千早が生きていて安心した。それがわかっただけでも朝から走り回った分の成果は十分にあったと言える。大翔は意気揚々とした気分で学食に向かい、カレーパンとカツサンド、それからコーヒー牛乳を受け取って教室に向かった。

 帰宅部には早過ぎる登校で教室にはクラスメイトの姿はどこにもなかった。今学校に来ている生徒ならほとんど部活をやるために来ているはずだからある意味当然のことと言えた。

 大翔は自分の席に着いて買ってきたパンの包装を開ける。遅めの朝食だ。

真由

やっほー

 手始めにカツサンドを口に入れたところで教室の扉が豪快に開いた。尊臣かとも思ったが、どうやらそれは違うらしい。

真由

ねぇ、どうだった?

 真由だった。陸上部の朝練はまだ続いているはずなのに、さも当然のように教室に現れて誰もいない中を通って大翔の席の前に立った。

大翔

今、メシ食ってんだけど?

真由

朝ごはんも食べずに千早のとこに行ったの? 愛だね

 真由の歌劇団のような囁きに耳を貸さずに大翔は黙々と食べ進める。

真由

ちょっと、何か言ってよ! 気になって部活早退してきたんだからね

大翔

ただサボる理由が欲しかっただけだろ

 コーヒー牛乳をすすりながら大翔は苦い顔で真由の顔を睨んだ。コーヒーが苦いわけではない。ミルクが半分近く入ったコーヒー牛乳は疲れを癒す力がある。

真由

いいじゃない。昨日は千早のお見舞いで疲れちゃったし

大翔

お見舞いに疲れる要素なんてないだろ

 朝から走り回って、アポなしで自宅に押しかけた大翔より大変なお見舞いが世の中に早々あってはたまったものではない。

真由

そんなことないよ。たとえば風邪をうつしてもらうために、こう

 と真由が自分の唇に手を当てる。

真由

チュッ、とね

大翔

お前なぁ

真由

あ、今嫌って思った? 千早のファーストキスは俺のものだ、とか考えた?

大翔

考えてない

 カツサンドを食べ終え、大翔はカレーパンに手を伸ばす。こんなことなら学食の席を借りて食べるべきだったか。いや、それでも真由は大翔を見つけてこうして絡んできそうだ。

真由

大丈夫だって、唇は奪ってないから

 キスはしたんじゃねぇか、と叫びたくなるのを堪えて、大翔は無言でパンを食べ進める。下手に返すと危険だ。どうして自分は真由に千早の家の場所なんて聞いてしまったのだろうか。冷静になって考えれば、光辺りなら調べてくれそうなものだ。

真由

こうちょっと首筋に、ね

 長くない髪をかき上げて、真由は自分の首筋を指差した。そうしていれば平均よりは可愛く見えなくもないと言えるのに、どうしてそんなに口から言葉が漏れてくるのか。もう少し落ち着けと言いたくもなる。

大翔

そんな詳細な説明はいらん!

真由

嘘だ。本当は気になってるくせに

 気になっていないといえば嘘になるが、だからと言って当の本人からねちっこく説明してほしいものでもない。どんなことがあったのかは知らないが、とにかく千早は無事のようだったし、真由が言うほど過激なことはしていないはずだ。今は平穏に朝食がとりたかった。大翔はもう何日もまともに眠れていないのだから。

 手応えがないと諦めたのか、真由は口を尖らせて大翔の席から離れていった。ここで居眠りならきっとあの夢は見ないで済むだろう。そうすればまたあの和弘の夢を見るだろうか。

 大翔は食べたパンの包装をまとめて、眠気を振り払うように立ち上がった。

尊臣

よう、無事じゃったみたいじゃな

大翔

それでも最後は破られたよ。危機一髪だった

 カベサーダの最後の一撃は大翔の肩をすり抜けていった。もしもあと数秒長くあの世界に留まっていれば、命は助かるにしてもかなりのケガを負わされていただろう。

乃愛

すまないな。簡単に起床というものには抗えん

 入り口近くに座っていた乃愛が、大翔に苦い表情で謝る。

大翔

それはしょうがないですよ

 大翔自身よく耐えたものだ、と思っている。千早の顔を確認したところまでよく我慢できたものだ。守ってやることはできなかったが、千早が生きていることも今朝確認することができた。

 そして一つ心に決めたことがある。

大翔

眠りの時間が短くなればそれだけ生き延びやすくなるわけだ

実際に夜遅くまで起きて朝に大量の目覚ましで強引に起きるっていう対策をしていた人間もいるみたいだね

大翔

していた?

 光の言葉の端に違和感を覚えて、大翔は繰り返す。しかし、その疑問は乃愛が強く叩いた机の音でかき消された。

乃愛

しかし、昨日の奴らは何だったんだ? まるで別の生き物だったぞ

尊臣

さぁの、えらい頭の切れるアタマでもついたかのう

乃愛

全体を統括する指導者が出てきたということか?

 嫌な話だな、と乃愛と尊臣が同じように顔をしかめた。ただでさえ身体能力が上の相手をどうにか策を弄して逃げ、倒してきた。そんなわら一本を掴んでここまで生き残ってきたのだ。それをあんな団体で襲われては必ずいつか喉笛を噛み切られるときが来る。

 ただ指導者が出てきたという考え方には大翔は否定的だった。

大翔

むしろ元からそいつがいて、動き出したんじゃないか?

 大翔には一つの考えがあった。

第四夜:一夜限りの英雄Ⅲ

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