そんなことを想いながら、視線だけをじっと固定する。
 見つめあい、互いに動かない、私達。
 静かな闇の世界でゆらめくのは、形の違う、二つの光だけ。
 ならば……と、緊張の面もちで、私は問いかけようと口を開く。

あなたは――

 私の問いかけが、最後まで言えるかというタイミングで――

おはようございます!

 ――明るすぎて違和感のある声が、耳に入ってきた。

……はっ?

 想わず私は頬を動かし、言葉にならない声を漏らした。

おはよう、ございます?

 無意識に、同じ言葉を口にする。
 かけられた言葉の意味が、理解できなかったからだ。
 戸惑う私を見たからか。

あっ、間違えました!

 なにかに気づいた、という顔でそう言った後。

こんにちは!

……

 満面の笑みで、そう言葉を言い換えた。
 ――いや、たいして変わらない。
 なにが間違いなのかも、わからない。
 しかし彼女にとって、それはたいした問題ではないようだった。
 明るい笑顔で、彼女はこちらを見つめている。

(調子が……狂うわ)

 自分の心のなかにある、問いかけの言葉を考え直す。
 ――あなたは誰? ここでなにをしている? その光は……と、疑念たっぷりに問いかけようとしていた私。
 けれど眼の前で微笑む姿に、なぜか、口が重くなる。

わたし、リンと言います!
よろしくお願いします♪

……

 いったい、なにを、お願いされたのか。

あ、あれ?
あの、リン、なにかおかしいですか?

 わたわたと不安そうに片手を揺らしながら、私に重ねて聞いてくる彼女。
 ……いや、こちらが教えてほしい。なにが、おかしいのか?
 理解が追いつかず、無言のまま立ち尽くす。
 そのまま、じっと彼女の顔を見つめる。
 くりっとした大きな瞳に、触れれば弾みそうな柔らかい肌。
 それらを生かした明るい表情は、見るものに安心感を与えるような気がする。
 挨拶をしたことで、その明るさがいっそう増したようにも想える。……なぜなのかは、わからないけれど。
 けれど私は、無言でその顔を見返す。
 ――そんな表面上の愛らしさなど、この暗闇と同じように、その下がどうなっているのかわからないのだから。

(とは、想うけれど……)

 どうにも、先ほどからの明るさに、調子が狂った感じはある。
 無表情で、感情がない、謎の人影。
 不安そうな彼女の瞳に映りこむよう、私はそう、演じてはいるけれど。

も、もしかして、こんばんは、ですか? それとも……ハロー?

(……挨拶、されているのかしら?)

 ――彼女の声や発言を聞いていると、そんな心配をしている自分が、滑稽に想えてくる。

『く、くっくっく……』

 胸の中に反響する、耐えるようなグリの笑い声。
 笑わないで、と言いたくなったが、言葉にすると彼女にも聞こえてしまう。
 ……つくづく、私に不利なコミュニケーションの相棒だと想う。

(ふぅ)

 額を、空いた指で抑える。右手の指先は、ひんやりと冷たい。
 冷静さを、少しだけ取り戻せた気がする。……つまり、冷静ではなかったということか。
 少しだけ冷えた頭で、言われたことを考えてみる。

(挨拶。挨拶は……確か、知恵ある者達の関係を円滑にするために、重要なものだったかしら)

 挨拶、初めて会った人間には挨拶をする……それは、そうなのかもしれない。
 想い出すのも、ずっと深いくらいの前。
 グリから、そう教わったことがあったようにも想う。
 忘れてしまうくらい、挨拶の言葉なんて、かけたことも受けたこともなかったけれど。

(最後に言ったのは、いつのことだったのだろう)

 その理由は、簡単。
 ――ここは、やさしい世界じゃないから。
 ふぅ、と一つため息をして、彼女へと向き直る。

どれでもかまわないわ。
それで、あなたは何?

 私の問いかけに、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべて答える。

わたし、リンと言います!
わぁ、キレイなお声ですね♪

 求めていた答えとは違うが、いちいち反応するのも面倒くさい。

あの、あなたのお名前は?

