初受診後、早々に帰宅し当時暮らしていた家の二階にあった寝室のベッドで横になっていました。
伴侶はわたしの実家に電話を入れ報告してくれた様子でした。

暫く会わないようにとのH先生から言われた事も両親に電話で伝えたそうですが、そんな事で納得するはずもない両親は家に乗り込んで来たのです。

一体、どういうつもりなの!?
精神科医なんて信用できるもんですか!
オカシなところに連れて行って! 何様なの!

どうせ、変なことを吹き込まれてきたんでしょ。 わたしの子供なのよ。 あんたに何が分かるのよ。

……。

こうへい

とにかく、今は会わせることはできません。

なにやら母は暴言を伴侶に浴びせ、父は父でどうなっているのかということを詳しく聞きたいとのことだったようです。

伴侶は始終冷静に対応してくれていました。 それでも納得のいかない母は、二階に上がると言い出したようで、二階に上がって来る様子であることが分かりました。

れんちゃん? 体調が悪いの???

優しい声ではありましたが、わたしの中には恐怖だけが心に広がって声にならないような声で叫び泣きました。

母はそんなわたしを手繰り寄せようとし、わたしは近くに居た伴侶にしがみ付きながら伴侶の名前を呼び続けました。

こうへい

大丈夫。 ここに居るから。 大丈夫やで。

どれくらいの時間経ったのかは分かりませんが、伴侶の名しか呼ばない我が子に対して、母なりにショックを受けた様子で、いつの間にか二階に来ていた父に促され、母はわたしから離れ、部屋を出てゆきました。

こうへい

落ち着くまで一緒に居ようか?

伴侶はそう言って、震え泣いていたわたしの背中を撫でながら、少しの間、一緒に居てくれました。

下りていった両親はリビングで話し合っているようでした。

少し落ち着いたわたしは、いつの間にか眠りに堕ちました。 初診という疲れと両親が来たという疲れに脳が対応しきれなかったような感覚でした。

その後、3人でいろいろと話し合ったそうです。

とにかく、今はあんたに任せるわ。 もう結婚もしとるんやしな。

昔かられんのコトはよく分からんのや。 芸術のコトも分からんしなぁ。

とりあえず、よろしく頼むわ。

……。 ……。

こうへい

ありがとうございます。 今日のところはこの辺で。

翌日、それなりに納得して帰っていったと伴侶から聞き、両親への対応は全て自分がすると伴侶が言ってくれたお陰で随分楽になりました。

翌週にはH先生からも説明があり、両親と伴侶の3人でH先生の説明を受け、暫くはわたしに会わないというコトを納得してもらえました。

わたしの場合は母の行動が切っ掛けで爆発しましたが、いつこのような事態になってもおかしく無かったのです。

家族とわたしとの確執は幼少の頃からであり、今始まったということはなかったのですから。 

この日から家族との距離を取り、わたしの闘病生活が始まりました。

pagetop