ローナ

うぉっしゃぁあああああ!!

 指示通りドラゴンゾンビが凍りつくと、ローナは懇親の雄たけびを腹から吐き出し、サトミの作戦指示通り目標である悪魔へ向かって相棒のローズを振った。




 ゴーグルの中で、釣り竿の先端である針部分に意識を集中させる。



 ローナの針は、近距離なら目視しなくても出来るが、あまりにも遠方まで飛ばす場合は確実に目視が必要となる。



 なので、遠方補助をする場合は必ずこのゴーグルが必須アイテムだった。ギルドマスター手製のゴーグルだ。


 遥か彼方まで見渡せる、ギルドマスターがローナのために作ってくれた、優れモノ。





 海が恋しい時は、これで何度もテルファートの外にある海を眺めていた。







そう、この国から見える、シアンの海を。






 残り十メートルで、ダークドラゴンの上にいる大将らしい悪魔が凍ったのをゴーグル越しで確認。





 アイツだ。




 ローナは一気に釣り針を加速させる。



 凍ってからたった一秒もない間に、氷像と化したバルゼルの中に、針は突入した。


 針先で得る感覚。禍々しい気が絡み付こうとしている。




 魔族は魔力を自身の魔力に変換するのが下手だから、難なく振り払って中枢へ辿り着く。





 目で見えていないが、この『魂』が分かる。

 ぼんやりと、どす黒く染まった紫色の薄気味悪い魂がそこにある。


 ローナは針先をその魂の周囲にぐるぐる旋回させる。

バルゼル

貴様!? 何者だ!?

ローナ

釣りガールよ!

 脳内に直接響いてきた、敵の声。聞こえるわけではないけれど、ローナはその場でめいいっぱい怒鳴り散らす。



 その魂に細い細い糸を巻き付け、がんじがらめにして締め上げる。



 その時間は、本当に瞬く間、だった。





 危機感を抱いた捕縛されし魂がまた叫ぶ。

バルゼル

何をっ……――

ローナ

カプチャー(捕縛完了)!

 全身全霊をかけて、その魂を掴み取る。がっちり、自分の魔力が魂を締め上げている感覚。




 ここからが、いつだって勝負。この禍つ魂を捕まえたまま『釣りあげる』。




 手元のリールが高速でキリキリキリっと糸を引っ張り始める。もちろん、これはローナの意思で引っ張っている。その感覚は、本当に『釣り』と同じ。






 餌をつけた針先に魚が食いついて、抵抗している感覚。引っ張られて、引っ張られて、なかなか上がってこない。



 それは、ローナの魂がとっ捕まえたバルゼルの魂が、本体の中に引きずり戻そうとしているからだ。元の体に戻ろうと、魂が抵抗しているのだ。肉体が、この魂を失うと死んでしまうと分かっているから、引きずり出されてなるものかと、今度はローナの魂を引っ張っている。




 それがローナの精神と魔力をジョリジョリ削っていた。




 ローナは気を奮い立たせる。


 負けられない。負けてはいけないのだ。




 予定が狂った。



 間違いなく、コイツのせいだ。




 コイツが! 私の大切な予定をグチャグチャにした!

バルゼル

予定ってなんだ!?

ローナ

うっさいわね! 釣りガールの底力舐めんじゃないわよ!!

 削られていく精神の中で、思考が敵にも筒抜けになっている状態であることにローナは気づいていない。それでも、ローナはギアを上げる。




 弱音を吐いている暇はない。この『夢』を遂げるには、脇目も振らずに突っ走っていくしかないのだ。時間は一秒だって無駄にするわけにはいかない。





 まだもう少し、シアンの海には世話になるのだ。そのために海に近いこのアジュールを落とされるのはローナだって大反対だ。



 だって、そこにある海にいけなくなってしまうから。




 そこに海が有るからローナは海へ行くのだ。あの真っ青な空を映している海を護るため、どんな事態からも逃げる訳には行かない。






 この海は、他の海とも繋がっている。



 それは全世界に繋がっている。





 ――氷から、黒く染まっている魂がずるぅりと抜け出た。

 ある意味でシアンはこの海域を護る国でも有るのだ。


 シアンのピンチは海域のピンチ。つまり、海洋生物達のピンチに直結する。

 ――魂の帯が、悪魔の胸元から伸びて引っ張られる姿がゴーグルの中で見える。

 世界に息づく海洋生物達を釣りあげるためにも、この海のピンチを護るぐらいやらねば釣りガール失格は失格なのだ!

 ――魂の帯が、糸のように細くなっていって。

バルゼル

おい!

