鳴り響くアラームを止めて、大翔はベッドから這い出した。別に遅刻するほどではない。もう部活をやめて一年近くになるというのに、まだゆっくりと朝をベッドで迎えることに慣れていなかった。今頃キッチンに立つ晴美も今日は起きてこないと安心していることだろう。

 もしかすると、こうやって生き永らえていられるのは他人より早起きが身に付いているおかげなのかもしれない。あと一時間、いや三〇分長く寝ていたら大翔はもうこの場所で血にまみれて死んでいたことだろう。

大翔

あいつ、何であんなところに

 大翔が考えたところでわかるはずもない。大翔自身、あの夢の世界に入り込んだ理由がわからないのだ。入らないで済む方法があるのなら、なんだってやっている。

 ふと、千早の様子が気になった。昨日学校に来ていなかったのは、もしかしてこの夢が原因なのかもしれない。目が覚める直前に千早も脱出していたような気がするが、本当に無事だっただろうか。

 考えれば考えるほど、答えは遠のいていく。我慢しきれなくなった大翔は枕元のスマホを手に取り、アドレスを探る。

 まだ朝早い時間だとか、本当に体調を崩しているかもしれないとかそういう考えはどこかに散ってしまっていた。コール音が鳴り始めたらもう後には引けない。

『おかけになった電話番号は現在……』

 大翔の全身に電流が走った。

大翔

嘘だろ

 昨日夢の世界で見たのは間違いなく千早だった。一年程度の付き合いとはいえ、クラスメイトを、堂本千早を見間違えるようなことはない。あの後、千早は、嫌な想像が頭を巡る。

大翔

ちっ

 思わず大翔は舌打ちをした。千早にではない。昨夜に千早よりも先に目が覚めた自分にだ。あの状況ならカベサーダに押さえつけられても肩の傷程度で済んだはずだ。なら千早の安全を確保してから夢から抜け出せばよかったのに。

 そんなことを思ったところで夢から覚める方法がわからないのと同じように夢の中に居座る方法もわからない。よく我慢した方ですらある。

 自分にいらだったまま、大翔はハンガーに掛けてあった制服をとり、急いで着替えを済ませる。思い出せる限りの教科書をカバンに詰めて部屋を飛び出した。

 部屋の前に立っていた晴美とちょうど鉢合わせになる。

晴美

あ、おはよう。ちょうど今起こしに行こうと思って

大翔

ゴメン。もう行く。ちゃんと朝は何か買って食べるから

晴美

え? 何かあったの?

 驚いたように返した晴美に答えもせず、大翔は階段を駆け降りて、そのまま玄関を飛び出した。

 走りながら手に持ったスマホでまたアドレスを探す。今度は千早ではなく、真由の方だった。

大翔

早島、ちょっといいか?

真由

何よ、こんな朝っぱらから

大翔

どうせ朝練でもう起きてただろ。ちょっと聞きたいんだが

 電話越しにも伝わってくる真由の眠そうな声を無視して、大翔は話を続けた。部活をやっているんだから早起きなものだと勝手に考えていたが、真由と大翔では朝練に対する意識が違うらしい。今日の昼には何か奢ってやらないといけなくなりそうだ。

大翔

堂本の家ってどこにあるか知ってるか?

真由

へぇ、ふぅん

 大翔の質問に真由は何かを察したというように相槌を打つ。まるで獲物を見つけた肉食獣が舌なめずりをしているような欲望にまみれた返事だった。

大翔

いいから。知ってるのか? 知らないなら切るぞ

真由

自分こそ中学一緒だったのに知らないんだ

 そんなもの知るわけがない。中学生なんてものはちょっと仲のいい男女がいればそれだけで話の種に困らなくなる生物なのだ。それがわかっていながらわざわざ話題を提供してやる理由もない。

 大翔は千早に家の場所など聞いたことはないし、千早も同じく大翔の家の場所なんて知らないだろう。

真由

そんなに心配になるなら、もっと早く聞けばいいのに

 にやけ顔が目に浮かぶような声。真由はことさらに焦らすように適当な相槌を返していく。どんな恨みがあるのかは知らないが、家を飛び出してきたというのに行き場所を見失ってしまった大翔には面倒すぎる。

大翔

もう切るぞ

真由

あぁ、わかったって。高校から本屋に出る通りを行って、信号を左に……

 中学が一緒なのだから、家はそれほど遠くはない。考えてみればすぐにわかることだった。真由も聞いただけで実際に行ったことは一度しかないという話で、説明は完全ではなかったが、家に近い大翔の方は十分理解できた。

大翔

わかった。ありがとう

 まだ何かを言おうとしていた真由の言葉を聞かずに電話を切った。大翔は来た道を引き返し、真由の言っていた道へと向かった。

大翔

大体この辺りか

 言われたとおりに高校から本屋に向かう通りを進み、目印として言われた小さな診療所の角を曲がり、大翔は通りの中に進んでいく。集合団地からは少し外れた辺り、千早の家は曽祖父母の代からこの土地に住んでいると聞いたはずだ。

 大翔の家より一回り大きな家の高い塀を巡りながら、一つ一つ表札を確かめていく。三軒目の表札に堂本の文字を見つけた。

 白い漆喰の高い塀。その上に見えるのは日本家屋の黒い瓦屋根。周りと比べても一回りは長い時間この土地に建っているように見えた。

大翔

さて、と

 表札の下のインターホンに伸ばした手が止まる。うっすらと汗をかきながらここまで走ってきた大翔の体が止まって、冷たい朝の空気が肺を通じて脳を冷却した。なんでこんなところまできてしまったのか。ただ心配なだけで、連絡がつかないだけで勢いのままにここまで来るほどのことだっただろうか。

大翔

あぁ、もう

 まだ犬の散歩も通らない堂本家の前で大翔は三度もその場に円を書くように回った。その時間は長くはなかったが、大翔にはずいぶんと悩んだように思える。失礼じゃないだろうか、逆に朝から男が尋ねてきて不安にさせないだろうか。

大翔

電話に出ないあいつが悪いんだよ

 意を決してインターホンに手を伸ばすと、すぐに答えが返ってくる。

第四夜:一夜限りの英雄Ⅰ

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