少年は母の帰宅を待っていた。


 母は王政高官で忙しく、帰宅出来ない時も珍しくなかった。だが厳しくも優しい母は、少年の誇りだった。

 有能で何でも出来たし、どのような物事に対しても自身の意見をしっかりと持った人間だった。 

 少年は星が好きだった。

 昔の人達が語った神話は、星になぞらえ語り継がれてきた。それは胸を躍らせる物語であり、教訓であり、生きる糧になってきたからだ。

 母を待つ少年は星を見上げ、物語の世界に思いを馳せた。

 母親から聞いてきたその神話は、ある日を境に聞く事が出来なくなった。


 二日続けて帰らぬ事がなかった母が、三日間帰ってこなかったのだ。

 帰りを待つ少年の前に現れたのは、同じ街に住む叔父さんだった。

ミネルバは仕事中に
事故に遭ってしまった。
悲しい事だが、
昨日もう埋葬したよ。

 少年の頃の記憶でいつも目が覚める。
 六年前、母を亡くした日から毎日見ている夢だ。そして夢の後は現実が押し寄せてくる。少年は現在17歳になり、ディープスの酒場で働いていた。

 母親から受け継いだ長く美しい金髪をかき上げてから、朝の支度を進めていく。そして手際良く支度を終わらせ、借家を出た。

 青年はただ酒場に向かって歩いていた。
 今日は少し日が高いが、足取りはいつも通り。慌てる事も急ぐ事もなかった。

 朝の少し冷えた風が、青年の金髪をなびかせる。青年は朝日をその美しい顔に浴び、変わらず歩いていたが、その美しさにすれ違う者達が振り向くのも無理はなかった。若い娘が何人も頬を赤らめ、遠くから青年には気付かれぬ視線を送っていた。

 酒場のある冒険者区は、青年の住む市民区とは分け隔てられている。一般的にディープス市民と呼ばれる者達は、この市民区に住んでいる。素性の知れない冒険者達が彼らの生活を脅かさない為だ。




 市民区と冒険者区を隔てる大仰な門を抜けると、右手には訓練場が見えてくる。冒険者区は大勢の人で活気に溢れていた。青年はその慌ただしい雑踏に入っていく。

ラ~ンディー!

 後方からさらに騒がしい声が聞こえてきた。

 青年は雑踏にまみれていても、遠目にでも分かってしまう。身長は高い方だが、屈強な冒険者が集まるここでは特に目立つ高さではない。しかし周囲と一線を画す容姿は隠せるものではなかった。

 青年の名を呼んだその声を無視して、そのまま歩を進める。声の主は酒場で一緒に働くミリーナだ。

ミリーナ

ちょぉーっとぉ、
挨拶もなしなのランディ。

 マイトレーを左手に抱えているこの娘がミリーナだ。見たまんまの元気娘で、大抵の者が彼女のペースに巻き込まれる。

ランディ

ん?
ああ、おはよう。

ミリーナ

おはよー♬

 満面の笑顔で挨拶をするミリーナ。そしてそのまま酒場に向け走り去ってしまった。

ランディ

…………

 ランディと呼ばれた青年は、ミリーナの明るさに口角を上げ、また雑踏の中を進み始めた。

 朝の酒場には冒険者が集まってきている。昨日の戦果の話をしている者、朝食のメニューに悩む者、朝食をたいらげ落ち着いている者など、そこかしこに冒険者はいる。

ミリーナ

ニャハハハハハ、
そりゃないって。

小太りの冒険者

いやほんと
間違いねぇんだって。

ミリーナ

ニャハハハハ。
嘘くさーい。そしたら……

大柄な冒険者

おお~い、ミリーナ。
こっちの注文も
忘れないでくれよー。

細身の女冒険者

ミリーナー、こっちも
早くお願いねぇ!

ミリーナ

はいはい~♬
すぐに行くよ~ん。

 ランディの目に、もう酒場内を駆け回るミリーナが飛び込んでくる。この酒場の看板娘であるミリーナは、冒険者からも好かれている。ランディは、そのいつもの風景を横目に準備を始める。

厨房の料理人

ランディ、おはよーさん。
ちょっと今日は遅かったな。

ランディ

おー、そうか。
いつもこんなもんだろ。

ミリーナ

こらぁ~、遅いぞランディ。

ランディ

ああ、遅いな。
でも今取った注文忘れるより
マシだっつーの。

ミリーナ

え?

ランディ

ふ~。

ミリーナ

えと、そうそう
ヨントン豚の柔らか煮と、
シャワ鶏の卵スープ。
で、……いい。と、思う。

厨房の料理人

ランディ。
も一回聞いてきてくれ。

ランディ

はいよ。
シャワ鶏のメニューなんて、
ココにはないからな。

ミリーナ

え?

ランディ

さ、仕事すっか。

ミリーナ

ぃよっし!
お姉さん、も一度行ってくる!

ランディ

頼んねーお姉さんだな。

ミリーナ

むぅ~。
年上になんて言葉を。

 いつも通りの会話の流れに、頬を膨らませるミリーナ。それを背に、ランディは注文を取りにテーブルに向かった。

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