俺は海になんぞ興味はな……――

ブツン。




 鈍い、音だった。



 糸が切れた音だ。



 これはローナにしか聞こえない。

 魂が、肉体から剥離した音だ。


 長い時間に思えた……――でも、これでもたったの三秒だ。


足をふんじばって、



歯をかみつけて、





ローズをぐっと握り締めて力を振り絞る

ローナ

少年、通信機を持ってきなさい!

飛騨零璽

は、はい!

 キュルルルル、と『ローズ』は釣り糸を高速で巻き上げる。


 そうすれば、小麦の粒ぐらいの光が、どんどん大きくなって空を引っ張られて近寄ってくる。

飛騨零璽

魂……!

 リールを巻く音が、収まってくる。


 ローナのほぼ目の前で、禍つ魂はゆらゆらと炎のように魔力を揺らして、浮かんでいた。


 糸にぎゅうぎゅう縛りにされた魂は、ボンレスハムみたいに締め上げられている。



 それを見て、ローナは口元に笑みを浮かべた。



 新人が、慌てたように駆けてくる。





 彼から通信機をひったくると、上機嫌のローナは得意気にゴーグルを親指で押し上げた。

ローナ

釣ってやったわよ、親玉の魂!!

敵の大将、陥落。

セルリアン

なっ……!

ちょ!?

まだ十秒しか経ってないんですけど!?

 水晶玉の中に移る、パジャマ姿の女が禍々しい魂を釣り竿に引っ掛けて、高らかに持ち上げる。

 水晶から見えるこの光景は、梟が見ているものだ。


 その映像が、まるで出鱈目な映像でも送りつけているかのように信じられない光景だ。





 これを見よ、と言わんばかりに天高く掲げ、男のように豪快に大口を開けた女性。スタセーラといえば、テルファートでも有名な侯爵にして商家の令嬢。


 その令嬢が淑女らしからぬ笑顔で本当に楽しそうに笑っている。

ローナ

あーっはっはっはー!

さっすが私! 今日も絶好調!!

これなら、あの大物だって釣れるわ!

飛騨零璽

え……。

本当に、この後、釣りに行かれるおつもりなんですか?

ローナ

当たり前じゃない!

とっととこんな馬鹿騒ぎ終わらせて、私は釣りに行くわ!

海洋生物が、私を待っているんだから!!


あ、新人君?
これ終わったら付き合いなさい。

今回は本当に大物だから、人手がほしいのよね












 こほん、とカロンの咳払いが混じる。










カロン

残念ですが、うちのメンバーは誰も欠けませんよ。

今回はエースのMs.サトミを除いてもギルドの実力トップ3がそろい踏みなんです。

Sランクでなくても、困ってしまうほど有能なのしか連れて来ていません。

カロン

えぇ。

お世話になっているシアン国の第一王子、セルリアン様のため。

後方支援でも『最強部隊』を編成させていただきましたので……――

 

