こいしくばたずねきてみよみずの底

――二十世紀旗手

夜暮は家主に一言断って家の外に抜け出した。
喫煙するわけでもないからわざわざ出る必要はなかったのだが、あの部屋には居づらかったのだ。

夜暮

墨野のやつ、どういうつもりであんなもの書いたんだ

日の当たらない壁に背を向けて、誰に言うでもなく呟く。

どんな関係であれ、あのような文面にする意味が分からなかった。いきなり

「そろそろ死ぬのであとはよろしく」

と、言っているようなものだ。




どんな関係で、自分の仕事のことをどう説明していればあんな手紙が書けるのだろうか。

夜暮

墨野はそこまでドライな奴じゃなかった……

犯人に激昂することもあった。


他の潜入捜査員をかばって危険に身を晒したこともあった。


任務が終わったとたん、愚痴を吐きながら酒とともに夜暮のアパートに押しかけてきたこともあった。
あのときは確か、潜入先で上役の女性に取り入らされていたのだったか。

そういえば、時期的に、あのときにはもうこの同棲は始まってたはずだ。

そんなあいつが、何の感情も抱かない関係を、普通誰もが気を抜くような家で貫いていたとは。

シェアハウスしている他人?

……夜暮には、もう墨野が分からなかった。

夜暮

ああ、分かっても意味ないのか


夜暮は目を閉じた。

夏と秋の境目。その感慨を得られそうなものは自然の少ない都会には、ない。

さて。数奇透さん、だったっけ




喫茶店でほんの少し会っただけの、顔をまともに見たのも今回が初めての人。
それでも興味を持たずにはいられなかった。





何故、彼はあのとき出ていったのだろう。










五日町

……あいつが何故あんな風にしてるか知ってるか?



夜暮は驚いて隣を見る。


五日町はいつの間にかそこにいて、夜暮の顔を見ないまま缶コーヒーのプルタブを起こした。




五日町

外出するときはヘッドフォンで完全に防音。
できれば目隠し。

できる限り五感に触れるものがないようにしてあいつは過ごしてる。
少しでも「見すぎる」とキャパオーバーして具合が悪くなる。

見も知らぬ奴に腕掴んで問い詰められたら店出ていきたくもなるだろうな

夜暮

……どんな箱入り娘ですか

五日町

男に娘とか言うな。気持ち悪い

五日町は一気に缶の中身を飲み干す。
甘くない香りが漂ってきた。

五日町

PTSD、トラウマだよ。

……なあ、どんなコトをされたらあんな風になると思う?

五日町は無表情のまま、本調子でないはずの左手で軽々と缶を握りつぶした。

夜暮

……環さんは、どう思いました?

五日町

さあな。言う気はない。
お前も言う必要はないがな

そのまま綺麗に凹んだ缶を持って離れていく。

夜暮は、しばらくしてようやく、五日町の飲んでいた種類のコーヒーは皆スチール缶だったと気がついた。

夜暮が戻ると、もう全員が墨野の私室に集まっていた。

数奇

お待たせしました


数奇はゆっくりと話し出した。

‡2 ハッピーエンドは望めないーⅴ

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