太陽というものは全ての人々を平等に照らさねばならない。
 ただひとりを寵愛し、そのモノのみを暖かく包み込んで良いというものではないのだ。


 余は太陽。太陽は余。


 祖国キリアサンタがこの太陽によって照らされるのであれば、それは生きた太陽として崇拝される対象になる。


 余こそ太陽。太陽こそ余。


 故に誰かを愛したり誰かを憎んだりしてはいけないのだ。影を作ってはいけない。影を見てはいけない。
 猊下は「贄」といった。余はそうは思わない。キリアサンタ、そしてリレイドフェルデンの平和を照らす太陽と成し得るのだから。


 余は、太陽。太陽は、余。


 太陽の名前を与えられた余こそが太陽たらん、と父上が、そして太陽の名に連なる我らが一族が猊下に言われたことが始まりだったのだ。言われてどのくらいの歳を経たのか、猊下も、まして神ももう覚えてますまい。
 我ら一族が太陽であると誰かが決めた。だから太陽であると自負できる。


 余こそ、太陽。太陽こそ、余。







 なのにどうしてだ。
 おかしいと叫ぶ「友」がいる。
 それはお前の意思ではないのだと。いつまで時代遅れなことをしているのかと。お前の図書館には太陽の化身であるスーリヤ一族は記録されていないのか?





 人であるのに、この国に生きるものなのに、どうして自由にパートナーを選ぶ権利がないのかと。

 神はどうして平等ではないのかと。いや、何を言う友よ。平等であるがゆえに余は平等の象徴たらん太陽として民を照らすのだ。



 「ならば、誰が太陽を照らすんだ」



 誰が?太陽を?照らす?

 余こそが太陽の化身である。
 太陽の化身こそが余である。

 疑いもない事実であり、それは誰も彼もが認める事象である。

 何がおかしい?
 太陽は民を照らし、民は太陽を

 民は太陽を照らさない?



 「余は、余自信の光によって輝くのだ」
 「ならばその光の「元」はなんだ、お前が輝く理由は金銀財宝があるからこそか」
 「何を言う、余の持つ財宝など全て一族のものだ。余だけのものではない。だからこそ余の源ではない」
 「ならお前の源はなんだ」



 源?
 光の?余の?



 「……お前の犠牲が民への希望になるのか、面白いな。お前一人が犠牲になったところで戦争は避けられまいよ」
 「犠牲ではない」
 「政略結婚を犠牲ではなく名誉というか。どこまでも時代遅れだ、この国は」



 いっそあの残忍と名高い皇子にでも滅ぼされてしまえ。



吐き捨てた友が次の瞬間、頬を手に当てこちらを睨んでいた。

三章 鬼の花嫁 Ⅲ

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