うちの後方支援隊の本領は

コレからです

 魔族兵達は戸惑いを隠せなかった。



 何しろ主戦力であるドラゴンゾンビがどんどん凍っていくのである。しかもトップが凍った上に、魂までどこかへ消えてしまった。



 いったい何が起きているのか、混乱が渦巻く。

進軍せよ。

指揮はこのダークドラゴンが引き継いだ

 ダークドラゴンの一言に、兵士達は戸惑いながらも従う。


 その間にもドラゴンゾンビの一体は全体が凍り付けになった。次の二体目も氷が蝕み始めたからだ。

奇襲部隊に命ず。
上空の鉄箱を撃沈せよ。

突入は三四○メートル地点で防御魔法を展開後、魔力の流れを読みながら距離を詰めていけ。


続いて第一から第五部隊、突入を開始せよ。

その前方の二体いる。くれぐれも侮るな

 控えていた飛行専門の奇襲部隊が浮かび上がり、前線部隊も動き出す。


 ダークドラゴンは楽しんでいた。

 ドラゴンゾンビが早くも戦線から使い物にならなくなるとは思わなかった。




 だが、この程度。


 だが、その程度。





 あの音魔法の人間を食らって知識を手に入れる方が楽しい。悠久の時を生きるドラゴンにはほんの少しの間でも暇潰しになる。




 ドラゴンゾンビの氷像がついに完成した。



 捨て置く……――使い物にならないと決めたドラゴンゾンビに、雷の小粒が突っ込んでいった。


 それは時に無数の星々が天駆けるような光景だ。その一粒一粒が、まるで一つの雷そのもののように顔をバキンッと砕いた。




 肋骨を射抜き、背骨を真っ二つに折った。

 手足が砕け、横倒しになる。

 元より飛べない翼さえも、無慈悲にバキバキと打ち砕かれていった。



 ただ動く屍だったモノは、氷の瓦礫となって砕け、枯れ果てた野に散乱した。





 もう一つの氷像も見るも無惨に砕けた氷で山を作ったのだった。

 ジョーカーは天へ向かって『音』を打ち出した。



 ビィイイイン! と高く、高く。


 天へ轟くほどに弦は空気を震わせた。



 その震えは空気中の水分を凍らせる。



 キラキラ光らせて、先を尖らせて、それは降ってくる。

 魔族ご自慢のコウモリのような羽に穴が開いていく。支えきれず落ちていく。堕落した天使のように、落ちている。



 その雨を掻い潜って飛行してくる敵を、ひたすら『音』で射た。



 音は鳴らない……――のではない。


   、、、、、、、、、、、、、
 音が本来の広がり方をしていないだけだ。






 本来、音は『波』となって空気を震わせ伝う。



 現在、ジョーカーが使用しているコレは、『高音の特徴を利用した』魔法だ。






 高い音というのは直進性が高く、周囲へ音が伝わりにくい性質があるとサトミは言っていた。







 サトミの住んでいた場所には『指向性スピーカー』というものがあるらしい。


 そんなものジョーカーは聞いたことないが、サトミの住んでいた国には面白いものがたくさんあるのだ。




 これを、ジョーカーのが周囲には音が聞こえない原理だった。


 ジョーカーの指先の調整だけで、広範囲攻撃か単身攻撃かを絞る。




『音を射る』魔法……――というには、出鱈目が過ぎるように思える。




 何せ、魔法陣は使っていない。


 魔法ではなく、ジョーカーの『人具』なのだ。

キール

ジョーカーさん、楽しそうですね。

俺も準備が整いました!

 身を乗り出したままだったジョーカーは急にスピードを上げられて、バランスを崩し、背中を天井のスライドに打ちつけて、車内へ戻った。


 椅子に体を受け止めてもらったものの、頭を思いっきり打ちつけてもんどりうつ。



 スライド式の蓋は、ゆっくりと閉まった。




 すみません! とキールは謝罪しながら移動速度は落とさない。

ジョーカー

あぁ……寒いなぁ……

 ジョーカーは、ただただ思う。



 仮面の下で、吐き出す吐息は、相変わらず冷たい。


 まるで冷蔵庫の冷気をそのまま吐き出しているかのようだ。




 ほんの少しして、速度が落ち始めた。そうしてゆっくり止まって、天蓋が開く。







 その天蓋の穴からジョーカーの目に飛び込んできたのは凍りに包まれた氷山の一角……――否、視界いっぱいに、巨大な氷の瓦礫だ。




 瓦礫、瓦礫、瓦礫……――瓦礫が積まれて山のようになっている。




 遠くからは当てることにしか集中できなかったせいで気づかなかった。それらが全て自分が凍らせたモノだったという現実と、その規模があまりに大きいものだったことに、ようやく気づいた。






 邪気に触れても何ともないように護符が貼られているが、空気があまりにも汚いのが吸い込んでわかる。花火の後の煙を吸ったかのように喉にベタベタと張り付いてくる。


 空気の中に、血液の微粒子が混ざっているような鉄錆びの臭いも混ざっている。まるで、血を啜っているみたいだ。

キール

ジョーカーさん、すごいですねぇ

ジョーカー

・・・。

キール

本当によくこんなに凍らせられますよね!

スゴイですよ、ジョーカーさん!

俺も頑張らないと!

 キールぐらいの人に褒められると、やっぱり嬉しくて照れくさい。


 でも、凍らせたのはジョーカーだが、その氷像をいともたやすく瓦礫に変えたキールだってすごい。



 ドラゴンゾンビだったなんて原型が分からないほどの瓦礫の氷山を見上げて目をキラキラさせている。




 これで実はジョーカー(十八)より七歳も年上だ。



 でも、これからキールに出された指示の方が物凄いと思うのだが、ジョーカーは喋らない。

キール

行ってきます、ジョーカーさん!

