家に帰る途中、賢誠を見つけるなり数人の大人が賢誠を取り囲んで心配してくれた。みんな森の中に入るつもりだったようで武装していた。その中には、母である凛の姿もあった。革の胸当てにしっかりとした地下足袋を履いていた。



 凛は、無事に帰ってきてくれて良かったと泣きながら賢誠を抱き上げた。



 手に持ったご飯とたくさんの魑魅魍魎の核について言及されたが、絶対、誰にも言わないように注意されたので黙秘した。



 ただ、河童に連れてかれたあと森を少しさ迷って寝たのは覚えてると答える。嘘を吐いているのが悲しくて泣き出すと、それ以上は何も問われなかった。







迷いの森は、木が移動するんだってな。相当な実力者じゃないと帰ってこれない

そうだな……仲間も、あの中に入っていって帰ってこなかったからな……








 そう大人達が呟くのを賢誠はただ聞き流していた。凛の背に乗り、家路につく。




 家に帰ってくるなり、刀弥と姉の雅に大層心配された。特に、刀弥は責任を感じてなかなか頭を上げてくれなかった。





 いつの間にか、夕方になっていた。



 ごろんと横になれば、いつもはだらしないと文句を垂れる刀弥も何も言わなかった。






 もう何も考えたくなかった。

 そのまま、意識が闇の中に沈んでいった。




 黒い世界に落ちて……――白い世界にぽいっと投げ出された。


 そこに待っていたのは、寂しげな顔をしている天之御中主だった。



 落っこちてきた賢誠を抱き止める。そうして、ゆっくり白い地に賢誠を下ろした。小さい賢誠の背丈に合わせるように、屈んで覗きこんできた。





どうした、賢誠?

あんなに魔術師の弟子になれるのを喜んでたのに。

それに、彼を天使みたいだと思ったのだろう?

お前がそう思ったのなら、それで間違いないと私は言ったはずだ







 だって、と賢誠は俯いた。


 あんなに冷たく拒絶された。


 楽しかった時間が幻だったように淡く消えた。





だって、あんな怖い人だなんて思ってなかった……あんなに笑って死にかけるし、ご飯だって作ってくれたし、聞いたこと教えてくれるし、核の実験だって楽しそうにやってたから、良い人なんだって……でも、魔物の親玉だなんて……――







 ポツリポツリと呟く。



 どの言葉も、持石太陽という人間が善良である人間だと証明するかのような言葉でしかなかった。現実だけが、全てを否定する。





 でも、彼の行動は悪人に見えなかった。困っている賢誠を、ただ本当に助けてくれた人だった。



 ぶっきらぼうに。


 誰彼構わず、人間を嫌っているかのように。






うん? 魔物の親玉? 賢誠、お前。少し頭を冷やしなさい

冷えてるよ! あの人の魔力はいっぱいだから、魔物が住みやすい森になってるんでしょう!?

その通りだ。

妖怪の類いは魔のモノだ。植物の妖精もその類いだ。

だが、彼が悪いところをしているのを見たことがあるのかい?







 そう優しく尋ねられて、賢誠は無いと答えた。そもそも彼と会ったのはあれが初めてなのだ。



 しかし持石の家にいたあの妖精が賢誠を餌だと認識し、久々の上物だと思っていたのは事実だ。食べたら燃やすと脅していたぐらいだ。



 いちいち、持石と過ごした時間が頭の中に蘇って、息苦しく思えるほど体を締め付ける。





そうか……そうだな、賢誠。少し視点を変えてみよう






 賢誠は、天之御中主に手を引かれて歩き出した。



 真っ白い世界は何もない。平衡感覚もわからない。距離がどれだけあるのかも分からない。ひたすら白い世界が周囲を包んでいた。




賢誠。お前、魔力を使えるかい?

使ったことありません。ボクのいた世界は、魔法が使えませんでしたから

賢誠。今、自分で変なことを言ったよ。気づいたかい?







 天之御中主は目を伏せてそっと笑った。



 賢誠には疑問しか浮かばない。




お前には魔術師としての才があると喜んだね。

魔術師というのは、何を消費して魔法を行使する?

魔力です。当然でしょう?

そうだ。
お前も知っている通りだ。

それでは、お前の使う力も魔力ということだろう?

それが何ですか?