 問われるが、私は違う言葉を口にする。

……リン。
そう、リンと言うのね

 私の名前ではなく、彼女の名前を口にする。
 リン。短く、覚えやすい名前。
 ――私の持つ名前と、とてもよく似た、名前。
 私は小さくそう答えただけで、彼女を見つめる姿勢を崩さない。
 警戒は解かず、名前も告げない。
 けれど彼女は、私の呟きを拾い上げる。

はい!
リンは、リンと言います♪
スーさんと一緒に、この闇をずっと歩いているんです

 ――それは、求めていた答えの断片。
 やはり、同じだった。
 ぎゅっと、グリを持つ手に力が入る。

『落ち着けよぉ、セリン。まぁ、良い子っぽくはあるけどよぉ』

 響くグリの声に、より、ぎゅっとカンテラを持つ。

……

 話しかけようとして、言葉が出てこない。
 なんと言葉をかければいいのか……そう考え、ふっと、グリ以外と話したのはいつのことだったか、などと思考が混乱する。

あ、あの

 言葉が生まれない私より先に、彼女が話しかけてきた。
 落ち着きなく両手を上下させ、楽しげにふるまう彼女。そのなめらかな話し方は、私よりもずっと、対話することになれていることを感じさせた。

初めてなんです、会うこと!

初めて……?

はい、リンと同じような光を持った子と、出会うの!

 大きな声で、彼女はそう言った。
 ――私の想いを代弁する、その一言を。

……うるさいわ

 想わず私は、少し感情的に、そう突き放していた。
 甲高い彼女の声が、障ったのもあるけれど。
 ……私の内心で渦巻く感情を、素直に言葉にしてしまった彼女に、苛立ちを感じたから。

はわわ、ごめんなさい

 謝る彼女は、だがよく見ると、少し口元が微笑んでいた。
 喜びが、隠しきれない……そんな表情に見えた。
 だから、なのだろうか。

あ、あのですね

 明るく大きな瞳を輝かせながら、また、甲高い声で口を開く。
 私は、無関心に、冷たく彼女を見つめる。
 そんな私の視線を気にした様子もなく、彼女は話しかけてくる。

あなたのお名前、教えていただいてもいいですか?
リン、あなたとお話したいんです

 一瞬、私はその言葉の意味に、頭が追いつかなかった。

お話、ですって……?

 名前を教える、という部分より、そちらの方が気になった。
 ――話をする。
 いったい、なにと? なにを?

はい!
リンは、出会った方とお話しするのを、とても楽しみで、大切にしたいんです!

 ――出会った方、という言葉。
 彼女の言葉は、私の脳裏に、想いあたる存在達を浮かび上がらせる。

……

 だが、だからこそ、私はより口を締め、眼を細める。
 彼女の言葉の裏を、考えてしまう。

(出会った方……もしかして、吸い取っている、光のことを言っているの)

 この闇の中で、出会える者達は限られている。
 闇の中に埋もれた世界の欠片、不確かに闇をさまようナニカ達、そして……かつての世界で光を放っていた、意志ある者達の残り香。
 ――であるならば、ありえない。
 私の考えでは、その存在達との話など、あってはいけない。
 特に、彼女が私と同じような存在だというのであれば。
 ――あっても、仕方がないもののはずなのだ。

(なのに……)

 嬉しそうに、ありえないと想う考えを、私へと語る彼女。
 知らず私は、彼女の裏を考えることを忘れていた。
 無邪気に、悪気なく、人を疑いもしない顔。
 変わらない彼女の様子に、私が油断していたのは、事実だった。
 ――そんな笑顔を見ることが、会話をすることが、久しぶりだと想い出してもいた。