ジョーカー

 ぶんぶん
(手を振る)

 手を振れば、キールは嬉しそうに笑って『クルマ』から飛び出していった。




 神に愛された白銀の髪が揺れて遠ざかっていく。








 穏やかに笑う優しい彼が、今回も大団体の人数と戦意を極限にまで減らす……――。

 その時、無限大の星が生まれた。
 それは、バリバリと電撃の光をまといしおはじきだった。




 それらは氷の瓦礫の一つ一つにピタリと貼りつくと、その巨体を軽々と持ち上げる。



 その数、四十を越えた。地に倒れていた氷の殆どがふわふわと浮かんだ。まるで氷の楽園に迷いこんだような光景だ。



 そこには氷しかなくて氷さえも生命が宿っているかのように浮かぶ。


 曇天の下、星が氷の表面を反射してキラキラと反射する。その明滅の具合は、なんとなく流れる川の水面のように見える。




 ふわ、ふわっと、次々に空へと吸い込まれるように浮上する巨大な氷塊が見る者達の心を奪う……――。

セルリアン

これは……――

 セルリアンは目を見張った。



 星と氷像の中を浮かんでいるのは、よく護送を依頼する、ほんわかしたキールの姿だ。



 彼の使う人具による護送は、とにかく早い。



 その速さは風魔法を得手としている魔術師をアッサリと追い抜かすぐらいだ。彼の護送を依頼して、時折、城を抜け出したりしていたが……――。

カロン

我がギルドが誇る『護送人』のキール・ソラティスの『実力』です。

本当なら、ご依頼してくださることが多いセルリアン王子にはあまり見てもらいたくなかったのですが……――まぁ、仕方ないですね。

事情が事情ですから

 通信魔道具の向こうの、ギルドマスターは呟く。



 水晶玉の向こうに浮かぶその光景は、地を歩いていたダークドラゴンが飛び上がったその刹那に崩壊した。

 空に浮かんでいた氷像群。その先に細い光の橋が、地表へ向かって何本も伸びた。


 それらはすべて、おはじきが一直線に並んでいるものだった。




 氷の下に貼りついていた小粒の星は、静かにその橋に乗る……――その途端に、大質量の氷が、『びゅおん!』と空を切る轟音を立てながら、地を這う待機部隊へ突っ込んでいった。




 流れる星のようなスピードで一斉に打ち出されたそれは、時速にして百を越えている。






 氷塊が土を抉って突き刺さる。


 その下にいた魔族軍の兵士達が押しつぶされる。



 あるいは氷塊が土の上をずるずるずるっと滑った。

 その様は滑り台の勢いが良すぎて止まらないで滑り続けるように。そして、ようやく止まった時には下部の部隊に甚大な被害を巻き起こしている。





 どれもこれも、氷の塊は三百メートルの高さを越えて、中には三キロメートルを越える高さのものまで打ち出されていた。







 本当に一瞬だった。





 一瞬で、宙に浮かんでいた氷の群生は地面に凸凹の激しい氷原を作り上げた。



 蟻を潰すかのごとくアッサリと潰された。



 氷原の下で生きている魂が二百より少しあった。だが二五○○を越えていた部隊がそこまで踏み潰されたのだ。




 この予想外。


 この奇想天外。





 ダークドラゴンの胸が……――魂が高鳴ったのは本当に本当に、久々のことだった。



 死した屍が砕かれ、このように殺戮の道具として再利用されるなど誰が予想できただろうか。






 死体ごとき、死霊術以外に使われることなど誰が予想できたか。







 氷を打ち出す魔法はいくらでもある。


 無限とも言われている時間を生きているようなダークドラゴンは知っている。


 しかし、これほどの巨大な質量の氷を、このスピードで打ち出すような魔法は現存していない。






 これは、魔法などではない……――そう。


 人間が知恵を絞って作り上げた、人具の使い方だ。



 これはその、わずかな一端でしかない!

 あぁ、そうだ!


 戦場とはこういうモノだ!!




 予想を常に裏切り続けてくれなければ、ただのマンネリだ。



 戦いとは、命を潰して楽しむモノではない。命を一方的に奪うのが楽しいのではない。 





 戦場とは、互いの命を削り、奪い合うものでなければいけない。




 命の奪い合いに生き残る以外の勝敗をつけた時点でそれは一つの命を愚弄する。






 生き残る以外の勝敗をつけた時点で殺し合いという
『お遊び』になりさがるのだ!!





 国のためだ民のためだ色々理由をつけて戦いを正当化させる。


 戦いを強制させる。

だが!




殺し合いを正当化させるなど
無意味!



殺し合いは
片方の命を奪って
こそ成立する!



そこに
恨みも妬みも入っては
ならない!






死の恐怖に怯えるなど
殺し合いではない!






命を削って、生を実感する!


そのために、
殺し合うべきなのだ!




己の存在を
噛み締めるためだ!!








