薄い紙で、指が切れることがある。









 それは紙の断面がノコギリのようにギザギザしているからだという。


 だから、紙で指を切った時の痛みは、包丁で指を切ったときよりもジクジクと痛みが残る。


 滑らかな断面より、紙のギザギザの断面は肉を酷く傷つけるからだ。





て、天之御中主様に教えてもらったんです







 ちなみに、この解説は大根の皮を強化したら縄を切れるんじゃないかという話の解説後、どうしてそんなことを思いついたのかという刀弥の疑問に対する賢誠の答えだった。





 朝顔は日向の少し外れたところにある換金所へ向かう途中に話を聞いていた。昨日、刀弥が魑魅魍魎を見つけて倒したから、その核を換金しに行くことになった。


 この前と同じく、織田信長が視察にやって来る日に換金するかと朝顔は思っていた。





 しかし、換金ついでに行ったら織田信長の信仰者やら敵対者やらでごった返しており、受付まで五時間待ち。あえて換金をその日にして織田信長を見ようと日向の周囲の村や町からやって来るので、それぐらい時間がかかるのもまた仕方なかった。






 賢誠の知識は無駄なところに多い。


 肉体強化による柔軟性を生かして箱に体を収納させるという方法も、元は前世でビックリな柔軟性を持つ女性が小さな鞄に体を納めていたのを見たからやってみただけだった。






 その名を持つ通り、いろんなことを貪欲に覚えていた。前世の記憶を引き出し過ぎているようにさえ思う。


 普通なら記憶はほとんど朧に消えてしまうはずなのに、彼はその記憶を残したままだ。まだ五歳だからだろうかと首を捻っている反面、また持石に報告する内容が増えたと喜んでもいた。






赤石じゃないか!





















 凛々しい女性の声が空を駆けてきた。



 黒い髪をパッツンに切り揃え、ポニーテイルに縛ってある。日本刀を帯刀している女性雪村齋だ。刀弥と同じ武術学校に通っている貴族のクラスメイトであり、これぞ日本美女と言える容姿。それに袴を履いている姿はその声に劣らず凛としている。





 雪村は貧村たる日向の隣接している火野に住んでいる。武家の中でも優秀な武人を輩出することで有名な侯爵家だ。上に二人の兄がいるが、二人とも国王軍に入隊している。また、その町に刀弥の通っている武術学校もあるのだ。



 彼女も換金目的で向かっているところだったという。



 雪村は刀弥の周囲を一瞥すると、ギクリと硬直した。雅を凝視し、かぁっと顔を赤くする。






お、おおお前に友達なんて居たんだな!? しかも、こんな可愛らしい……

妹と弟だ

きょ、兄弟か! そうか、そうか。

安心した……――て、は!?

お前に兄弟居たのか!?

そんなこと知らなかったぞ!?

お前に言う必要性がない









 刀弥はそう冷たく吐き捨てるなり、再び換金所へ向かうべく歩き始めてしまった。賢誠の手を引いていたのが刀弥だったので、必然的に賢誠も歩かざるおえなくなる。そのあとを、雪村はついてきた。






ク、クラスメイトだろう。それぐらい話してくれても……――

クラスメイトであって友人だと思った覚えはない。お前達とは馴れ合わな……ーー

あらぁ? 刀弥ったら、こんな素敵な彼女がいたの?

彼女じゃない

彼女!?








 雅のすっ頓狂なボケに刀弥は飽きれと僅かな苛立ちがない交ぜになった表情で、齋の方はというと、ゆでダコのごとく真っ赤に染まった顔で叫んでいた。すぐに刀弥をびしっと指差す。





勘違いするな! 私が平民風情に恋慕など抱くものか!

分かりきってる。だから近寄ってくるな










 敵意を剥き出しにした刀弥に睨まれて、雪村は一瞬、顔を引きつらせたものの、ふん、と髪を揺らしながら顔を逸らす……――。





私も換金所に用事があるだけだ。行く方向が同じでは仕方ない

だったら離れろ。平民とは馴れ合わないんだろう

目と鼻の先でどうやって離れて歩けと言うんだ

一人だろう。先に行けば良い







 刀弥の言い分がごもっとも過ぎてフォローしようが無かった。



 しかし、二人の歩みは足早だ。それに連行される賢誠は歩幅の違いから走る形になってしまう。




 結局、賢誠は刀弥に連れられて、ほぼ雪村と一緒に換金所へ足を運び入れることと相成った。





































 漆で塗られた白亜の厳かな一軒家。





 その扉は開けっぱなしで、近くに履き物を保管するための部屋が設けられていた。受付の女性に靴を差し出せば、その札と交換してもらえる。そして、帰りの際は札を渡せば自分の靴を出してもらえるシステムだ。




