叫びながらざぶり、と音を立てて友人が風呂から立ち上がる。
なぁ……
…………なんだよ……?
……なんで僕たち、男二人だけで露天風呂に入ってるんだよ?
いうなよ!!
叫びながらざぶり、と音を立てて友人が風呂から立ち上がる。
なんだよ!
期待外れだよ!!
せっかく混浴露天風呂で可愛い女の子たちと嬉恥ずかしどきどき風呂タイムを楽しもうと思ってたのに!!
何が悲しくて野郎と二人っきりで絶景の混浴露天風呂に浸かってなきゃいけないんだよ!?
いや、僕ら以外にもいるじゃん
可愛いのが……
猿じゃねぇか!!
友人がびしり、と指さした先には、なんとも気持ちよさそうな顔をして温泉に浸かる猿。
しかもその猿、どうやらメスのようで、さっきから僕の目の前でぶらんぶらんしている友人の粗末なアレを見て、頬を赤く染めていた。
いいじゃん、その猿女の子みたいだよ?
猿は女のことは言わない!!
猿はメスだ!!
俺は人間の女の子にしか興味ねぇんだよ!!
うきぃ……
どうやら友人の言葉を理解したらしい猿が、ショックを受けたように顔をうつむけた。
ああ……ほら、お前が怒鳴るから猿がへこんだじゃないか……
かわいそうに……
というか、いい加減に僕の目の前でぶらぶらしてるソレを隠すなりなんなりしろよ……
見てて気分が悪くなる……
人のに向かってずいぶんないいようですね!?
お前のも大して変わらないからね!?
ツッコミを入れつつも、体が冷えてきたのか再びお湯に肩まで浸かった友人は、そのまま顔にお湯を叩き付けた。
そうしてそのまま、二人と一匹ののんびりとした時間が過ぎようとしたときのことだった。
ああ、そうそう……
混浴露天風呂で裸の女の子ときゃっきゃうふふ作戦は失敗に終わったけど、実はこの温泉宿を選んだのにはもう一つ理由があるんだ……
お前の最低な思考はともかくとして、そのもう一つの理由ってなんだよ……?
それがな……、実はこの温泉宿……
『出る』らしいんだよ……
なぜか声を潜めた友人の言葉に、僕はいつの間にか隣に来ていた猿と顔を見合わせ、首をかしげる。
出るって何が?
うき?
何がって、温泉宿で出るって言ったら決まってるだろ?
……ああ、温泉か
すでに出てますよねぇ!?
じゃあ……猿?
うき?
確かに出るけども!!
実際に今出てるけども!!
そうでもねぇよ!!
あと猿!
てめぇはなんで俺たちの言葉がわかるんだよ!!
うきぃ……うきゃきゃ!
なんとなくだってさ
なんでお前は猿の言葉がわかるの!?
それこそ何となく?
もういいよ!!
ツッコミ疲れたのだろう、友人がぜぇぜぇと呼吸を整えながらがっくりとうなだれる。
これしきの事で疲れるだなんて情けない。
そんな僕の内心の声を無視して、友人はこれまでの空気を切り替えるように再び声を潜めた。
こんな古い宿で出るっていったら決まってるだろ?
これだよ、これ
そういって友人は、両手を胸の前でだらりと垂らす。
創作でよく見かけるそのジェスチャーに、僕は友人が言わんとするところを理解した。
ああ、幽霊か……
ああってお前……もっと怖がると思ったのに……
当てが外れた友人は小さく肩をすくめる。ちなみに例のメス猿は、幽霊という言葉に怯えて、友人へとしがみついているのだが、それはまた別の話。
まあ、いいや……
この温泉宿に出る幽霊は、なんでも古い着物……十二単だっけか?
あれを着た美人らしいという噂だ……
なんでもネットじゃ、戦国時代のどこかのお姫様の幽霊じゃないかって話だぜ?
戦国時代の美人なお姫様幽霊、ね……
幽霊は怖いけど、美人なら会ってみたいと思わねぇか?
ぐへへ、とだらしなく顔を歪める節操なしの友人に、とりあえず脳天チョップを叩き込んでおいた。
男二人と猿一匹と一緒に温泉を満喫した僕らは、山の幸をふんだんに使った豪華な食事を鱈腹平らげ、部屋でしばらく待ったりした後、夜もだいぶ更けたこの時間に温泉宿の中を探索していた。
何故この時間なのかといえば、
女の子ときゃっきゃうふふができなかったんだし……
もう一つの目的は是が非でも確かめなきゃな!
という友人の鶴の一声が原因だった。
ちなみに、本来ならばろくにバイトもしていない学生二人が止まれるような宿でもないのだけど、どうやら目の前を嬉々として歩くこの友人の知り合いの宿らしく、僕の小遣い程度の良心的な値段でいいという話だ。
そんなことをぼんやりと考えながら、なぜかワクテカ状態の友人の後ろをゆっくりついて歩いていたときだった。
――見つけた……
囁くような、小さな声が聞こえた気がした。
ついでに言えば、足元を冷気がなでているような気もする。
明らかな異変に思わず立ち止まり、友人を呼び止めようとした瞬間だった。
!?
目の前の襖が音もなく開かれ、中から伸びてきた白い手に、声を上げるまもなく問答無用で引きずり込まれてしまった。
再び音もなく一瞬で襖が閉じられ、廊下から差し込んでいた光が遮られる。
一体何が……
どこか、背中がぞわぞわし、肌が粟立つ感覚に両腕を摩りながら振り返った僕の目の前に、ソレはいた。
…………
見た目は戦国時代に出てくるお姫様のような姿で、年齢は僕らと同じくらいだろうか、正直かなり可愛い。ただ、透けるような……というか、実際に透けて向こう側が見える肌に、明らかに希薄な存在感。
着付けられた着物で足こそ見えないし、頭には三角の布がないものの、どう見ても幽霊だ。
あ……ぅ……
あまりの事態に二の句が継げず、ただ口をパクパクさせている僕の目の前で、その幽霊の少女がふわりと微笑んだ。
やっと……会えました……
儚げな、けれど聞くものの心に心地よく響くその声に、懐かしさと切なさを覚える。
その声は、ここ最近になって頻繁に見るようになった、あの夢の声と似ていた。
君は……誰なんだ……?
震える声で問い質す。
君の声を……最近になって夢でよく聞く……
君は一体……誰なんだ……?
どうしてその声を聞くと懐かしいんだ?
どうしてその声を聞くと切ないんだ?
目の前の少女が、この世ならざるものであることなんか忘れたように、彼女へ近づいていく。
そんな僕を、幽霊の少女は悲しそうな、それでいて嬉しそうな、奇妙な顔をした。
生まれ変わって……
忘れて……しまわれたのですね……
でも……魂に記憶が刻み込まれている……
だから私が……思い出させてあげます……
幽霊の少女がゆっくりと僕に近づいてくる。
そうして手を伸ばせば触れられるほどの距離まで来たところで立ち止まり、ゆっくりとその透けた手を僕へと伸ばしてくる。
ひんやりと冷たいその感覚に、思わずびくりと肩を震わせた僕へ、少女は唇を重ねてきた。
その瞬間、彼女から柔らかい唇を通して流れ込んできた何かに、僕の意識は飲み込まれた。