口元が、目元が、釣り上がる。


この感覚を久しく忘れていた。

コレガ

『楽シイ』トイウ感情ダ

 沸き上がった感情のままに、咆哮を上げていた。



 それは地を震わし、天を震わし、肉を震わせて、魂を震わせる。




 地を見下ろして、ダークドラゴンは二つの魂を見下ろす。





 どちらも小さい。


 小さすぎる。


 本来であれば、この足を下ろせば簡単に踏み潰してしまえた。






 しかし、そこで氷に潰された闇に染まりし魂達よりも遥かに強い。




 それに、先程から気になっていたものがある。



 そのついでに、顔も拝んでやろう。




 ダークドラゴンを包み込むようにどす黒い変身魔法陣が展開された。その数は二十を越える。





 頭上で展開される巨大な魔法の数々……――その魔法陣は、すべて『禁術』の魔法陣だった。

キール

どこかの部隊が魔法陣で応戦してくれてるんでしょうか?

セレスティノ

いや、それにしては魔法陣が黒い。

人間が使うとしたら暗黒魔術師だろう。

暗黒魔術師の部隊など、編成する国は大概腐ってる

ジョーカー

・・・・・。

赤石賢誠

キソ様、キソ様! 緊急避難です! 
何してくるか分かんないので、すぐコッチ帰ってきてください!

 腰に下げていた連絡用魔道具からサトミの声が聞こえてきた。


 キールが運転する鉄箱に乗り込むその後を追いかけるように、ジョーカーも『クルマ』の中へ。

キール

サトミ。あれは何?

セレスティノ

あれは全部変身魔法だ、キール。ダークドラゴン自身が自分に魔法をかけているのだ

キール

自分に変身魔法をかけるってどういう状況なんですか? セレノ?

セレスティノ

自分が変身するためだろう

キール

何に変身するんです?

ダークドラゴンなら、あのままでも強いですよね?

でも、変身魔法を使うと魔力攻撃に一部規制がかかりますよね?

セレスティノ

普通の変身魔法と違い、変身魔法の禁術は骨格から肉体細胞まで構造を変えてしまう。

通常は本体を箱に入れて箱を変形させるが、これは肉体構造をすべて変質させるのだ。

この変身魔法は『変身魔法の痕跡が残らない』。

通常の変身魔法であれば大概の魔術師は変身魔法で覆われているのを感知できるが、この禁術は根本から変わってしまった後、別人になってしまって、分からないのだ。

ジョーカー

 うーん、とサトミが唸って数秒後。

赤石賢誠

この状況をヤバイと思って虫に化けて逃げる、平民を装って僕達と接触するのが良いところですかねー。

いや、でもなんかスゴい魔法をけしかけるための下準備、もしくは変身魔法の極致を見せてくれるのかもしれない……――変身魔法の極致?

あ! もしかしたら、自分の鱗を変身させて新たに兵士を産み出すとか!

もしくは武器の形に変えて降らせるとか!

それだったら、カッコいいですね!

セレスティノ

・・・・・

 セレノがものすっごく怒っているのを肌で感じる。



 さすがに、いつもはのほほんとしているキールも焦ったようにセレスティノに落ち着くよう声をかけた。


 彼は太陽神なのだ。


 その気になればここら辺ぐらい焼け野原などたやすい……と、サトミから聞いている。

ライト

笑ってる場合か!

キソとジョーカーが不味いだろ!

赤石賢誠

あっ!

もしかしたら変身魔法の極致を見せるために、あの巨体を霧状に分裂させて襲ってくるかもしれない!

 さっきと言ってることが違うけど、よくもまぁポンポンと自由に思い付く頭だとジョーカーは感心してしまう。



 ライトも同じようなことを言えば、呑気に『思い付いちゃったんだもん』と駄々をこねる子供のようにサトミは言った。

赤石賢誠

それで、その霧を吸い込んだそばから内側に染み込み、血液を循環!

人間だけじゃなく、生き物は血液の循環がなければ生きられないからね。それを利用して血液に邪気を潜りこませる。

それが全身を一瞬にして駆け巡り、三回の呼吸後には死に至る!

ホラホラ、不味そうでしょ?

きっと、あのダークドラゴンは自ら死の霧になるつもりなんだよ!

 

セレスティノ

骨格から変質させる変身魔法の禁術だが、そこまで散り散りになれるわけ……――

キール

分かりました!
すぐ戻ります!!