 まず中に入って目に飛び込んで来るのは金地の布に黒い糸で木瓜の家紋が縫われている垂れ幕。





 普通なら商業用の紋章が描かれているが、明らかに木瓜の家紋。ただ、普通の木瓜紋とは形状が違う。


 織田家が経営している換金所ということで、その家紋は織田木瓜になっている。





 建物の中は金箔で張られた壁が室内を豪奢に彩っていた。まるで金色の世界にやって来たかのようだ。壁には丁寧な絵が描かれており、それがずーっと続いているのだ。





 受付口は三つほどある。



 どれもガラスが張られており、そのガラスには放射状に小さな穴が空いている。そして、その下には受け渡し口である長方形の穴と受け皿。賢誠は一瞬、宝くじ売り場のように見えた。





 換金所の他にも、握り飯専門店や武具店も併設されている。そこに人だかりができている。







 結局、二人は猛ダッシュで換金所へ駆け込まれた。遅い! と刀弥に叱られた賢誠は兄貴の肩に担がれてご来店だった。



 二人が勝手に始めたことなのに、とブー垂れたものの、ここまで楽できたと言うことで良しにした。





 どっちが先にくぐり抜けたか五歳児に審査を迫ってきた二人。同じぐらいだったとあしらう。


 しかし、雪村はそれでは腑に落ちず、ならば換金額で勝負だと手に持っていた魑魅魍魎の核を突き出した。そして望むところだと刀弥は勇んで応じ、賢誠は現在、待ち合い椅子の上で待機ということになった。第三者である賢誠にしてみれば刀弥と雪村は嫌いだ嫌いだと互いに言いながら妙に息がピッタリで相性が良いと思う。







 先に帰ってきた刀弥の機嫌をみると、かなり高額だったようだ。したり顔である。


 最近、刀弥は魑魅魍魎を倒すのに手慣れてきたのか、学校が休みの日になると必ず魑魅魍魎を狩りに行くようになっていた。それも肉体強化のお陰で、以前よりも戦えるようになったからだ。最近はサクッと倒せてしまうお陰で食事が良質になり肉も増えてきた。






今日も腹一杯肉が食えるぞ、賢誠

あの人は、昔からあんな感じなの?

あんな感じ?

食ってかかるって言うか









 アイツか、と刀弥は賢誠の隣に腰を降ろすと、ふっと笑った。それはしみじみ思い出して笑っている。






俺を好敵手と認めてくれている人間だ……まぁ、貴族が平民に劣るわけにはいかないだけだろが、人柄は貴族という身分を鼻にかけているわけでもない。

人具こそアレだが、名家とあって剣術なら俺より上だ。

それに俺の実力を認めているからこそ、あんな風に突っかかってくる。

同じ組の男連中よりもずっと潔くて男らしい。雅にも見習ってほしいぐらいだ









 刀弥から、クラスメイトのことを詳しく聞いたのはこれが初めてだった。今まで、あまり賢誠は良い印章を持っていなかった。



 買い換えたばかりの服を習練中に引き裂いたり、草履を隠されたりして裸足で帰ってきたこともあった。






 それでも刀弥は泣き言も言わないで母に頭を下げた。


 今の刀弥の服は習練時に着用する服を三着、着替えないでそのまま授業に出ることを母の反対を押しきって決めた。



 賢誠にしてみれば、そんなクラスメイトがいることを聞いてほっとした。






待たせたな、赤石! 私は三万一七○○円だ!











 雪村が高らかに宣言しながら換金書を突きつけた。どうだ、と言わんばかりの彼女に刀弥はふっと笑んできれいに折り畳んでいた換金書を雪村の鼻先に突き出す。






生憎、こちらは十万を越えた







 なん! と、雪村は言葉を詰まらせて口をパクパクさせた。その表情を一瞥した刀弥は得意気にドヤ顔だ。



 十万となる魑魅魍魎の核は上級が一匹、または、中級が三体分。刀弥の戦闘力が格段に上がっている証拠とも言える。朝顔に稽古をつけてもらっているからか、その成長ぶりは著しい。





ど、どこでそんな大物を……!

俺はお前の刃こぼれ小太刀とは違うからな。倒すのに労しない

刃こぼれ小太刀?









 ふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる刀弥に、雪村は悔しげに顔を歪めて睨み付けたところに尋ねたモノだから『教えてやる義理はない!』と怒鳴られた。



 しかし、得意気な刀弥の追撃は鞘に収まることはない。





お前の人具なら大根の皮でも倒せる

大根の皮になぞ負けるものか!

試してみるか?









