僕が生まれ育ったのは、列強に囲まれた小さな国だった。

そんな小さな国だったからだろう、民の皆の性格は穏やかで、領主様も民たちに混じって農作業をするような、そんなのんびりした日々を過ごしていた。

もちろん、僕の家もそうだ。
領主様の剣術指南役として城に仕えていた父の稽古は厳しかったけれど、それだって「相手を殺す」と言うよりも「自分や大切なものを守る」ための剣術だったし、稽古がないときは近所の子供たちと一緒に野山を駆け巡ってのびのび過ごしていた。

といっても小さな村がそのまま城下町みたいな、本当に小さな国だったから、同年代の友達というのがあまりいなくて、よく一人で遊んでいたのだけれど。

そんな、あるときだったと思う。
僕が彼女に出会ったのは。

アレはたしか……、僕が父から貰った木刀を持って、父から受け継ぐ剣術ではなくて、僕だけの恰好良い剣術を編み出したくて、いつものように山の中腹の特訓場に行ったときだったと思う。

~~~~~♪

誰もいないはずのそこから、小さな歌声が聞こえてきて首を傾げた僕は、父から習った気配を消す技術(といってもかなり未熟なそれ)を使って、そこへ近寄った。

朔様……?

ひゃぁっ!?

なんだ……
キミか……
驚かさないでください……

てへへ、と照れたように笑う彼女は、何度か父の剣術指南についていったときに見かけたことがあった、この国の領主様の一人娘の朔姫様だった。

歳が僕と近いと言うこともあって、領主様へ父が指南している間、僕はよく彼女と一緒に遊んだりした程度の面識はあった。

とはいえ、普段はあまり城から出ないはずの彼女が何故ここにいるのか。
それを問うと、彼女はなぜか気まずそうに目を逸らしながら、拗ねたようにいうのだった。

婆やのお華やお茶の稽古が嫌になって……
こっそり城を抜け出しちゃいました……

何はともあれ、すっかり剣術の稽古という空気が拭い去られた僕は、詰まらなさそうに頬を膨らませる彼女と一緒に、日が暮れるまで遊ぶことにした。
まぁ、僕も朔姫様も服を泥だらけにして、お城の侍女にこっぴどく叱られたのだけれど。

その日から、僕らはよく一緒に遊ぶようになった。
二人並んで、川で釣りをしてみたり、山に実った木の実をそのまま口に放り込んだり、父と領主様を真似て剣術指南ごっこをしたり、こっそり城の厨房に忍び込んでお菓子や料理をつまみ食いしてみたり。
とにかく思いつく限りのことをして、共に笑い、共に怒られ、時にはケンカしたりしながら、いつも一緒にいた。

そんな日々を過ごしていく中で、僕らは互いに成長していき、お互いをつないでいた友情がやがて恋慕へと変わっていったのは自然なことだったのかもしれない。

そうして気がつけば、いつの間にか恋仲になって数年が経過して、朔姫様が美しく成長した、ある日のことだった。

その日、なぜか領主様に呼ばれた僕と朔姫様は、広間で領主様からその言葉を聞いた。

領主

二人とも……特に朔……よく聞いてくれ……
実はな……
隣国の長から、このような手紙が届いたのだ……

二人して領主様から渡されたその手紙に眼を通す。
そこには小難しい言い回しで長ったらしく文が書かれていたけど、要約すると二つのことに纏められた。

一つ、領主の娘――朔姫様を見初めたから嫁に欲しい。

一つ、この要求が受け入れられない場合は、武力を持ってこの国を滅ぼし、その上で姫様を奪う。

これって……

領主

ああ……
脅迫と政略結婚の申し出だ

僕は手紙を読んで愕然とし、領主様は忌々しそうに床に拳を打ちつけた。
そんな、男二人が怒りを露にする中、当の本人は涼やかな声で告げた。

隣国の領主はやるといえば必ずやる、極悪非道と聞いています……
私のこの身一つで国が救われるのならば、喜んで娶られましょう……

私も領主の娘……
いずれこうなることは覚悟できておりました……

気丈に笑ってはいても、やはり怖いのだろう。
さっきから小さく震えているのが見て取れた。

領主

朔…………
……いや、お前にその覚悟をする必要はない

…………父上?

領主

大事な一人娘だ……
お前には幸せになってほしい……
そしてお前を幸せにできる男は、この世にただ一人……

領主様が僕へ目を向ける。

領主

お前に俺から領主としての命令を下す
朔を守れ……

領主様……?

領主

我が国はこれより、隣国と事を構える!
お前は朔を守り、一緒に逃げろ

父上!?
いけません!
私一人のために、国を危機に晒すだなんて……!!

領主

なぁに、大丈夫だ……
領民たちも皆納得してくれるさ!

あっけらかんと笑った領主様が、心配そうにする朔姫様を優しく抱きしめる。

領主

俺たちのことは考えず、お前はただ愛おしい男と……こいつと幸せになることを考えればいい……
この戦乱の世だからな……
好きな男と一緒になれるのは稀なことだぞ?

父上…………

領主

お前もだ……
お前も朔と一緒に生きて……
幸せになってくれ……
ちょっとお転婆が過ぎる娘だけどな!

………………分かりました
我が命に代えても必ず……

彼女を……、朔姫様を守るという絶対の覚悟と共に深く、ただ深く領主へと頭を垂れる。