 キールはすぐにスライドドアを閉めて発進させてしまった。ジョーカーはまだベルトをつけておらず、急発進により体が盛大にのけぞった。



 サトミは安全運転で来るように言っているが、今のキールには聞こえていないようだった。

赤石賢誠

ローナさん、すみません。

待機でお願いします。

ダークドラゴンが自分から変身しちゃって、どうなるか分からないんですよ

ローナ

むぅううううーー!

ダークドラゴンのバカ!
何で変身なんてするのよーー!

 地団太踏むローナ。



 零璽は、もうどうしようもない現状に手放しそうになっている意識を引き寄せて抱きしめる。

 戦闘開始から数秒も経たないうちに敵の大将の魂を掻っ攫ってきた女性がダダをこねている。




 そして今、その黒に程近い魂は瓶に詰められて零璽が抱えている状況。

これは特殊な魂を拘束できる特殊な魔道具だという。


 遠くでは何やら氷像が出来たと思ったら砕けたし、その砕けた氷像が浮かぶと地面に突っ込んでいくという光景。

飛騨零璽

本当に、俺見てるだけ……ていうか、手の出しようが無い。

出したらむしろ邪魔でしかない……!

赤石賢誠

ダークドラゴンがどんな姿してくるか次第ですねぇ

 通信機越しに、サトミの能天気な声が聞こえてきた。


 これが、ここまでの一部始終が開始から僅か八分という現実に零璽はついていけない。

飛騨零璽

あ、あれ?

俺、飛び出すように来てしまったけど、実はすごく怖い所だったんじゃ……!

キール

サトミ! そういえば、魔族の前戦部隊はどうなったんですか? そっち、行ったんですよね? 加勢しますか?

赤石賢誠

キソさん、大丈夫ですよー。こちらは終わってますから































キール

サトミ! そういえば、魔族の前戦部隊はどうなったんですか? そっち、行ったんですよね? 加勢しますか?

赤石賢誠

キソさん、大丈夫ですよー。こちらは終わってますから

・・・ふぅ

セルリアン

終わっている?

そちらの映像を見せろ

は、はい! ただ今!










 水晶の中に広がっていたのは、魔族達が死屍累々と倒れている草原だった。









 はまるで前線ではなく苦しまず静かに息を引き取る疫病で息絶えたかのように綺麗だった。本当は眠っているだけではないのかと疑えるような光景だった。




 それほど、彼らに戦った痕跡はない。綺麗そのもの。



 それでも、そこに生きている魔族はいない。




 見ていて分かるほどに、彼らはピクリとも動かないのだった。




 


 

カロン

執事服の小娘と医者がいれば、そこはもうただの魔族死体遺棄場ですよ。

その二名が起こした殺戮現場です

だが、戦ったような痕跡は……!

カロン

そうですねぇ。

あるいは一方的な虐殺現場とでも言っておきましょうか



だが、血が流れ出ていないだけの殺戮現場で間違いない。

その二名の手による一方的な虐殺現場で間違いありませんよ











 何度見ても、この二人が魔法で敵を眠らせただけのような光景にしか見えない。



 静かなる眠りについた彼らの側で、執事はだらしなく地べたに座りこみ、その側で潮風に白衣を揺らした医者が周囲を警戒している。






 二人の戦場は、異様な静謐に包まれていた。

























キール

それなら、良かった

ローナ

あ! ダークドラゴンが消えた!











 ローナが通信魔道具に向かって叫んだ。



 魔法陣が展開されたまま、遠目から見ていても巨大だと分かるダークドラゴンの姿が見当たらない。




 ローナいわく、突然形をぐにゃぐにゃ変えて小さくなっていったという。

赤石賢誠

ダークドラゴンが使用中の変身魔法は細胞レベルから違うモノに変えてしまう禁術だけど……。

あれを二十以上も出しているので何してくるんだろう……まさか本当に虫になって逃げ……――

キール

サトミ、サトミ!
応答お願いします!

赤石賢誠

はい。
どうしたんですか、キソ様?

キール

どうしましょう。
ダークドラゴンさんがいらっしゃいました!

飛騨零璽

へ?

 思わず、零璽は声を裏返す。


 どんな姿で来たのかと問いかけるサトミに、緊張したキソの声が、放たれる。

キール

人間です! 人間の女の子の姿になって降りてきました!

キール

しかも、とっても可愛いらしい女の子です! 三、四歳ぐらいの!

