呆め。お前達ごとき相手に追い詰められるような武人ではない

高評価じゃねぇか、ミチ

なるほど。確かに、面白いモノを見せてもらった








 齋は、男の声の後に続いた聞き覚えのある若い男の声に目を瞬かせた。齋が驚いているその隙をついて暴漢は脇目も振らずに逃げ出す。 




 その男は、十八という異例の若さで二四代目として織田信長の名を襲名した男だったのだ。






 今は二三。その手腕もたくましく、各地の領土を広げ、つい数年前に敵国である晴渡国の領地に換金所を置いた。



 かつて何百年と前に晴渡国の一部を合戦で奪い取った一族の子孫たる頭領が腕をほどき不適に笑う。








魂を折る人具か。
敵国にいると思うと恐ろしいことこの上ない。

コレは益々、合戦なぞ起こそうなんて考えてる馬鹿共を黙らせておかないといかんな。

分かっているだろうが、改めて名乗ろう。

俺は二四代目・織田信長だ。こちらは薬研藤四郎







 織田信長よりも年上に見える男は、鞘に小太刀を収めて一礼した。




侯爵・雪村家の長女、雪村齋です……日向の換金所を視察に行くから、日向に居られるとばかり思っていました

まぁな。そう思っていたんだが、訳あってここにいた。だが、これならばもう二週間滞在を伸ばす価値はある







 二週間? と雪村は疑問に思ったが、口には出さない。



来週から五日の日程で武術大会があるんだろう? それに、お前は出場する

まさか、見に来るとでも……――

見に行く







 織田信長は笑いながらハッキリと断言する。



 敵国で、しかも敵国の主要都市の一つで開催する大会を見に行くなど正気の沙汰ではない。敵陣に身を置いて、くつろぐなど出来るはずがない。驚愕した雪村の顔を見てクツクツ笑いながら、手を差し出した。
 




ついでに、お前が上位四位まで入賞したなら王都主催の大会にも足を運んでやろう。

どうせなら果夜国に来い、雪村齋。

お前を歓迎してやる

断る。私は晴渡国を守る剣士になるのだ

それは親から吹き込まれた幻像だろう

私本人の意思だ







 幻などと言われる覚えはない。雪村は、そのために日々、鍛練を重ねている。剣術ならば学年でも上位だ。それが何よりの証拠だ……ーー。



 織田信長はただふっと笑うと雪村と向かい合うように距離を詰めた。それから舐めるようにじっくりと見下ろして、視線が止まる。





胸が無いな

……剣を交えたいなら喜んでお相手するが?

とんだじゃじゃ馬だ。これなら直ぐに死ななさそうだ。この前もめとった女が毒殺されたばかりでな。また嫁探しだ







 織田信長はサラッと言った。



 雪村は攻撃するわけにもいかない男を前に耐える。いきなり人のコンプレックスを刺激してくるとは大した男だ。他国の首領でなければ切りかかっていただろう、それこそ、さっきのように。



 織田信長は嘆いている風でもないのに『嘆かわしい』と嘯いた。





性格の悪い女じゃなかった。
慎ましかったから気に入ってはいたんだが、死んでは仕方ない。

だから嫁は要らないと言っているのに、父上も早く子を作れと煩い。

興味がないのに抱けというのは些か酷だろう?

だから少しぐらいは興の向いた女を引っ掻けることにしているんだが、長く共に居ると大してつまらなくてな。

お前ならちょっとは楽しめそうだ

ちょっとならば手をつけるのを止めておいた方が良い。

ちょっとの間しか楽しくないだろうからな。

ずっと一緒にいて楽しいと思える相手を見つけていただきたい。

では、失礼する

そうか。意中の相手がいるのか……――

ななな!! 違う! そんな相手はいない!!








 踵を返したばっかりだった雪村は織田信長の投げつけてきた言葉に振り返る。クソ真面目そうな顔をしていた織田信長は、途端に意地悪く口端をつり上げた。




意中の相手がいるんじゃあ、仕方ない。帰るぞ、薬研

だから! 居ないと言っている!

良いのか? まだ明智が来てないだろ

明智なら俺がこの場にいなければ、直ぐ戻ってくるさ







 織田信長はくるりと建物の壁へ向かうと飛び上がった。



 すると、薬研の全身が淡い光に包まれる。その姿が歪んで小さくなると鞘に収まっている小太刀へと変えた。それは薬研が腰に提げていた小太刀と全く同じ形だ。それがふわりと浮上すると、飛び上がった織田信長の足元に滑り込む。そのまま彼を乗せて浮かび上がる。





返答は明日じゃなくて良い。

換金所には別の者を行かせて、明日の朝から日輪へ向かうからな。

良い返事を期待している

残念なお知らせだ! 貴様のところになど行かん!!






 雪村は憤然と織田信長の背に拒絶を投げつけたあと、彼の姿が建物の向こうに消えた瞬間、ぐわっと発熱した怒りを吐きだす。








胸が無いだと!
そんなこと知ってるわ!

pagetop