2月15日、火曜日。

昨日のバレンタインデーは、高校生にとっては一大イベントとなるはずだが、一匹狼と呼ばれ人との関わり合いを持たない白井空にとっては、特に気になることもなくいつも通りの学校だった。

一悶着あったとすればその後のアパートでだが、彼が全力で記憶の消去にかかっているので、触れないでおく。

時間は、放課後の下校時間だった。

いつもの帰り道にある公園。
その、ベンチに。

清少納言

・・・

放心状態の女性が一人、ゆらゆらと前後に体を揺らしながら、寒さに凍えていた。

白井 空

おいおい。この寒い中何をやってるんだよ

清少納言

……が………った

白井 空

何だって?

清少納言

お腹が減った! 何か美味しいもの食べたい!

出逢った時と同じ台詞に呆れたが、奇遇なことに彼も彼であの傍若無人な鬼たちが待つアパートには帰りたくなかったので、こう切り出す。

白井 空

んじゃ、買い物にでも行くか?

清少納言

本当か!? お主も意外といい奴だな!

そんなこんなで、二人はいつもの道を外れて、賑やかな街中に出かけていく。

* * *

白井 空

これが俺の大好きなものだ

清少納言

ああ。私も好きだぞ、これ。とても甘くて、温かい

行きつけのクレープ屋さんで、いつものイチゴチョコを食べながら歩く二人。

この時間だけが、白井の唯一の心休まる瞬間だった。

清少納言

時に空よ。朝からお前の姿が見えなかったが、どこに行っていたのだ? 昨日も今日も私は一人でつまらなかったぞ

白井 空

いやいや、何がつまらないだよ。家に帰ったら大量の原稿用紙がばらまかれていたぞ。全く、ずっと物語を書いていたんだろうが

清少納言

それくらいしかやることがないからな。何故かあの部屋には大量の紙とペンがあるから、いくらでも書き続けられる

最後に手に着いたチョコレートをぺろぺろと執拗になめながら、彼女は言う。

清少納言

それにしても、外の世界はこんなにも充実していたんだな。私はずっと部屋に籠って物語を描いていた故、何も知らなかった

白井 空

その嘘っていつまで続くんだよ? それに清少納言って。いくら物語を書くのが好きでも、名前まで借りなくても…

清少納言

借り物なんかではない。これは私の大切な名だ!

白井 空

はいはい。分かりましたよ清少納言様

乱暴に言って、近くのごみ箱にクレープの包み紙を捨てる。
彼女のごみも一緒に捨てようと手を伸ばしたところで、近くのアクセサリー店に入ろうとしているのを見つけた。

白井 空

ちょっと待てって。勝手にほいほい動き回るな。金も持ってないんだから

さっきからずっとこうだ。洋服店を見れば、

清少納言

ほ~、今はこんな服が流行っておるのか。私には似合わないと思うが

とか。
百均を見つければ、

清少納言

全て百円だと!? セレブ御用達の店かここは!? こんなに客がおるとは、この辺りの者たちは、随分と裕福な暮らしをしてるんだな

とか。

今だって、イヤリングを取っては、その小さな輪に必死に指を通そうとしている。

白井 空

こらこら。壊れたらどうする。そろそろ帰るぞ

彼女の手を強引に引き、アクセサリーショップから引き離す。

それが、まずかった。

清少納言

こ、ここは。とてつもなく巨大な本屋ではないか!?

叫んでいきなり店内へ入っていく彼女を追いかけ、白井も慌てて入店する。

清少納言

・・・

追いついてみれば、一冊の本を取りその場に佇んでいた。

白井 空

ほら、帰るぞ

清少納言

……だ

白井 空

え? 何?

清少納言

私の、本がある!

何を言ってるのかと見てみれば、彼女が手に持つ本は、『枕草子』。
俺だって知っている。彼女が言う、清少納言の書いた本だ。

清少納言

これも、これも、これも。全部全部、全部私の本だ!

他にあったのは、『はるはあけぼの』や『清少納言集』など。これらは厳密には彼女が書いたものではないが、彼女についての作品であり、タイトルには「清少納言」の文字が添えられていた。

そう。全部全部、彼女に関する書籍だ。

清少納言

何故かは知らないが、こんな奇跡もあるものだな。どれ、空も私の書いた本を読んでみないか? 『枕草子』、とてもいい作品だと胸を張れるぞ

白井 空

もう、読まねえよ。俺は本なんか読まない

清少納言

それは、どうして?

白井 空

言わなかったか?

そして、困惑する彼女にもう何度目か分からない台詞を、いつものように吐き捨てる。

白井 空

俺は本が大嫌いなんだよ

ドサッと。
彼女が手にしていた『枕草子』が、二人の足元に無防備に投げ出された。

〔三〕同じことなれども聞き飽きて

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