――翌日の放課後。

ヒロミチ

ワタル、お前にしちゃあ
珍しいな。
授業中爆睡するなんて。

ワタル

こっぴどく
叱られちゃたよ。

ユウカ

ほんと珍しいねぇ。
昨日遅かったの?

ワタル

急な来客があってね。
いきなり入って来て
冷蔵庫開けるような
人なんだけど。

ヒロミチ

く、俺の取り分が減る……。

ユウカ

ワタルの家の食料は
ヒロの為にあるんじゃないわよ。

ヒロミチ

分かってるつーの。
早く倶楽部行けよ。
シッシッ。

ユウカ

はいはい言われなくても
行きますよ。

ユウカ

じゃね~、ワタル~。
又、その人の話聞かせてね~。

ワタル

はいよ~。
倶楽部頑張ってね~。

 ユウカは荷物を手際良く片づけ、教室を出て行った。

ヒロミチ

さぁ、そんなら俺達は帰るか。

ワタル

あ、ちょい待ち。

 ワタルは掃除当番のレンが掃除を終わるのを待っていた。昨日、あまり聞けなかった家の事を聞こうと思っていたのだ。

ヒロミチ

掃除なんか待ってられるかよ。

ワタル

ってか、ヒロも掃除当番じゃん。

ヒロミチ

ふん、不良はそんなもん
手伝わないんだよ。

ワタル

手伝うというか、
当番だからメインだし。

ヒロミチ

ユウカに似てきたんじゃないか?
まぁ、いいや、掃除待つなら
俺は先に帰るぜ、じゃな。

 掃除をさぼり、帰るヒロミチ。声を上げ騒ぎ立てる他の掃除当番もいたが、ワタルは昨日の母達の伝説を聞き、可愛いものだと口角を上げた。

レン

ふー、終わった。
さぁ、帰るか。

ワタル

掃除お疲れー。

レン

あ、ども。え~と……。

ワタル

あ、僕、ワタル。
クラス全員の名前は
まだ覚えられないよね。

レン

そうなんだよ。でも、
もうワタルの名前は覚えたぞ。
よろしくな。

ワタル

レン君、こちらこそよろしく。

レン

レンでいいよ。
レンコンって
聞き間違えられるからな。

 レンは大きく笑った。放課後すぐに帰るレンには、まだその笑顔を見せる相手は少なく思えた。

 途中まで一緒に帰る事になったワタルとレン。歩きながら言葉を交わした。

ワタル

へぇ~、農場ねぇ。
手伝いとか大変そうだね。

 レンはその言葉を受けて、すぐに言葉を返す。

レン

手伝いじゃないよ。
家の仕事は俺自身の仕事。
手伝いじゃないんだ。

 違いが分からないと一瞬戸惑ったワタルは、レンのセリフを頭の中で繰り返した。

レン

そういうワタルも
家が食堂なんだよな。
早く帰らなくてもいいのか?

ワタル

今日は定休日。
祝日だろうが何だろうが、
水曜日は休みなんだ。
ややこしくなくていいだろ。

レン

確かに。客も覚えやすいな。

ワタル

どちらかと言うと
うちの母ちゃんの
為のルールなんだ。

 意表を突かれたレンは、目を見開いた後、また笑った。感情をストレートに表現するタイプのようだ。

レン

よっし、じゃあ今日は
家に来いよ。
良いもん見せてやるから。

 レンの声は張りがあって、しかも温かく聞こえる。ワタルは不思議な高揚感を抱いた。そして二つ返事でレンの言葉に甘える事にした。

レン

ほんとか?
料理人になりたいって?

 レンは道ゆく人にも聞こえる声で、ワタルに確認した。少し照れくさそうにするワタルは、控えめながらに肯定する。

レン

よしっ!
じゃあ、急ぐぞ!
うちはここを曲がった先だ。

 曲がり角を抜けて、真っ直ぐ進むと、景色が開けてきた。農場を通る風はどこか爽やかで、ワタルに新鮮さを与えた。

ワタル

わぁ、こんな所に農場が
あったんだ。

レン

使われてなかった農場を
安く買い取ったんだ。
ここでうちの豆を作るんだ。

ワタル

豆?

レン

ああ、そうさ。
うちの豆は一味違うんだ。
ここの風土は
豆作りに最適なんだよ。

ワタル

へぇ~、なんか凄い自信だな。
興味湧いてきたよ。

レン

よっし、これだ。
これが我が家自慢の豆だ。
食ってみな。

 レンが持ってきたのは、少し小ぶりの豆だった。
一般人が見れば、そこらに売ってある豆と何も変わらないように思える。

ワタル

……

レン

どうだ?