・・・・・。

セレスティノ

うろたえるな。私が居るんだから

キール

さすがに、この女の子を吹っ飛ばすのは俺、無理です

 眼前には確かに、かのダークドラゴンが変身を遂げた姿があった。




 クラシカルなゴシックロリータを着ている。

 ジョーカーは見上げる形でダークドラゴンを見ているが、スカートの中は白い布が幾重にも重なっていて動き辛そうだ。


 桃色のツインテールがくるりと揺れて、その見た目こそ女児だが、それを裏切るような魔力を放っていた。




 遥か上空から降りてきた女児はまだ本調子の速度ではないにしても、かなり早いはずのキールの『クルマ』に追いつき、あっという間に進行方向へ躍り出た。



 血のように赤い瞳。その瞳孔は見たものを射殺すかのように縦に鋭い。



 先程からぐるぐると周囲を回っていたが、ついに顔を出せ、とダークドラゴンが命令してきた。



 仕方なく天蓋をキソに開けさせて、そこからジョーカーぬそっと顔を出している状態だった。

赤石賢誠

え? 何で、ワザワザ幼女になって降りてきたの?

ダークドラゴン、そこのところはバカなの?

おい。

その黄色い魔道具でバカと言った人間。

名乗れ

赤石賢誠

すみません。
ボク、アカイシサトミって言います

 サトミは相変わらず空気読まずに元気よく答えた。

赤石賢誠

え? 何で、ワザワザ幼女になって降りてきたの?

ダークドラゴン、そこのところはバカなの?

おい。

その黄色い魔道具でバカと言った人間。

名乗れ

赤石賢誠

すみません。
ボク、アカイシサトミって言います

 淡々となされる会話。
 水晶玉の向こうで、不満そうだった幼女姿のダークドラゴンは納得したようにクツクツと笑った。

ちょうど良い、お前達。

私をコレに乗せて、アカイシサトミのところまで運べ。

そうでなければ殺す

 その場に居ないというのに、心臓がわし掴みにされるような威圧に息が詰まった。空気が喉を塞いでいるかのようだ。



 それだけではない。

ニヤリ

セルリアン

!?

 ダークドラゴンは、ちらり、とこちらを向いたのだ。


 見えているはずが無いのに、まるでセルリアンが見えているかのように。そうして、彼女はにやりと赤い口を裂いて笑った。



 睨み付けるしか、なす術がなかった……――これとまともにやりあって、生きていられるわけがない。まるで、自分がその場に居るかのような錯覚に襲われた。







 死が、目の前にある。死の権化のような存在が、ソコにいる。


 背筋が、凍って動かない……――。

赤石賢誠

君、名前何て言うの?

面倒だから、ダー君でいいですか?

 水晶玉の向こうから緊張感のない声が発してくる。


 何でも構わん、とダークドラゴンが促すダークドラゴンにアカイシは勝手に『ダー君』と愛称をつけて呼んだ。

赤石賢誠

ちょっと、交渉しませんか? ボクの条件を呑んでくれるなら、それに乗せてもいいです

ダー君

ほう?

 ダー君は赤い目を細めて笑う。


 幼女がいたずらを思い付いたような顔に見えるが、ダークドラゴンが発している気を水晶玉越しでも感じてしまう。


 そのせいで全てが台無しだ。おぞけが走り、全身が総毛立つ。腹が底冷えする戦慄を呼ぶ。

ダー君

その条件とは?

赤石賢誠

終戦です。
あなたは暇潰しに来たんでしょう?

あなたが知りたいこと、ボクが知っている範囲で全部教えてあげます

 そんな易々と話をつけようとするサトミに、ダー君は『ふむ、続けろ』と笑う。

赤石賢誠

それとね。どうして、君がそのサイズになったのか理由も分かりました。

その乗り物に乗りたかったんでしょう?

で、一番乗り込めそうな幼女サイズになったんです

ダー君

ほう。私がどうしてコレに乗りたいと言い切れる?

 ダー君は面白そうに笑った。

 間違えたら食う、とまで言う。





 コイツは本気だ。
 邪気混じりの殺気が言っている。


 肌で直接触れていなくても、この目視だけで十分に分かる。


 水晶玉の向こうで、サトミは能天気に言う。

赤石賢誠

だって、わざわざ『それに乗せて連れて行け』って言いましたよね?

興味がないなら『乗る』という選択肢は浮かばない。

君は自由に飛行できるから、ボクに会うなら案内しろって命令すれば良いんです。


ダー君は、その乗り物に興味が湧いた。

飛行魔法でもないのに天駆ける星のように自分よりも早く動くから

 数秒だけの沈黙だった。



 しかし、長い時を思わせる沈黙。きっと、セルリアンの生涯でこれほど耐えられない沈黙はないだろう。


 少女の口元が、楽しげに釣り上がった。

ダー君

あともう一つ、理由がある。
当ててみろ

『え? 本当?』とサトミは数秒後、口を開いた。

赤石賢誠

キソ様に勝ち目がないから?