こうして隣国との戦端が開かれたと同時に、僕らは国から逃げ出した。

そして始まった僕と朔姫様の逃避行は、けれどすぐに差し向けられた追っ手に、あっけなく見つかったことによってすぐさま終わりを告げる。

僕らが逃げ込んだ、近くの村にあった寺に火が放たれる。

轟々と燃え盛る炎から朔姫様を逃がしつつ、僕を切り殺そうとする追っ手の刃を、領主様から貰った刀で受け流す。

金属同士が擦れる耳障りな音を聞きながら、体勢が崩された相手の鎧の隙間を狙って刀を振る。

ぞぶり、という肉を絶つ感触を無視して刀を振りぬくと同時に、追っ手の一人が盛大に血を吹き上げ、断末魔を残すことなく絶命する。

はぁ……はぁ……

すでに返り血で真っ赤に染まった刀を振って血を払い、朔姫様をさらに奥へと逃がす。

そうしてまだ燃え残っていた部屋に朔姫様を押し込んだところで、最後の追っ手が追いすがる。

死ねぇっ!!

罵声と共に振られた刀を紙一重で躱し、そのまま相手の首を狙って刃を薙ぐ。
幼いころから父に叩き込まれた、後の先を突き詰めた剣術は、けれど咄嗟に引き戻された相手の刀によって防がれた。

ぎちり、と刃と刃が噛み合い、鍔競りの状態で敵と睨みあうのもほどほどに、刀を押し込んでくる相手に合わせて、僕は力を抜きながら相手の刃をいなす。
服を僅かに切り裂き、体勢を崩した相手とすれ違いざまに刀を振るう。
けれど、咄嗟に前へと飛んだのだろう、刀から伝わる感触は浅く、決定的な隙を晒してしまう僕へ、背中に傷を負いながらも相手が向かってきた。

皮膚を裂き、肉を断って通り抜けた刃を追うように、僕の体から血が吹き出す。
痛いというよりも、熱い感覚に全身を貫かれるその感覚に、今の一撃が致命的なものだと自覚する。

けれど、倒れるわけにはいかない。
朔姫様を……愛おしい人を守ると決めたのだから。

ぉぉぉおおおおおおおおおっ!!

思いっきり吼えて強引に痛みを振り払うと、一気に床を蹴って相手との距離を詰め、そのまま勝利を信じて油断している相手の首を狙って一閃。

肉を斬る感触も、骨を絶つ感触も置き去りにして刀が通り抜け、僅かな間をおいて相手の首が飛んだ。

はぁ……はぁ……
ぐぅ……!?

荒く息をつき、致命的な傷に歯を食いしばりながら、朔姫様のいる部屋に入った僕を、血に汚れるのも構わず彼女は優しく抱きとめてくれた。

私のためにこんなに傷だらけになって……
ごめんなさい……

柔らかく、白魚のような手で血に濡れた僕の頬を撫でる。

その手を掴んでぼやけ始めた目で彼女を見つめ、抜け落ちそうになる力をかき集めて口を開く。

僕が最後の気力を振り絞って紡ぐのは、照れくさくて彼女に伝えられなかった言葉。

僕はキミを……いつまでも愛しています……

私も……いつまでもあなたを愛しています……

桜色の、その唇から言葉がこぼれ、同時に僕の唇に触れた柔らかな感触を最後に、僕の意識は途絶えた。

ゆっくりと眼を開け、いつの間にか横たわっていた体を起こすと、不安そうな顔で僕を覗き込む幽霊少女と眼が合った。

幽霊少女

…………

大丈夫だよ。
そんな思いをこめて、彼女の透ける体へ手を伸ばし、そっと抱きしめる。

全部……思い出したよ……

随分長いこと……
待たせちゃったみたいだ……

いいんです……
顔も髪も、見た目は違うけれど……
こうしてまたあなたに会えたのだから……

つと、幽霊少女の――朔姫の頬を涙が伝い、それをきっかけにしたように、彼女の体が淡く光に包まれる。そしてそれを意味するところを、僕は直感する。

いくの?

はい……
五百年のときを超えてこうしてあなたに会えたのです……
私の思いは報われましたから……

それに……
今度は幽霊じゃなくて……
本当の体であなたに会いたい……
あなたに触れたい……
だから……
今度はあなたが私を見つけてください……

うん……見つけるよ……
絶対にキミを見つけて……
またキミを好きになるよ……

ありがとうございます、と涙を流す彼女の体を包む光が、徐々に強くなっていく。

私は……
あなたを愛しています……
いつまでも……

最後にそう言葉を残して、そして彼女は消えた。

さっきまで眩しいくらいに部屋を満たしていた光も、彼女の柔らかな感触も、その余韻すらなくなった部屋の中で、それでも僕は呟いた。

僕も……ずっとキミを愛しています……
いつまでも……

彼女が微笑んだ気がしたその部屋を、そっと出る。
いつか生まれ変わった彼女と、きっと出会えると信じて。

それからしばらくしたある休日。
特に目的もなく、散歩と称してぶらぶらしていた僕は、とある女の子とすれ違った。

~~~~~~♪

弾むように歌を歌いながら歩くその子は、髪も眼も、肌の色も違う。
けれど、僕は思わずその子を呼び止めていた。

あの……すいません……

…………?
はい……?

振り返った彼女をみて確信する。
魂が叫んでいるのだ、彼女だと。
愛おしいあの人だと。

やっと見つけた。

魂が歓喜に震えるのを感じながら、僕は微笑んだ。

いつまでもキミを 後編

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