夕方になっても、木陰一つ無いグラウンドはなかなか涼しくならない。
……暑っつ。
夕方になっても、木陰一つ無いグラウンドはなかなか涼しくならない。
もう少し涼しくなったら、もう少しきちんとグラウンドを整備しよう。
……もう少し涼しくなったら。
そんなことを考えながら、理は、どこか波打っているように見えるグラウンドで短距離の練習を続けた。
望月。
午前中も聞いた声に、顔を上げる。
差し入れ。
おそらく一日中教授の手伝いをしていたのであろう、白衣を羽織ったままの高村先輩が、重そうなビニール袋を手にグラウンドの端に立っているのが、見えた。
あ、ありがとうございます。
やったっ!
先輩、サンキュー!
理がお礼を言うと同時に、こういう時だけ理より素早いような気がする、先程まで理とタイムを競っていたはずの勇介が、高村先輩からビニール袋を受け取る。
袋の中身は、スポーツドリンクの500mlペットボトル。勇介から受け取ったペットボトルの冷たさに、理はほっと息を吐いた。
と。
望月。
はい?
改まった調子の高村先輩の声に、顔を上げる。
今日授業に来てた、高校生のこと、なんだけど。
夕日に半分くらい隠れていたが、それでも、高村先輩の顔ははっきり分かるほど赤みを帯びていた。
あの、髪の長い、子、望月の妹、だと、聞いた。
あ、はい。
そう、ですが。
確かに、晶と一緒にいた友人二人は、両方とも髪は短くしていた。長い髪は晶だけ。
……?
しかし何故、先輩はそんなことを尋ねるのだろう? 首を傾げた理は、しかしすぐに先輩の真意を把握した。……まさか。
済まない、望月。
耳まで赤くした高村先輩が、理に向かって頭を下げる。
でも。
……一目惚れ、した、みたいなんだ。
ああ。
小さく、首を横に振る。
兄が言うのも何だが、晶は確かに美人だし、今日の授業でも、教授の問いに首を傾げながらも的確な答えを出していた。誠実で、勉強もできる高村先輩が晶に惚れるのも、頷ける。
……。
胸の痛みに、理は再び、小さく首を横に振った。
晶は、大切な妹。しかし、いつかは、……離れなければならない。
その夜。
どうだった、大学の授業。
夕食時の母の言葉で、夕方の胸の痛みがぶり返す。
うん、実験、高校のよりも精密で面白かった。
そうかそうか。
晶の声に相好を崩した父に、理はむっと唇を噛みしめた。
実験器具は古そうだったけど。
まあ、それは、……小さい大学にはお金無いから。
都会の大学なら、良い実験器具が揃っているだろうさ。
父と母の言葉に頷く晶を、気配だけで確かめる。
晶は、……都会の大学に行きたがっている。それは、薄々感じてはいた。だが。前世から引きずっている胸の痛みに、理は心の奥底で首を横に振った。
……自分は、あの時、『弟』を。
理、どうしたの?
母の声に、はっと意識を戻す。
おかず、減ってないけど。
う、うん。
今日のおかずは、レバーを使った肉野菜炒め。近くの肉屋謹製のレバーはきっちりと臭み処理がしてある上に、理の苦手なニラもネギも入っていない。それでも、全く味がしないのは、おそらく、……晶と『離れてしまう』予感が、胸を塞いでいるから。
……。
高村先輩には、集中講義の最終日に晶を大学案内に誘ってみれば良いとアドバイスした。後は、先輩と、晶次第。
理がいらないんなら、私もらう。
晶が持つスプーンが、理の斜め前にあった大皿からがっつりと肉野菜炒めをさらっていく。
……。
大学院に進む高村先輩に晶が好意を持てば、晶は、都会の大学ではなく理と同じ大学に行くことに、なるかもしれない。それでも。……晶と『離れて』しまうことには、変わりない。
……。
晶が申し訳程度に残した、少しの野菜を、理は、自分に折り合いをつけるかのように飲み下した。