ココロちゃーん!

はーい!

なぜ、私は周りに合わせることで、自分の感情を殺すようになったのか。




それはきっと、これという明確なきっかけがあったわけではない。

幼い時から少しずつ、少しずつ、変わっていったのだと思う。

それでも、ところどころに象徴的な場面はある。



例えば幼稚園。

今ではもう名前も忘れてしまったが、私はよく笑うルーム担当の先生のことが好きだった。

この先生には嫌われたくない、と幼いながらに思っていた。

――その人は、本当に素敵な先生だったんだ。

私は、園児みんなに愛されていたその人の、特別な存在になりたかったし、特別な存在でいたかった。

だから、私は――

みなさーん、お昼寝の時間ですよー

はーい

すー、すー……

あら、ココロちゃん、早いわね

先生の言うことには誰よりも早く答えたし。

こらっ、タカシ君、そんなことしたらダメなんだからね

もータカシー、ダメなんだよー

いつも先生のそばで、先生のマネをした。

折り紙はこのように折りますよー

はいせんせー、できましたー

あらココロちゃん、きれいにできたわね

先生に教わったことは、誰よりも早く、正確にこなした。

そうすることで、誰よりも先生の特別な存在になれると思っていたから。

このときに、なんでもそつなくこなせる私の基盤ができたように思う。

なんでもできた方が、先生の前で目立つチャンスが増えたからだ。

いや、むしろ、なんでもできなければ、先生の隣に居ることなどできない、と私は思っていたに違いない。

誰かを褒め、誰かを叱り、誰かを愛する。

そんな先生のそばに居るためには、まずは私自身ができなければいけない、とそう思ったから。



もちろん、そんなことを繰り返していれば、敵ができるのも道理で。

『夢環って、いつも先生のそばにいるよなー』

『ココロちゃんって、いい子ちゃんだよね』

私はほかの園児から、距離をあけられていたように思う。



私は、私に声をかけずに遊ぶ、ほかの園児の姿を見て。

……うらやましくなんか、ないもん
わたしには、せんせーがいるんだから

と、思ってもいた。

だけど、それを声に出そうとは思わなかった。

だって、きっとそれを声に出したら、私は先生に嫌われる。

みんなと一緒に遊んだら、私は知らず知らずのうちにルールを破ってしまうかもしれない。

そうしたら、先生に怒られてしまう。
そうしたら、先生の隣に居られなくなってしまう。

それなら、私は一人で良い。特別で良い。

これが、幼稚園のころの私。

先生に好かれたい、その一心だった。

特別になりたい、そのために私は、なんでもそつなくできるように努力をした。


その結果得られたものはー

卒園式の日。

今までありがとう、ココロちゃん
小学校に行っても頑張ってね
気をつけて帰ってね

はーい!
せんせいも、がんばってください!

うん♪ ばいばい、ココロちゃん

ばいばーい♪

それは、誰よりも短いお別れだった。

ほかのみんなは、先生の前で泣いたり、いつまでもお話ししていたり、先生を困らせてばかり。

だから、私が短くお別れしたのは、きっと正しかった。

先生の特別であれたはずだ。



だけど、私は先生の心に残れたのだろうか?

ああやって泣いた子の方が、先生の心に残ったんじゃないだろうか。

本当を言えば、私だって――

せんせー……

……さみしいよ……

泣きたかったんだ。

幼稚園の頃の私が得られたもの。

それは自分の本音と涙の引き換えの『特別』という称号だった。

私が私になった理由 ~幼稚園~

facebook twitter
pagetop