バレンタインの2週間前。
とあるお仕事の本番中、司会の女性が尋ねてきた。
――もうすぐバレンタインですねぇ。
――留奈ちゃんは、チョコレートをあげたい人はいるんですか?
バレンタインの2週間前。
とあるお仕事の本番中、司会の女性が尋ねてきた。
――もうすぐバレンタインですねぇ。
――留奈ちゃんは、チョコレートをあげたい人はいるんですか?
……え? チョコ……?
誰に、あげるか…?
本番中なのに、お決まりの質問に回答も用意していたはずなのに、なぜか。
キョトンとしてしまった。
チョコなんて、誰にもあげたことがなかった。
チョコを届けられるような場所にいる他人に、かつては興味が無かった。
不意に、そんな自分を実感したからだ。
留奈は、日頃から感謝している人たちみんなにチョコをあげたいです
たどたどしく、テンプレート的な回答をすることしかできなかった。
やがて仕事が終わり、
スタジオで無音を作ってしまったことを叱られてから、
留奈は、仕事に同伴してくれていたプロデューサーに相談した。
……素直になるには、どうすればいいの?
留奈はしばらく悩んでから、首を振る。
まあ、ともかくこんなことで悩んでいるわけにもいかないわ。頑張ってみる
とても心強いとは言えない決意の表情を見せてから、プロデューサーに少しだけ笑いかけた。
* * *
留奈と一緒に買い物にきてしばらく、街中の喫茶店にて。
ここに来たのは他でもない、落ち着いて留奈の相談にのるためだ。
……あの時から様子がおかしかったから心配はしてたけど、バレンタインのことで悩んでたんだね
もっと早く相談にのれなくて、ごめん
な、なんでプロデューサーが謝るのよ。留奈が勝手に悩んでたことじゃない
留奈はまだ顔が赤かった。
未だに最初のドギマギした雰囲気を引きずっているのかな。
それにしても、友達に相談を受けたのか……どうしても好きな人にチョコが渡せなくて、その子はとても悩んでいる、と
学校の友達か何かかな?
バレンタインのことで留奈が悩むなんて、少し意外だった。
アイドル以外にあまり興味のなかった留奈も、最初と比べると変わったとおもう。
ひかりと楓の影響かな。
僕の質問に、留奈はさぁっと赤くなって、誤魔化すようにドリンクのストローにしゃぶりついた。
そ、そんなところよ!
あ、あくまで友達の悩みよ! 好きな相手だからこそ、素直になれなくて。どうやって渡せばいいのか、その子は分からないのよ……!
恥ずかしそうに繰り返して「友達が悩んでいる」と言っているけど、きっと、留奈本人の悩みなんだろう。
苦く笑いながら、僕はストローでアイスコーヒーを掻き混ぜた。
そうだな……相手を信じてあげよう
……信じる?
そう。どうすればチョコを渡せるか、なんていうのは、素直になれるかどうかよりも勇気の問題だよ
きっと上手く作れなくても、相手は喜んで受け取ってくれる。最初にとびきりのものを作るより、まずはそこから始めなきゃ、時間ばっかり過ぎていく
最近、留奈が悩んでることに気付いて、ひかりたちがなんだか心配しているみたいだったよ
……そう、なの?
留奈はマズいことをしでかした、とでも言うように、気弱にくしゃりと顔を歪めてみせた。
* * *
そして僕たちは街中を巡り……。
目当てのチョコレートの材料を買い直してから、雑貨屋で新たなラッピングの素材を探し続けた。
あくまで留奈の友達の為、という体裁だ。
留奈本人、友達の為という言い訳を忘れて、目を輝かせてしまっているけれど。
あっ……! なかなか可愛いじゃない!
留奈のお眼鏡にかなうなんて、これをデザインした人間はなかなかのものよ、きっと
これだったら――
笑顔の留奈は、それきり一度言葉につまってしまう。
僕の顔と商品を交互に見つめてから、固まってしまった。
……渡せそうかな?
……
そして何も言わず頬を染め、深めにゆっくりと頷いた。
じーーーっ……
……ん?
なんだか、背後から視線を感じる。
というよりも、声が聞こえてくる。
もしかして、誰かに尾行されているのだろうか。
じーーー……
振り返ってみた。
はっ……!? き、気づかれました……!?
ふと、熱い視線と、声が聞こえて振り返った。
柱に隠れられて姿は見えなかったけれど……。
僕の知る限り、他人の尾行中に「じー」だなんて擬音を口に出してしまう子は1人しかいない。
少し、わざと気づかないフリをして様子を見てみよう。
あわわわわわ……ど、どうしよう。バレちゃうよぉ……。――そ、そうだ!
にゃ、にゃーん!
猫のフリをされても、こんなところに猫はいないとおもうよ、八葉……。
なんだか可哀想だから、引っかかったフリをしたほうがいいのかな……。
……なんだ猫か
はい、猫です!
やっぱり、八葉だ……
ひぃいいんっ!? ば、バレましたぁ!
何だろうなこのやり取り……。
と思っていると、留奈が後ろから腕を組んで、こつこつと八葉へと歩み寄る。
……ひかりたちの仕業?
ねえ坂上。ひかりたちは見張りまでよこして、何が目的だっていうの?
ひぃっ……
怖いことしないから、お姉さんに教えてくれるかしら…?
センスの古いおどけ方をしてみせているものの、顔は明らかに問いただす気満々だ。
はわわわわわ……
で、でも、ダメなんです! 仲間は売りません!
八葉は、噛み締めるようにしながら言うのだった。
何か、大切な約束を思い出しているらしい。
* * *
るなさんが、しんぱいですか?
う、ううぅ。で、でも、でーとのじゃまはできないし……
遠くからみまもるとか……?
せやけど、大勢でついてくわけにもいかへんしな……
こうなったら、プロフェッショナルにお願いするしかあらへん。――おーい、やちすけさんやーい!
そう言ってミユは、彼女の名前を呼びながら、びしっと鋭く背後の物陰を指さした。
は、はいぃっ! ど、どうして後ろにいること、バレたんですか……!?
…にんじゃですか?
楓の素朴な感想をよそに、ミユは事情の説明と、プロデューサーを尾行して欲しいというお願いを告げる。
ええな? やっちゃん。見張ってる理由は、絶対プロデューサーらには教えたらあかんで?
* * *
は、話しません! 約束なので…絶対に言えないんです…っ!
け、結構頑固なとこあるわね……
わ、わんわん! がおー!
がおーがおーと威嚇され続けてしまう。
こうなると手が付けられないから、僕も留奈も困り顔だ。
がおーーー――ハッ……
威嚇している最中に、追加で何か思い出したらしい。
* * *
あ、でも、ピンチになったら別にええでー
やっちゃんの身がいちばんだいじ
* * *
話します
急にどうしたの
そして八葉は、たどたどしく経緯を語り始める。
ひかりや楓の気持ち。
ミユの協力。
そして――デートのセッティングについて。
……なるほどね、そういうこと
そして――ぽつり、と。
何してるのよ……あの子たち
留奈は、腕を組んだまま、ぷいと横を向いてしまう。
理由は決して口にはしなかった。
だが腹に据えかねる何かがあるようだった。
勝手にセッティングされたデートを、怒っているのかもしれない。
……
辛そうに視線を落として、拳を握りしめる。
そして――