乃愛

人の数が減り、敵はまとまって当たってくるとなれば、逃げるのも一苦労だぞ

何か小さなことでもいいから今のうちに対策を考えておきたいね

 状況は日々悪化している。それでも平静を取繕おうとするのは、動揺を隠したいからなのだろうか。ことさらゆっくりと話しはじめた光の頬は引き攣っているようにも見えた。

 尊臣は目を閉じたまま腕を組んで一言も喋らない。何かを考えているような何も考えていないような頭の中は覗けない。

 ただ一人、その中にあって大翔にはもう既に決めてしまっていることがあった。

大翔

それなんだけど、こっちから仕掛けられないか?

乃愛

正気か? 状況は聞いていただろう?

 誰よりも早く反応したのは乃愛だった。わかりやすいほどの反対。瞳には怒りの色すら帯びていた。

大翔

もうやり過ごせる状況じゃない。だったらこっちから仕掛けて奴らの親玉を倒す。何もおかしなことはないじゃないか

乃愛

それが無謀と呼ばれてもか?

大翔

逃げ切ることだって無謀なんだ。終わりが見えるほうがいいに決まってる

数が多すぎる。こちらが先にやられるだけだよ

 熱くなってきた二人を諌めるように光が口を挟んだ。ただやはり光も反対のようだった。どれだけ大声を出そうと誰も通らない情報部室とはいえ、緊迫した雰囲気は精神に悪い。大翔の肩に手を当てて落ち着け、と宥めるが、大翔にはまったく効果がない。

大翔

だから親玉を見つけて叩く。夢の持ち主ならそこで終わり。ダメでもバラバラのカベサーダなら倒す術はある

 大翔の語気が強くなる。もう言ってしまおうかとも考えた。たった一人の、この中にいる誰でもない女の子を助けるためだけに、命を賭けて戦いたいと。バカだって程度はある。今の大翔の頭の中は間違いなく誰にも理解できないことを考えている。

尊臣

神代

 今まで黙っていたままだった尊臣が口を開いた。

尊臣

昨日の体育倉庫の中に誰かがおったな。あれの正体は確認したんか?

大翔

え?

そういえば声だけは聞いたね。僕は結局見ていないけど、あの子も助かったのか

 尊臣がうまく話題を逸らしたことに便乗して光も言葉を続ける。熱くなった大翔と乃愛を静めるのにちょうどいいと思ったのだろう。だが、それは大翔には逆効果というものだ。その少女こそ今の大翔を突き動かしている原動力になっているのだから。

大翔

見たよ。気になったし

尊臣

どんな奴じゃった?

大翔

堂本。うちのクラスの口うるさい女がいただろ? あいつだったよ

尊臣

そうか

 組んでいた腕を解き、尊臣は大きな両手を強く打ち合わせた。規格外の力が鳴らす柏手は狭い部室の中に響き渡る。その場にいた誰もが驚き、体を固めた。あの乃愛でさえもだ。

 気合を込めた柏手は議論を止めるだけの力があった。

尊臣

よし、ワシはその話乗ったるわ

乃愛

ちょっと待て、橋下。本気で勝ち目があると思っているのか?

尊臣

あるかは知らん。じゃが男っちゅうのは拳を作って戦わんといかんときがある

 尊臣は立ち上がり、座っている大翔の頭を乱暴に撫でた。二回の往復で大翔の髪は荒れ放題になってしまうが、そんなことよりも賛同者が出たことの方が大翔には嬉しかった。

なんなんだ、その戦わないといけない時っていうのは

尊臣

女のために体張るんは男の役目じゃろうが

乃愛

私も一応女なのだが

 違う方向で怒りを強めた乃愛に尊臣は臆することなく今度は大翔の肩を掴んだ。興奮しているのか掴む手の力は強い。まだ完全には治りきっていない肩の傷に響くが、そんなことも言ってはいられない。

尊臣

女っちゅうのは、愛した相手っちゅうことじゃろ

大翔

別に愛とかそんなんじゃ

 話が逸れて大翔には結構恥ずかしい方向に転がり始めている。この辺りで修正しておかないとひどい状況が待っていそうだ。

乃愛

まったく理解に苦しむ。暑苦しい

これだから時代遅れのヤンキーは困るよ

 周囲を、大翔すらも置き去りにして勝手に盛り上がっている尊臣に熱く口角泡を飛ばしていたはずの三人は冷や水をかけられたように静かになった。
 この展開を尊臣がどこまで予想していたのかはわからないが、四人の考えはカベサーダを倒すということで一致する方向に傾いた。大翔にとってはありがたいはずなのに、それよりも背中を容赦なく叩く手を止めてほしいと思った。

尊臣

よっしゃ、千源寺。作戦会議じゃ

はいはい。こうなったら付き合うよ

乃愛

まずは敵の大将を見つけるところからか

 諦めたように光と乃愛は自分の椅子に座りなおし、それに満足したように尊臣もまた巨体を壊れそうなパイプ椅子に預けた。

第四夜:一夜限りの英雄Ⅴ

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