人に好かれることは簡単だ。
悲しかった幼稚園時代を振り切るように、私は小学校に入ってすぐにそのことに気付いた。
人に好かれることは簡単だ。
悲しかった幼稚園時代を振り切るように、私は小学校に入ってすぐにそのことに気付いた。
――はいよっと!
――ばさっ。
バスケットゴールが軽やかに靡く。
「すげー、また3ポイントだよ」
「さすがは夢環」
クラスの皆が口々に私を褒めた。
球技大会は私が大いに活躍できる場だった。
部活に入っていない私が誰より活躍すると、みんなが私をヒーローのように扱ってくれた。
小学生はみんな、ヒーローが好きだ。
ヒーローという存在をねたまず、馬鹿にせず、心酔できるのは小学生の特権といってもいい。
もちろん、ヒーローが敵に回った時は残念がるが、味方で居る時は損得なく愛してくれる。
小学生のヒーローになるのは簡単だ。
ただ、なんでもできればいい。
出来ることなら、努力の影を見せずに。
なぜ出来るのか。その疑問を相手に持たせられれば、もう勝ちだ。
なぜ出来るかって? ヒーローだから。
ヒーローは時に『出来る理由』にだってなる。
そう、私はみんなのヒーローになった。
もちろん、相応の努力をした。
放課後に姉を連れ出しては、次の体育や球技の練習をしたし、帰ってからは寝るまで勉学に励んだ。
手にはマメが絶えなかったし、人差し指と中指のタコは硬くなっていた。
それらを人気キャラの絆創膏で華麗に隠し、私は得た能力を十二分に発揮した。
皆が私を褒めてくれた。
皆が私を愛してくれた。
私はそれが嬉しかった。
だから、求められるままに、私はヒーローを演じた。
連れ出される姉は不満そうで、ことあるごとにこう言った。
ねえ、ココロ。そこまでやる必要ある?
もちろんだよ、未来姉さん。だってこれがいちばんだもん
これは、誰もが幸せになる方法だ。
私が影で頑張れば、私はみんなの役に立てる。
みんなは私の恩恵に預かれる。
だから、私はし続けなければいけないのだ。
ヒーローである限り。
――私が、みんなに好かれたいと願う限り。
……まあいっか、無理しないでね
はーい
姉の心配に、私は無邪気に答えた。
これが私の小学生時代だ。
なんでもできる私、になろうとしていた私が、6年間をヒーローとして過ごし切ってしまった日々。
今になって思う。
このとき、私はすでに破綻してしまっていたのではないだろうか。
姉の心配は的中していて、私はきっと、既に大丈夫ではなかったのではないか、と。
その証拠に、私の中学校時代はとても苦しいものになったのだった。