 魔法は魔力を消費して使用する。そうすることで魔法が使えるのだ。それのどこにおかしいことがあるのだろうか。天之御中主だって、今、それを認めた。



 しかし、この世界について詳しい彼は、まだ分からないか、と穏やかに微笑む。





お前の使うのも魔力。持石が使うのも魔力だ。

どちらも魔法を行使するには魔力を使う。

『魔の力』を使うのだ







 意味がよく分からない。


 口にしてはいないが、それだけで天之御中主は悟ってくれる。







『魔の力』とは、文字通り魔の力。



 魔が宿っている力のことだ。それを消費して魔法を発動させる。




 賢誠は人間だけど『魔の力』を使うのだ。それを消費して魔法を行使する。




 正確な表現をすると、人間とは魔のモノに寄っている生き物なのだ。だから『魔力』が使えるのだ。






だが、生まれながらに聖人と呼ばれる人間もいる。

彼らは生まれながらに神力を使える人間だ








 賢誠は、目をぱちくりとさせる。



 難しく考えるな、と天之御中主は笑う。





人間はただ、どっちつかずなのだ。
魔のモノにもなれるし、神へと至ることもできる……――さぁ、賢誠。よく考えなさい。私は言ったね。


持石は魔力の生産量が神のように多い、と。

そして、神を祭る神社とはどんな場所か。

どんな力が溢れているか。よく考えてごらん







 人間は魔のモノにもなれるし、神へと至ることもできる。



 ふと、賢誠の中に学問の神へと至った人間、菅原道真が出てくる。彼を学問の神と崇めて、毎年多くの受験生がご利益に預かり祈祷へ行く神社がある。



 菅原道真という人間だった神の力が溢れている神社……――そこを、人は聖域と呼ぶのではないだろうか。







 一方で、持石は魔力の生産量が神のように多い……――だから、森には魔力が溢れて、魔のモノが住みやすくなっている。











 そこで、ふと思い出した。


 どうして賢誠が全く持石を警戒対象に入れなかったのか。



 天之御中主が『生き生きしている』と言ったからだ。そこに住んでいるモノ達が、元気に生きているようなイメージが沸いたのだ。





 現に、河童も妖精達も、住んでいて不快では無さそうだった。つまり、魔のモノにすれば、そこは居心地が良い……――。



 曇り曇っていた悩みに一閃の光が差し込む。






神のいる神社は聖なる力に満たされている。

けど、あの森は反対の性質を持っている魔力が溢れてるから魔のモノが住みやすい領域になっちゃってるんですね!?


単純に、たったそれだけで、持石さんは化け物の親玉なんかじゃないんだ!?

その通りだ。

言ったろう?

『魔力の生産量が多い』と。


確かに持石の魔力量は一般人の比ではない。その生産量は多すぎるとも言える。


でも、『ただそれだけ』なのだ。



 お前だって、持石と同じぐらいに魔力の生産量が多ければ『同じことができる』。




あの森は、『ただそれだけ』なのだよ。

一度入ったら二度と出られない、というのは彼の誇大表現だろう。



それに魔のモノと聞くと警戒してしまうだろうが、全てが全て悪い存在では……――







 賢誠はもう全速力で駆け出していた。



 上空にある穴に向かって、足を蹴っていた。みるみるうちに体は穴へと吸い込まれている。掃除機に吸い上げられているみたいに、空へ。







 その心は、一つ。


あの金髪!
殴りに行く!!












 体は黒い世界へ飛び込んだ。


 ぐいぐいと身体は浮上して……――賢誠は、もう一つ気づいた。天之御中主が『誇大表現』と言った。それが、引っ掛かった。




 かなり頭のきれる魔術師であり……――彼は、とても優しい人間であるということも。














 がばっと飛び起きると、翌朝になっていた。畳にごろんとなっていたはずだが、どうやら布団に入れてくれたようだった。



 家の中を駆け回っていた賢誠。今日は刀弥も休みで朝から庭で素振りしていた。いつもならその素振りにも賢誠を参加させる彼は、体調は大丈夫か心配そうに尋ねてきた。




 じわりと汗を滲ませている刀弥に、賢誠は飛びかかる。




魑魅魍魎の核の換金所って、いつ頃、建設されたの!?

……二年ぐらい前だ。皇女様が即位と共に日向と他の町村に置くのを了承した

国境なら関所あるよね?

通行税みたいなの取ってない? いくらぐらいかな?

日向にある。
かなりの高額だ。
子爵でも行き来するのがキツいだろうな






 それがどうしたと眉根を寄せる刀弥。



 賢誠は、やっぱり、と思う。






 そう思ったからこそ、賢誠は今までぼんやりと浮かんでいた『持石のところへ行かねばならない』という思いは、強い意思へと変わる。



 じゃあ、どうやって入る。



 森から入っても迷うだけ。木が移動すると聞いている。それは目印をつけても意味がないということだ。


 木が移動しているということは、道も途中で変わってしまう。道にも印をつけることも無意味だろう。





 だが、一つ目ぼしい手段がある。



 きっと、あそこだけは持石も手をつけていないかもしれない。




 賢誠は一人で家を飛び出した。
 唯一の出入り口であるはずの、場所へ。



 賢誠は、駆ける。

























朝顔

飯だ

ん……――そこ、置いといて







 持石はガリガリと魑魅魍魎の核を彫りまくっていた。




 すでに初級魔術は魑魅魍魎の核で発動が可能だと判明した。




 今は中級の魔法がどれぐらい使えるのか試作中だった。飛行魔法が使えることは判明して、このあとは中級の烈風が出せるかどうかの研究中だ。その答えはすでにできると予想の範囲内だが、試してみなければ分からない。