 挑発する自慢気な刀弥だったが、何故か、雪村はびし! と賢誠へ指差した。





お前の弟はどんな人具なのだ? 私の弟は長槍だ!

弟は関係ないだろう

いいや、関係ある! 武家たるもの、人具が武器ではないなど言語道断だ!

うち、武家じゃないんですけど。ていうか、平民です









 あんまりにも下らないことで矛先を向けられた賢誠はついつい突っ込む。



 そんなことは関係ない! 男児たるもの強くあらねばならぬ! と女子である雪村は賢誠をジロリと見下ろした。





賢誠、見せてやれ








 唐突に、刀弥がそんなことを言ったのだ。



 嫌だ。赤石なのに赤い石出てくるとか名字を使った全力ギャグの人具なんか見せたくない。





 しかし、刀弥は良いから見せてやれ、という。そうじゃないとご飯は抜きだと嘯く。嘘だと分かっているが賢誠は仕方なしに魔力を集中させて、人具を出してやる。






 茶色い光を放って産み出されたのは賢誠が見てても見るからに寂しい真っ赤な小石。


 掌にぽつねんと乗っているものを注視して、雪村は硬直した。


 賢誠の真っ赤な小石を指差し。




そ、それが、お前の人具か……?

そうだ









 刀弥は首を縦に降る。



 沈黙だった。しばらくの間、どうしようもないぐらいの沈黙だった。






 空気さえ重たい……ーーそんな賢誠の肩を、雪村は掴んだ。しかも、無言で。



 ちょっと頬を薄紅に染め、賢誠を見下ろす眼差しは涙ぐみながら。





頑張れ少年!








 なんか、馬鹿にされてないのは心の底から分かるのに超、悔しい!




だが、お前も今、茶色の魔力を見ただろう。


うちの弟は武器ではないながらに生まれもった素質は変化属性の上位である『土』だ。


上位魔力の属性を持っているなら魔術師向き。

武術より魔法学を学ばせた方がずっと良い。

それに、まるでその属性を祝福するかのような人具だしな







 賢誠の頭をわしゃわしゃ掻き回した。



 お兄ちゃんがそこまで考えてくれていたなんて知らなかった賢誠は感動して刀弥に抱きついていた。





すまなかった。それならば強い魔術師を目指せ、少年

雪村さんの人具は? さっき、刃こぼれ小太刀って兄さん言ってたけど








 雪村はむっと刀弥を睨んだが、肩ひざをついて賢誠の前に掌を差し出した。しかし、嫌がっても賢誠は見せてくれたのだから自分も見せてやるのは礼儀だと見せてくれる。



 自分の人具を見せるなら、相手も見せるというのはこの世界の風習だった。







 すると掌に真っ赤な魔力が集束し、左右へ伸びる何本もの窪みが生まれた魔力は赤い火花を散らして飛び散った。少し熱かったが、彼女の手の中に現れた刃こぼれ小太刀と呼ばれた剣に目をやった。


 厚みのある両刃の短剣は、片方が普通の刃を持っているが、もう片方は意図的に作り込まれたとわかる何本もの窪み。それが彼女の細い手の上で、武骨に煌めく。



 雪村の手には少し大きいようにみえるソレ。






刃こぼれ小太刀って、ソードブレイカーのこと?

そーどぶれいかぁ?







 刀弥と雪村が声を揃えて、何を言ってんだと言わんばかりの声を発した。












 ヨーロッパで防御用として考案された短剣だ。その窪みは当時主流であったスティレットのような細身の剣を折るためのもの。




剣が折れるのか!?








 そんな剣の名前は聞いたことないが、と眉間にシワを寄せた刀弥なぞそっちのけで雪村は改めて自分の人具に魅入る。それは何か、綺麗なものを見つけたように目をキラキラさせた。



 それから、こうしてはいられないと武具店に駆け込むと、二十万もするような武器を一気に五つも購入。家につけてもらう形で。その重量、五〇は越えているが雪村は背に抱え両腕で持っている。その様は武器商人のごとく、背には大斧、右手に長槍、左手に剣……という日本美女という姿からは想像も出来ないほどの力をお持ちだった。





付き合え、赤石! 貴様でなければ私の腕に釣り合わん!

何に付き合えと……

この武器をへし折る!







 雪村は勇んでそう宣言すると、刀弥の腕を取っ捕まえて連行していったのだった。



 一応、雪村の勘違いを訂正するために居合わせようと思った。説明した通り、細身の剣ぐらいしか折れない短剣だ。その他の大斧や長槍のような厚みのある刃は折れない武器なのだ。








 しかし……――このあと、赤石賢誠の出発点となる大きな事件へ発展していくことなるとは、この時、誰も知らない。














そして、雪村齋の変身劇は幕を開ける。












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