話……

はい、お話です

 彼女は頷(うなず)いて、手元の光を見つめながら、語りかける。
 ――知っている。その光の源が、なんであるのかを。

こんなふうに、真っ暗な世界ですけれど……でも、目覚めた人達のなかには、明るい世界があったはずなんです

 そして、脳裏で想い出してしまう。
 そんな笑顔を浮かべた存在達が、どんな想いを抱え、表情を変え、結末をたどっていったのか。
 ――彼女と、私。
 浮かんでいるのは、同じ結末なのだろうか。
 ぎゅっと、カンテラを抱く手に力がこもる。
 『いてえなぁ……』と不平の声がグリから上がったが、同時に感じた不愉快さを、抑えることができなかった。

だからリンは、それを想い出していただきたくて……

 彼女が語る、相手への想い。
 相手の輝いていた時代を掘り起こし、幸福を再確認させる。
 そして、彼らがたどる最後の想いを……私は、よく知っている。
 だから、だから私は……その自分勝手な考えに、我慢することができなかった。

ふざけないで

えっ?

あなたの考えは、勝手な押しつけにすぎない

おしつけ……おしつけって、無理矢理ってことですか?

 驚く彼女の様子から、やはり、無意識なのかと考える。
 言葉が、止まらない。

気づいているのなら、たちが悪い。
気づいていないのなら……恐ろしい

 私の言いように、彼女は少し考えた後、また口を開いた。

あの。
……みなさんの想いを、輝かせること。
それを、いけないことだと、リンは言われているのですか?

……っ!

 驚き、戸惑うような彼女の顔に、より口元がしぼられる。
 歯がかみ合い、顎が押し戻されるのがわかる。
 不安そうにこちらを見つめる、大きな瞳。
 本当に、自分のしていることを意味を理解していないのだろうか。
 その理解力のなさ、自分の考えへの無邪気な信頼が、私には理解できない。
 それが、初めて会った同種の存在だというのだから……やりきれない。
 だからこの感情は、失望感、に似たものも含んでいるのかもしれない。

こんな子が、私と同じですって?
どうして、あなたみたいな子が、光を集めていられるの

え、えと、その……

 くるり、と。
 私は身体をふりむかせ、彼女達から、背を向けて歩き出した。
 ――この闇を進むために、彼女の考えは、許せない。

『おいおいぃ、せっかちだなぁ。せっかくのお仲間じゃぁ、ねぇの』

引き出すものがない相手と、話す時間はないわ

『時間なんかぁ、ここにないだろぉ?』

 くっくっくと笑うグリの声が、不快だ。
 このカンテラは、こうして私を嘲(あざけ)ることばかり言う。

あ、あの、待ってください!

 そして背中からは、追いすがるような彼女の声。
 私は足を止めず、後ろを振り向くこともせず、ただ前を向いて歩き続けている。

ふ、二つ光があると、歩きやすいですね!

……

不思議ですね。
その光さんと、スーさん。
大きさとか違うのに、明るさは同じくらいなんですね!

……

あ、あの、可愛いですね!

……

 ぴたり、と。
 私はおもむろに足を止めた。

え、ええっと……

 横目でちらりと、彼女の様子を見る。
 困ったような、なんと話しかけていいかわからないような、顔全体が萎縮したような表情。

鈍いわね

は、はわわ、すみません

 申し訳なさそうに、こちらへ謝ってくる彼女。

あの、勝手に話しかけてごめんなさいとは、想っているんです。
で、でも、リンは……

指の先

……?

 勘違いしているようだから、指し示す。
 鈍いとは、思考や判断能力のことじゃない。
 ……それでも、間違いではないけれど。
 私が指し示した先を見て、彼女の瞳が大きく開かれる。

あれは……

 ようやく気づいたのか、感心するような声を上げる。
 彼女が気づかぬ間も、私はそのものの様子を、観察し続けている。
 視線の先にあるのは……光の塊。
 この闇に抵抗するように、果実のようなそれは、ぼんやりと小さく光っている。
 それは、生まれ落ち、形を変え、最後の輝きを灯しながら、私達の持つ光に取り込まれる。
 ――そんな存在達の、生まれる前の姿。

ある同じ形の違う歩み・02

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