セルリアン

!!!!!

 何を言ってる。
 ここで喧嘩を売りつけるか。


 阿呆そうな顔をしていると思っていたが、こんな状況でやってくるとは、さすがに殺意が芽生えた。


 今は、依頼主のである国の存亡がかかっているのに、相手を挑発するような発言ねじ込めるこの女の神経が信じられない。

ダー君

理由は?

赤石賢誠

数十個以上は氷が浮いてたよね?
ドラゴンゾンビの約三分の二を、二体分ぐらい?

その量の氷をいっぺんに浮かべて打ち出したんだ。


あの質量を体重換算したら、元から小型であるダークドラゴンと同じぐらいか、それ以上。

それをあの早さで打ち出したことになります。


百キロ越えてたでしょ?

じゃあ実際に『ダークドラゴンでやったら』、さぁ、どうなるでしょう?

 ぞっと、違う種類のおぞけが背筋を駆け上がった。


 ダー君が確かな怒りを秘めて、にぃいいと子供が浮かべるには凶悪的な悪意を滲ませた笑みを浮かべたからだ。

赤石賢誠

答えは簡単だ。

キソ様に打ち出されてペチャンコだよ。

あるいは木っ端微塵だね。


間違いなく戦死だ。


自ら死ぬなんて選択肢はとらないよ。人間じゃああるまいし、ドラゴンは死に場所を求めることはしない。

殺し合うことは求めてもね

 言われるまで、気づかなかった。



 色々な最悪に備えて思考してきたつもりだった。でも、あんまりにも自分はそれに及んでいなかった。

 それはつまり、キールがその気になれば、彼の人具を取り付けてしまえば、地面に叩きつけるように殺すこともたやすく出来るということだ。


 あるいは、あの鉄の箱に入れたセルリアンをそのまま地面に叩き落すことで殺害も可能と言うことだ。


 さっき、カロンが言った言葉。


 いつもキールを利用しているから、あまり見せたくは無かったが状況が状況だから仕方ない。





 気づく奴は、気づくのだ。


 もし彼がそんな気を起こしたら、簡単に殺すことが出来る。

 ダー君は高らかに笑いだした。



 あはははは! と面白おかしそうに腹を抱え、その目尻に涙を浮かべて笑っていた。




 遥か遠方、国の中だというのに、空気を支配していた威圧が消え失せた。ダー君はフラフラと『クルマ』に降りて腹這いになると、頬杖をついて笑う。

ダー君

違うわ、痴れ者め。

あの程度の人具、私が本気になれば触れる前に木っ端微塵だ。

一つも触れること敵わん

『えー。マジですかー』アカイシが通信機の向こうで暢気に笑っている。

赤石賢誠

じゃあ、もう、この乗り物がカッコイイからしか思い浮かばないです

セルリアン

適当に言うな……

ダー君

正解だ!

 ついセルリアンが突っ込んだ先、ダー君が興奮気味に是であると答えた。




 鼻が膨らんでいる。頬が薄紅に染まっていた。大正解で間違いない。




 セルリアンの思考が思いっきり夢の彼方へ連れていかれそうになった瞬間だった。





 本来であれば万々歳だが、今はそんな時じゃない。


 水晶玉の向こうで、『やっぱり、このカッコ良さが分かる!? ボクがデザインしたんだよ!』と興奮を包み隠さず発声するアカイシ。



 ダー君が殺気を解除してジョーカーの顔面へ突っ込んだ。愉快そうなピエロが背中と後頭部を打ち付けるとバランスを崩して、鉄箱の中にずるりと落ちるように消えてしまった。

赤石賢誠

いやぁ、話が合うなんて嬉しいなぁ!

どう? この曲線美!

ボクのこだわりはね……――

ダー君

ふむ。
乗り心地もフワフワでよろしい

 水晶玉の向こうの、アカイシの饒舌が止まらない。むしろ騒がしい。

 そしておそらくダー君。聞いていない。



 『クルマ』が動き出すとダー君がサイドの窓にへばりつく姿を確認する。それから、すぐにキール隣である助手席へと回り込むと、再び窓にべったりと手をつけて再び外の風景を眺めている姿が、すぐに遠ざかって豆粒に。

 シアン国至上最悪の事態は、おおよそ十二分という短い時間でこんな緊張感なく終戦となった。

我らが釣姫 ~人間 VS 魔族~(中)

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