このまま眠ってしまったら死んでしまうんじゃないかって最近とても怖いの。

あなた、私が死んでも忘れないでね。

漁師は亡き妻とのその約束を果たすために、

今は樫の木になってしまった妻が夜眠れるように毎夜木に手を当て、

元気だった頃、
漁船で彼女を連れ回った海やデートした街並みを見下ろして、

全ての思い出を忘れないように生きてきたのでした。

漁師を追って息子がやってくると、
彼は懺悔するように真相を明かしました。

漁師

お父さんは怖いんだ。

もし眠ってお母さんの記憶を一つでも忘れてしまう事があれば

息子

じゃあ、父さん。

これからは二人でお母さんの木を見張り番こしよう。お父さんも夢の中でお母さんに会いたいでしょう

そしてその晩、
漁師は妻が亡くなってから初めて家で眠り、
息子は樫の木に耳を当てて、
妻のぬくもりを感じたのです。








その夜、
漁師は愛しの妻と夢の中で再会しました。

彼女が死んだあの日、
漁に出ていて事を詫びようとすると

ねえ、あなた。私を船に乗せて。

あなたがどんな景色を見ていたのか、私も知りたいの

漁師は頷き、
彼女の手を引いて船に乗せました。

そして船内に飾られた彼女が描いた絵を眺めながら二人は思い出を語り合いました。

漁師

そうだ。このままジェリーフィッシュを探しに行こう

この島だけに棲むジェリーフィッシュの群れ。

それに出会い、
願い事を言うとすべて叶うというのがこの海を生業にする漁師たちの中で大昔から言い伝えられていました。

漁師

誰も信じちゃくれないんだが、若い時に俺は一度だけ見た事があるんだ

綺麗だった?

漁師

信じてくれるのかい?

もちろん。何をお願いしたの?

漁師

君が欲しいと願ったんだ。俺にはこの島と君だけが全てだった。ずっと誰よりも君を愛していた自信が俺にはあった

嬉しい

漁師

だからもう一度、叶えに行くんだ。

ジェリーフィッシュにもう一度、君とあの島で生きさせてくれって。

君のいない世界は本当に…苦しいよ。もう限界なんだ

無駄なことはやめて。

だって私たちもう会えないんだから

漁師

何でそんな事言うんだよ!!言うなよ、言わないでくれ

漁師は舵を取るのを止めました。

もうこれからはずっとあの子の隣で寝てあげて。私はそれをずっと言いたくて。わたしを愛してくれたようにあの子も愛して下さい

漁師

…それは

妻が死んでからというもの、
息子とどう接していいのかわからず、
ずっと素っ気ない態度を取って来たのは

息子

もしかしてお母さんかな?

息子が妻の夢を見たと言ったとき声を荒げたのは動揺ではなく妬みでした。

漁師

俺は君を一つでも忘れる事が怖い。もし少しでも眠ってしまったら忘れてしまう気がするんだ

あなたは生きてるんだから、眠って忘れる事も必要なのよ

私の想い出を全部覚えてなくったっていいの。新しい想い出もいっぱい作らなくちゃ

漁師が返答に困っていると、
船を囲うように突然ジェリーフィッシュの群れが跳ねながら現れたのです。


そして流れ星のように消えていきました。

何をお願いしたの?

漁師

何も…君にさっき無駄だって言われたからボーっと眺めてた

私はしたよ

漁師

どんな願い事?

聞いた瞬間に彼女は漁師の肩にもたれかかって目を閉じた。

それはあなたが目を覚ました時に確かめてみて

漁師

いやだ。まだここにいさせてくれよ

妻は息子に聞かせていた子守唄を彼に聞かせました。

漁師

止めてくれ。眠らせないでくれ

…♪

妻は何も答えず、
神様に祈るように歌い続けました。

漁師は重くなるまぶたを堪え切れず、
とうとう眠りについてしまいます。

夢の中で眠る事、
それは現実への回帰を意味していました。

目が覚めるとそこには家のベッドで心配そうに漁師を眺める、

やはり愛すべき息子の姿がありました。

息子

お母さんだった?

漁師

ああ。
そんな夢を見ていたよ

漁師

ちょっと寝覚めの悪い夢だったかな。

息子

お父さん、僕ね。将来、お父さんみたいな漁師になるよ

漁師

そうか

漁師は息子と添い寝して二度寝しました。

夢の中で彼女が言った願いとは何だったのか、
これから確かめるためにも生きようと息子の頭を撫でながらウトウトと思ったのでした。

『樫の木島の夜の唄』

おしまい

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