その行為を積み重ねることで、いつか二人一緒に救われる日が来るかもしれない。そんな日を願った彼女の決意。
その時のあいつは、本当に悲しい顔をしていたわ。私を責めるんじゃなくて、ただただ絶望した様子で、それからしばらくは部屋に籠ったきりだった
それからは1日おいて、ようやくお兄ちゃんはストリエで投稿を開始しました。毎日欠かさず書いていたのに、1日書けなかったんです
そしてそこには、『何故自分の作品はお気に入りが、コメントがないんだろう。唯一のものも、知り合いからの情けだった。他のコンテスト参加作品は盛り上がっているのに、どうして自分は…』と、本編の終わりにぼつりと本音を零されていました。きっと、そこでしか空様は素直になれなかったのです。ですが――
それが、いけなかった
ああ、ああ! 確かにそれは、私にも分かる。読者に思いを伝えるとは言っても、愚痴などを零しては、ましてやその読者への愚痴は……駄目だよ
はい。だから、その作品は一気に注目を浴びました。そもそも、その作品にお気に入りが付かないからと言って、全く読まれていない訳ではなかったのです。ストリエには、何回その作品が読まれたかが分かる機能がありました。お兄ちゃんが言うには、その数は確実に増えていたそうです。だからこそ、落ち込んでいたとも言えますが
そしてその偶然目にした空様の愚痴に、コメントが殺到しました。もちろん、注目とは悪い意味です
私も最初は、たくさんのコメント数になっているのを見て嬉しくなったわ。そして覗いて、知ったの。初めに目に飛び込んで来たのは、『小説なんて所詮作者の空想、作り物の世界に過ぎない。それを読者にまで当てはめるんじゃない! この自己満足作家が』だったかしら。他にも避難コメントがたくさんあったけれど、とても読む気にはなれなかった
それでもお兄ちゃんはなんとか作品を完成させたのです。コンテストは完結が参加条件でしたから。そして、いざ発表となって、結果は予想通り落選でした。いえ、お兄ちゃんはどこかでまだ期待を捨てられなかったかもしれません
ですが、空様の作品は、入賞どころか佳作にも入ってはいませんでした。それどころか、結果発表のあった日から、また空様の作品に避難のコメントが届いたのです『見ろ、お前の自分勝手な作品は佳作にも入っていないぞ。もう自分音空想を他人に押し付けるようなら小説は書くんじゃない』。そんなコメントが、ありました
それからあいつは、部屋にあった大量の本を全て手放したわ。続いてパソコンからストリエを退会して、投稿もやめた。読書すらもしなくなって、本が、嫌いになった
本を見るたびに空様は言います。『本なんて、みんながみんな作家の描いた都合のいい世界だ。赤の他人の創り物の世界を見て、何が楽しい、何が得られる』と。今でも、口癖のように
そうか、だから。だから空は、本が嫌いだと……
全部私のせいなの。安易な同情から、あいつの作品に思ってもないコメントなんてするから。だから決めた。もうあいつの為に自分の気持ちを偽ったりはしない。どんなに残酷でも、あいつには掃除機に接するってね
その行為を積み重ねることで、いつか二人一緒に救われる日が来るかもしれない。そんな日を願った彼女の決意。
それを聞いて、感じて。清少納言ははっきりと言った。
なら、私にも恩がある。空は、お腹をすかせた私に、無条件で美味しいものをくれた
例えその行動に、彼のどのような気持ちが隠れていたとしても。
仮定なんて関係ない。その行動が、結果が私を救ってくれたのは事実だ! だから私も、空を救いたい!
そのまま彼女は立ち上がって、扉から廊下に走る。突き当りを曲がってすぐの、空の部屋の前で止まった。
勢いよく開けようとして、以前ノックしろと怒られたことを思い出し思い止まる。そーっとノックするために右手をグーの形にして、一度胸の前に手を引いて、気付いた。
ん……で。――何で、
窓を叩く風の音に埋もれるような、細くか細い声だった。だけど確かに、清少納言は気付く。声を、耳にする。
何で俺には、才能がないんだ。書きたいのに、やっぱり諦められないのに、もう、書けない
部屋にあった、大量の原稿用紙とペン。
小さな声を拾いながら、清少納言はそんなものを思い出していた。
早く、忘れてしまいたい……なのに、あいつが、清少納言はなんて名前をちらつかせるから――思い出しちまうっ
小さな世界の、その片隅に零れた、たった一人の少年の孤独な本音。
言葉になって、それでも誰にもすくわれずに消えるはずだったその心は、だけど確かに少女が捉えた。
清少納言。
彼の憧れた。一人の作家。
だからこそ、彼女のありのままで接してしまえば、彼にいつまでも悲しい記憶を思い出させてしまう。
決めた。決めたぞ空よ。待っていろ。私がきっと、お前が私を救ってくれたように、今度はお前を救うから
事の大小なんて関係なかった。
ただ、この気持ちに正直にいたい。
あるいは、自信の作品に恥じないためにも。
・・・・・・
少年との間に一枚の扉を隔てたまま、少女はそっとその場を離れた。
彼女の目には、固い決意。