羽田千乃という子は不思議な子で、たまに想像もしないことを思いついては実行に移す。
羽田千乃という子は不思議な子で、たまに想像もしないことを思いついては実行に移す。
あれ千乃、早いね。おはよう
うん。おはよー
事務所にはうっすらと彼女たちの新曲が流れていて、千乃はベランダの鉢植えに向かってかがみ込んでいた。
･･････何してるの？
プチトマトに新曲聞かせてるー
ぷ、プチトマトに？
うん。実験だよ？
これである。
野菜にね？ クラシックを聴かせると美味しくなるって言うよね？
確かに、よく聞くね
だから甘々のアイドルソングを聴かせたらもっと甘くなるかなと思って
なるほど･･････
そういえば先月あたりから事務所のベランダで誰かが家庭菜園を始めていたけど、犯人は千乃だったのか。
千乃はいろんなことに興味を持つので、たまにこういうことをする。
研究者肌と言えばそうだけど、変わってると言えば大変変わっている。
プロデューサー？ たべてみる？
微妙に甘い
本当？ じゃ、じゃあもらおうかな
はい、あーん
千乃が小首を傾げつつ、口元にプチトマトを差し出してくる。
断るのも何なので、照れながら食べさせてもらう。
あ、あーん･･････
どう？
･･････確かに甘いね。微妙に
微妙に
アイドルソングの影響かどうかはわからないかな･･････
んー。たぶん影響あると思うんだけどな？
腕組みをして、少し不満げに頬をふくらませる千乃。
そして何か思いついたように、ぱんと手を鳴らした。
今度は別の実験対象を使おう
別の？ って何？
千乃の目はいつもの眠たげな目ではない。
興味を刺激された時だけ見せるきらきらしたものに変わっていた。
彼女はにっこりと笑った。
アイドル？
＊ ＊ ＊
実験対象ってなんだか穏やかじゃないんだけど･･････
あの、危ないことはしないよね？
大丈夫。千乃、そんなことしないよ？
まあ、信用してるけど･･････
とはいえ、千乃は多少突飛な子だから一抹の不安もあった。
でも、いけない。
ちゃんと自分の事務所のアイドルを信用しないと！
千乃はトレーニング場の扉の隙間から中をのぞき込んで言った。
いた。空子さん
最初の犠牲者は空子さんということに
･･････いま犠牲者って言ったよね？
＊ ＊ ＊
あれ？ 千乃ちゃんとプロデューサー？ どうしたんです？
ちょっと話があってね？
ん？ なんですか？
かわいい
･･････へっ？
かわいい
空子さんかわいい
えっ･･････えっ･･････なな、なんですか急にっ！？
かわいい･･････
えーーーっ！？
千乃は空子の顔をじっと見つめてかわいいを連呼する。
空子は千乃の無差別かわいい攻撃をうけ、顔が真っ赤で、おたおたするばかりだ。
かわいい。ぎゅってしたいな？
頭なでていい？
空子さんかわいすぎ
えっ･･････えっ･･････えーーーーーっ！？
空子はもはや平常心を保てない。
頭からしゅわしゅわと湯気が立ち上りそうな勢いだ。
＊ ＊ ＊
その後も千乃のかわいいアタックは続き。
空子は恥ずかしさの猛火に包まれ、あえなく床に沈んだ。
しゅぅぅぅ･･････
＊ ＊ ＊
･･････千乃、さっきのはいったい何だったの？
実験対象をアイドルにしたんだよ？
植物に音楽を聴かせるみたいに、アイドルに”かわいい”って言い続ける
そうしたらアイドルはかわいくなるかって実験？
またおかしな実験を･･････
でも空子さんかわいかった
まあ、確かに･･････
うんうん。結果は上々だね？
次いってみようね
＊ ＊ ＊
あら羽田？ どうしたの？
うん、ちょっとね？
すたすたとダンストレーニング場へ向かった千乃。
次の犠牲者は自主練習に汗を流す留奈のようだった。
さっきの空子を見ていただけに、きりっとした表情の留奈が、狼に狙われた哀れな子羊に見えてくる。
今度の千乃はどう攻めるつもりだろうと見ていると。
それより留奈さんかわいいね？
いきなりいったぁ！ 容赦ない！
･･････っ、な、何かしら急に？
しかしさすが普段からポーカーフェイスを心がける留奈。空子のように一撃で陥落はしない。
だが、一方の千乃も手をゆるめない。
見れば見るほどかわいいね？
いいにおい
抱っこしたい
っ･･････へ、へぇ？ 羽田もなかなか見る目があるじゃない？
やや赤くなりながらもなんとか持ちこたえる留奈。
やや震える指で髪をさらりと流し、平静を保とうとする。
がんばれ留奈！ 負けるな留奈！
しかしとどめの一撃が留奈を襲う。
留奈さんって、あれだね？
世界一かわいいアイドルだね？
はぅっっ！？
決まってしまった。
そう、留奈は小さな頃からひたむきにかわいいアイドルを目指してきたのだ。
面と向かってそんなことを言われればひとたまりもない。
る、留奈が･･････？ かわいい･･････？ 世界一･･････？
一度城門を破られ無防備になった留奈は、続く攻撃をもろに浴びることになる。
留奈さん照れてる？
かわいいね？
やめっ･･････やめて･･････
かわかわー
やめて･･････もうむりだからっ･･････！
きゅんきゅんする
･･････もう･･････許さないからぁっ･･････！！
陥落。
夕焼けよりも赤い顔で、両手で顔を隠しながら留奈は西の空に向かって倒れ込む。
そして声にならない声をあげて足をばたばたさせて悶絶した。
ふぅ･･････なかなかの強敵だった
その後も千乃の実験は続いた。
事務所のアイドルたちは次々と無慈悲な絨毯爆撃で沈められていった。特に唯がすごかった。
プロデューサー？ 千乃の実験はどうだったかな？
･･････確かに、みんな言われる前より言われた後の方がかわいくなってた気がする
だよね？
うんうん。実験成功
事務所の仲間を次々毒牙にかけていきながら満足そうな千乃。
おそろしい子だ。
じゃあ千乃はどう？ どう見える？
ん？ どういうこと？
えっと、人間の脳ってね？ 口にした言葉が誰に向けたものなのか判断できないんだ
人に言ったつもりでも脳は自分に言った言葉のように錯覚する
だから人の悪口を言うと自分もダメージを受けるんだよ？
ってことは、みんなのことを”かわいい”って言い続けた千乃にもみんなと同じ効果が出てるってこと？
そう。ほら。どうかな？
千乃はうれしそうに腰の後ろで手を組み、くるりと回って見せる。
･･････本当だ。確かに言う通りかも
･･････ん？
だから僕は確かめるように、まじまじと千乃の顔を見て言った。
うん。かわいいよ。千乃
･･････わ
どうしたの？
な、なんでもないよ？
どうしたんだ？
僕は千乃の仮説が的を射てると感心しきりなのに。
なのに彼女はなぜかぷいっと顔をそむけるように後ろを向いた。
千乃、こっち向いて？ じゃなきゃちゃんと顔が見えないよ
ねえ千乃？
え、えへへ、千乃は知りませーん
じゃ、じゃあ千乃、あっちいくね、ばいばーい
腰の後ろで結んだ指がもじもじ動いて、背を向けた千乃の小さな耳がほんのり赤くなっていた。
そしてすぐ、別の部屋に行ってしまう。
いつもマイペースな千乃にしては妙に動きが早かった。どうしたっていうんだろう。
やっぱり、不思議な子だな……。