ワタル

…………

レン

おいおい無言は
不安になるぞ。

ワタル

あっさりとしていて
上品な甘さがあるね。
蒸しただけで
こんなに美味しいのは
素材が上質な証拠だよ。

レン

流石、料理人志望。
そこまで分かってくれるとは
うれしいな。

ワタル

すごく美味しい。
大きさも揃っていて艶がある。
いい豆だよ。

 ワタルは豆を絶賛した。食堂でも豆はよく使う。その扱いや知識はしっかりとしていた。

レン

俺の夢はこの豆を
世界中に広める事だ。
どこに出したって
恥ずかしくない豆だからな。

 ワタルには、自信満々に話すレンが母と重なって見えた。

レン

すぐになんて実現しない。
でも必ずやるんだ。

ワタル

すごいよ、レンは。
レンならやれる気がするよ。

レン

おう、やるぞー。

ワタル

何か考えたりしてるの?

レン

ん?

ワタル

宣伝の仕方とか、
あんまり僕は分からないけど、
皆に知って貰う方法だよ。

レン

いや、特に何も。

ワタル

そうかぁ、まぁ、まだ
先の話だもんね。

 僅かな沈黙の間に、勢いに乗っていたレンの顔色が徐々に曇っていった。

レン

馬鹿みたいだな、俺は。
何にも考えてない。

ワタル

いやいやそんな事ないって。
夢を胸を張って語れるって、
すごいと思うよ。

レン

ワタル、正直言ってくれ。
今日初めて話した仲だけど、
遠慮なんてしてほしくないんだ。

 ワタルは暫く俯いてから、夕焼けの空を見上げる。雲に隠れた夕日が弱くなってきていた。遠くにある送電鉄塔が随分と暗く見える。

ワタル

自分は幸せになる。
なんとなくだけど
そう思っていない?
もしくは
自分が不幸になるはずがない。
って。

レン

あー、それは思う。
というか考えないし、
考えてみても、そう思うな。
明るい未来を想像する。
俺は特にそうかも。

ワタル

テレビで犯罪者を見たり、
不幸な事故を起こす人を見ると、
自分とはかけ離れた世界の事って
思っちゃうんだ。

レン

確かに。

ワタル

それって、そうなった人達も
自分がそうなるって
思ってなかったと思うんだ。

レン

それはわかるけど
何が言いたいんだ?

ワタル

僕達だってそうなる
可能性はあると思う。
ちょっとした偶然とかでね。
レンみたいに大きな夢があるなら
その実現の為に
しっかり考えなきゃ勿体ないよ。

レン

ワタルの言う通りだ。
でもどうすればいいんだ?

ワタル

それは僕にも分からないよ。
要は声高に夢を語っても
道筋が見えないんだ。

レン

う~ん、結構手厳しいな。
現実はそんなに甘くないか。

ワタル

ごめん……。
僕はすぐに悪いイメージが
先行するんだ。
レンみたいに前向きに
考えれないんだ。

レン

ワタルと話して分かったけど、
俺はがむしゃらに未来の
願望を叫んでいただけだ。

ワタル

偉そうに言ってるけど
僕だって将来なんて分からない。
だから……
だから不安なんだ。
料理人になりたいって
言ってるけど……
その先に何があるか
見えないんだ。

レン

実家の食堂を継ぐとか?

ワタル

多分そうなるよね。
お客さんが僕の料理を
美味しいって食べてくれる。
それだけで嬉しい。
その気持ちは間違いないよ。

 ワタルは食堂の風景を思い出していた。
 下町にある食堂は、仕事を終えた人達で賑わっている。決して楽ではない現実の声が、勝手に耳に飛び込んでくる。空腹を埋めるだけの場所ではなく、疲れを癒す場所。母の人柄に触れて、厳しい現実に負けないよう元気を取り戻す客の姿が目に浮かんだ。

レン

それだ!
それだよ、ワタル!

ワタル

え?
何?

レン

ワタルが料理を作るんだ!
うちの豆を使って。
絶対、最高の料理が作れる!
うちの豆なら
きっとワタルの力になれる!

ワタル

ええっ!

レン

美味い飯を作って
皆に食べさせる。
美味い料理に皆笑顔になる。
ついでにうちの豆も
知って貰える。
最高じゃないか。

ワタル

思い描くだけで
ワクワクするね。

レン

ワタルと俺の夢は
同じ夢だ。

ワタル

……レン。

レン

その夢は誰にも
馬鹿になんてさせない。

ワタル

レン……。
でもそんなにうまくいくかな。

レン

やってみなけりゃわからないさ。

ワタル

…………

 夢を見ていた――。ワタルはそんな人を沢山見てきた。
 食堂で母に相談する人は、夢を描いていた人の挫折した話。現実は厳しく、心身共に疲れ、様々な事に追われる毎日。家族・仕事・人間関係・金、金、金。学校で勉強しているだけでは知りようもない過酷な日々。

 話に聞くだけで目眩がするというのに、当事者になったらなんて想像すら及ばない。

ワタル

……ありがとう、レン。
そういうふうに言ってくれて
凄く嬉しかった。

レン

おおーー、そうか。

ワタル

でも、ちょっと考えさせて。

レン

あー、もちもち。
時間は急がないから。
良い返事まってるぞ。

ワタル

……ごめん、良い返事は
出来ないかも……。
それじゃ。

 ワタルはレンに背を向けた。
 遠くで沈んでいく夕日は、僅かに雲を照らしていた。帰路に着くワタルは、その夕日が消えていくのをぼんやり眺めていた。

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