五日町環(いつかまち たまき)は小さいカップのエスプレッソを一息に飲み干した。
エスプレッソの本場イタリアのカフェにいても違和感がないのではないか、そう思わせるほど気持ちの良い飲み方だ。
喫茶店「ナトゥーラ」の店主は、静かに微笑んで追加のオーダーを受け取る。
遠巻満(とおまき みつる)から面白い話を聞いた
五日町環(いつかまち たまき)は小さいカップのエスプレッソを一息に飲み干した。
エスプレッソの本場イタリアのカフェにいても違和感がないのではないか、そう思わせるほど気持ちの良い飲み方だ。
喫茶店「ナトゥーラ」の店主は、静かに微笑んで追加のオーダーを受け取る。
遠巻満は、とある町の外れ、辺鄙な地に「花屋敷」と呼ばれる豪勢な自宅を構えている老人だ。
先日起きた、彼に関する事件を解決したことがきっかけで、五日町は時折彼を訪ねて話をしていた。
……それが、今日の話ですか
五日町の話し相手の青年は、少し首を傾げた。店内だというのにフードをしたままで、傾げた首にはヘッドフォンがかけられているのが見える。
青年――数奇透(すき とおる)は、数日前に満の事件の謎を解いた時と同じように五日町を見る。
肩の力を抜け。事件の話をしようというわけじゃない。
呼んだ時も言っただろう?
『困っているわけではない』
『来たくないなら来なくとも良い』と
五日町は微笑む。
普段からその美しい容貌と裏腹に男勝りな言動をする彼女だが、女性らしい一面もあるのだ。
ただ、五日町がそんな表情を見せる相手は今のところただ一人だった。そしてその相手は、
そう、ですか
五日町の恋愛対象というわけではない。
五日町は引きこもり気味の数奇を太陽の下、月の下、いつもいつも連れ出し動き回らせる。
それでも、数奇は五日町を嫌いではなかった。
数奇の本当に嫌がることは避けてくれるからかもしれない。
五日町は数奇とむやみに視線を合わせない。
タバコの香りも香水も、数奇と会うときにはつけてこない。
できる限り声を荒らげない。
許可を得るまで触れることはない。
それが、この数奇透という青年にとっては、嫌いな外出も我慢できるほどには大事なことなのだった。
まあ、少しでもお前を外出させたかった、というのも本音だが。『ナトゥーラ』の新作、美味いだろ?
旬の地元産桃果汁100%からアルプス天然水で独自製水法にて水出しし繊維を完全に取り除いたのち苦味渋味灰汁を完全に取り除いだナトゥーラ特製旨実水シリーズ・無添加天然桃水
……はい
やや、お節介ではあるけれど。
まあ、気楽に聞いてくれ
あの屋敷の庭が花で埋め尽くされる前、離れが建っていた、というのは前に言ったな?
はい
どうやら、あそこで遠巻満は新種の花を作り出す研究をしていたらしい
新種?
青い薔薇だ
数奇のカップを持つ手が固まった。
交配のみで青に近い薔薇が発表されたのは1980年代、世界で初めて『青い』薔薇が作り出されたのが2002年だったか。
今でも完全に青い薔薇を作り出すのには成功していないはずだが、数年前の時点でそれに成功していた、と言い出した。その直後の火事で全てが離れごと燃えてしまったそうだが
あの花たちは儂の娘も同然でした
そう、彼は言った。
数年前の火事で、全て焼けてしまった。儂の娘たちはあの庭の、有象無象の花たちの肥やしになってしまったんです
ある意味、『花屋敷の庭には、離れにこっそり住んでいた当主の隠し子が埋められている』という噂も間違いではなかったわけだ。
実物がないから確かめようもないが
数奇はゆっくりと顔を上げた。
五日町さん、その屋敷は、どこにありますか
声が震えていた。
茶土(さど)町だが、何か気になることがあったか?
僕は数年前、茶土町に住んでいました
数奇の顔を見て、五日町は手を挙げた。
すぐに店員がやってくる。
悪いが長居する。無添加天然桃水とエスプレッソの代わりをくれ
はい
そして、普段は自分から語りだすことの少ない数奇に向き直った。
中断して済まないな、続けてくれ