 ご飯支度を整えて、呼びに来ていた朝顔は弾かれたように顔を持石へ向けた。





朝顔

持石。来客だ

またか……――どれだけ、ここの領主は嫌われているんだか





 溜め息を溢して、持石は手に持っていた核を置く。




 しかし、これを森の者達に渡すことが出来れば、彼らの身を守ることに加えて外界へは更なる相乗効果を産み出す。




 しかし扉の真ん前に立ったままの朝顔は不敵に微笑んだ。





朝顔

違う。川から来客だ






 持石は目を瞬かせて、はっとなった。その魔力に覚えがあったからだった。




 彼は静寂に満ちた空間にポツリと溢す。





あの子供……どうして……――









 持石は椅子を蹴っ飛ばして部屋を出た。



 朝顔は安堵したような顔を浮かべて、パタパタと急ぎ足の持石のあとをゆっくり追いかけた。










 持石は植物の部屋の窓を開け放った。




 河から、ぬぅっと手が伸びる。そこから、這い上がろうとする子供。





 つい昨日、帰れと追い返したはずの小さな子供だった。まるで川に溺れた子供が河童になったという言い伝えを再現するかのように、彼は川から這い上がってきた。




 水を滴らせながら、ぜぇはぁと息を切らせている幼子のために、タオルを持ってくるよう朝顔に言った持石は飛び出した。





バカなの!? 何で川からなんて……――

化け物の親玉なんて嘘じゃん!









 幼子は持石の疑問に答えることもなく、そう怒鳴りつけた。













 賢誠は他の入り口、と考えた時、河蔵に強制連行された時のことを思い出した。




 迷いの森に入ったのは河蔵のせいだが川から侵入したのだ。もしかしたら、あの川には特になにも仕掛けてないのかもしれない。







 それに夜で景色は見辛かったものの、持石の家の外には墨汁を流したように真っ黒な川が流れていたことを思い出したのだ。



 もしかしたら、川を下っていけるかもしれない。





 ずっと川を泳いでいる間、迷っているかもしれないという不安にかられながら下り続けると持石の家が見えたのだった。 











 天之御中主に諭されて辿り着いた答えを吐き捨てる。



 この森は単純に持石の魔力が溢れているだけで魔のモノが住み心地が良いだけのこと。賢誠もこれぐらいの魔力生産量があれば同様のことができること。そしてこの森に住まう生き物達、みんながみんな悪い生物ではないこと……――それから、まだまだある。




持石さん、森から出てる!?

出てないよ。ここ数十年は

だったら何でそんなに村の近況に詳しいの!? 引きこもりの癖に!

数十年も出てないのに換金所が開いたって何で知ってるの!?

二年前だよ!

言ったでしょ。魑魅魍魎の核を求めて入ってくるバカがいっぱい居るって。

話してるのを聞いたんだよ

じゃあ持石さん、この森に迷ったら二度と出られないって嘘だよね!?

嘘じゃない。迷った人間には彼らの餌になってもらってる

嘘だ!








 賢誠の声が、力強く空気を穿った。






この森は晴渡国と果夜国の国境だ。この森を抜けることができれば『晴渡国から逃げだすことができる』!

関所を通れば国ぐらい越えられるよ

ここの関所を通るのにお金かかるんだよ。どれぐらいか、持石さんなら知ってるでしょ?






 持石は賢誠を凝視して黙り込んだ。




平民が通るには無理がありすぎる金額だ。他の関所は通行税が安いとはいえ他の領地を経由するにもお金がかかる。

結局、こっそり抜け出すしかない。


この国を出るには……――日向の近隣に住んでいる平民達は。持石さん、言ってたもの。



ここの領主はろくでもない奴だって








 持石は、訳あって森の中に住んでいたのだろう。



 最初は人を逃がすとかそんなことを考えていたわけじゃなかった。





 だけれど何十年と住んでいる間に、今の領主が平民へ厳しく当たるようになっていた。このままの生活はできないと思った人間達がこの魔物達が住まう森を抜けて逃げ出していく姿を間近で見るようになった。




 持石は、ただそれを手伝っただけだ。


 圧政を受けた平民は森を抜けて果夜国へ亡命すれば彼らは二度とは戻ってこない……――国から逃げ出すために、化け物が住まう森を命がけで抜けていく者達に帰還の意思はない。












 迷いの森……――それは、晴渡国の人間の視点。





 果夜国から見れば、ただ国境にある魔物の住む森だ。





 この森は化け物も出るが、亡命のために逃げた人間を死んだと思わせるのにうってつけの『偽りの』迷いの森だった。





 持石はただその噂を利用して……――この森に住まう魔のモノ達を守っている。




 魑魅魍魎は例外なのだろうが、河蔵が慕っている姿や一緒に住まう植物の妖精達を見ていれば分かる。








例え、この地を魔のモノが住みやすい場所に変えていたとしても、あなたは本当の意味でこの森の主なんだ!

化け物の親玉なんかじゃない!






 賢誠は、そう叫んで訴える。



 人を拒絶した魔術師は玲瓏たる瞳を伏せた。 









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