暑い日々が、何事もなく進む。

 集中講義の最終日も、朝から、夏の太陽が容赦なく辺りを焦がしていた。

理、ちゃんと鍵締めてね。


 歩いて十分は掛かる女学校で友人と待ち合わせをしてから大学へ向かうらしい晶の声が、玄関から響く。

ん。

 父と母は既に出勤している。家から直に大学に向かえば、五分で済むのに。眠れていない頭でそんなことを思いながら、理は晶がいる玄関の方へ顔を向けた。

 と。

……。


 玄関の扉のノブに手をかけた晶の影が、不意に揺らぐ。

晶っ!


 一息で、理は、頽れかけた晶の細い身体を支えた。

大丈夫。

貧血を起こしただけだから。

 理の腕から逃れようともがいた晶の重さが、しかしぐったりと理の腕にのしかかる。

 血の気を失った晶の横顔に、前世の光景が重なった。

……!

 ……そうだ、あいつは、自分を、ヴァルドを、……庇って。

……っ


 悲痛な叫びを、飲み下す。

 今は、……晶を介抱するのが、先だ。

 力を失った晶の身体を抱え上げると、理はくるりと踵を返した。

 あっさりとした、しかし女の子らしい晶の部屋のベッドに、ぐったりとした晶の身体を横たえる。玄関にとって返し、晶の鞄を掴んで引き返した丁度その時に、晶ははっと目を覚ました。

授業、行かなきゃ。

大丈夫。


 無理に身を起こし、再びベッドに倒れ込んだ晶に、理自身の携帯端末を見せる。

 現在晶と理が受けている、実験や分析の基礎を学ぶ講義に合格しなければ、その応用である本格的な実験や分析の講義を受けることができない。今日の講義を欠席することで生じる晶の懸念を予測した理は、玄関に取って返す間に自身の携帯端末で高村先輩に連絡を入れていた。

教授なら、すぐ側にいるから、聞いてみるよ。


 理の頼みを気安く引き受けてくれた先輩はすぐに、教授が来週二人分補講してくれるという返信を理の携帯端末宛に送ってくれた。

……。


 その理が示した携帯端末画面をじっと見つめた晶が、気怠そうに、理が持って来た晶自身の鞄から自分の携帯端末を取り出す。おそらく友人宛に連絡を入れているのだろう、素早い指使いで端末を操作すると、その端末を掴んだまま晶は再びベッドに突っ伏した。

病院、行くか?

 理に背を向けた、その小さな背中に、尋ねる。

いい。


 返ってきたのは、普段通りの素っ気ない返事。

そうか。

寝てれば治る。

そう、か……。

 晶のその言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

 晶の優しい寝息を確かめてから、理はそっと、晶の部屋を出た。

……。


 自分の部屋に戻ると同時に、再び、前世の記憶が蘇る。

 内乱を制し、新たな王として小さな国を立て直し始めたヴァルドが次に直面したのは、ヴァルドよりも弟の方が王に相応しいのではないかという、悪意。その悪意の末に、弟は、ヴァルドの敵対者が用意した毒杯を、ヴァルドの目の前で呷り、……亡くなった。

……。


 何も言わず、ただ冷たくなっていく弟を抱き締め続けた腕の感覚が、生々しく蘇る。

……。


 首を横に振り、理はどうにか、前世の幻想を追い出した。

『妹』を放っておくことができない件について 3

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