病院の廊下で、泰明は恐る恐る話しかけてくる。

泰明

絢香……

絢香

何よ

泰明

……ごめん

泰明

……

長い、長い沈黙だった。
 
彼はゆっくりと口を開いた。

泰明

許してくれなくていい。
許してくれるまでずっと謝る。
俺がしたことは、最低のことだから

絢香

うん。許さない

下を向けていた顔を上げて言えば、辛そうな顔をした彼がいた。
 
許してあげたい気持ちになる。
 
でも、ダメ。

絢香

許したくても許せない。
今のあたしは、泰明のことが好きってだけであなたを許すことはできないの

泰明

……

絢香

あたしは、いじめられて、あなたから離れて冷静になってよく分かった。
あたしの体はあたしのものだけじゃない。
牧も、千裕も、みんなも、あたしが傷つくととっても傷つく。
あたしがみんなを大切に思うように、みんなもあたしが大切だってわかったから。
みんなが大切だって思ってくれるあたしが、あなたを許しちゃいけないの

泰明

うん

絢香

あたしがどれだけ泰明のこと好きでも、もうあなたとは一緒にいられない。
あなたはあたしを傷つける人だから。
一緒に、いられないんだよ

涙が溢れてきて、必死でぬぐう。
 
泰明があたしに手を伸ばした気配がしたけれど、寸前で止まった。
 
宙をつかむように数回指が動いて彼は手を引いていった。

泰明

うん。
一緒にいれないのは俺も分かってる

沈黙が流れた。

見かねたように、それまで隣で何も言わずに見ていた千裕に、腕を引っ張られる。

千裕

……行こう、絢香

頷くだけで自分から歩きだせないあたしを、千裕はゆっくりと導いてくれた。

悠美のお見舞いに行った時に、碧ちゃんと話した。

あの日以来、初めて話した。

悠美のこと、大好きで、大嫌いだった

絢香

うん

悠美は、ひどいこと平気でするの。
でも、あたしはやさしかった時の悠美を知ってるから。
どうしても、悠美から離れることができなくて、いつか戻ってくれるんじゃないかって

そうしたら、何にも、言えなくなって

こんな、こんなことがしたかったわけじゃないのに

結局、あたしの弱さが、甘さが、悠美を追い詰めた

世界に絶望するような子じゃなかったのに

あたしが、碧が絶望させちゃった

大切だったのに……、大事にしたかったのに!

絢香ちゃんも傷つけて、悠美も傷つけて!
碧、人を傷つけることしかできない

絢香

碧ちゃんは、私や悠美ほど強くないから

強いって何!?
序列の世界で強いって何!?

運動能力も高くて、勉強もできて、顔がよくて、人気者で!
それ以外の人間は弱いの!?
強くないっていうの?!

……それ以外の人は学校を、楽しんじゃダメなの?

絢香

絢香

私も悠美も逃げなかった。
戦う強さがあった。
守りたいものを守りきる強さが

絢香

でもあなたには無かった。
悲しいけどそれだけなの

なに、それ…

碧はただ、悠美を…

悠美と一緒に普通に…

ただ学校に行きたかっただけなのに…

序列なんかのせいで…

絢香

…その気持ちなの

絢香

あなたが弱い理由。

絢香

序列なんて元からおかしいの。

絢香

人間に順位をつけて、競争させて、だましあって、それを8歳の時からさせられる。
こんなの、間違ってるって思うときにはもう、序列に染まってる

絢香

それでも、あたし達はここで生きていかなきゃ行けないの

絢香

否定しても、逃げてもどうしようもない

絢香

理不尽に決められた枠組み

絢香

でもあたしも悠美も・ここで精一杯生きた

絢香

精一杯戦わされた

絢香

…誰が始めたかわからない序列制度

絢香

普通の人間は決められた世の中で生きていく

絢香

私も悠美も決め事からは逃れられないの

絢香

でも世界ってそんなものでしょ?

絢香

だから私たちは戦うの。
戦い方を学んでるのよ。
学校という安全地帯で

絢香

悠美をこんな目に合わせたのは、完全に私の落ち度。
追い詰めすぎた

絢香

あなたはなんの、関係もない。
これは、私のせいなの

絢香

だから、碧ちゃんが、気になむ必要はない。
私のせいにして生きていいのよ

……嫌

絢香

でも

碧が強くないって言うなら

碧は、もう逃げない。
あの時、碧が逃げたからこうなった

だからもう、逃げない。
碧は、悠美を傷つけた。
絢香ちゃんに重荷を背負わせた。
忘れない。
この痛みを、碧は忘れない

強い人間だけに背負わせない

…悠美が、目を覚ますまで、一緒にいる

悠美は最後まで碧だけを見てくれてた。
だったら碧も最後まで悠美を見る

絢香

……そう

絢香ちゃん

絢香

あたしたちを、止めてくれて、ありがとう

泣き笑いでそういう碧ちゃんは、今までで一番幼くて、今までで一番、きれいだった。

68時間目:許せない思い

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