気合とともに伸びてきたのは膝の一撃。
ちぇあああ!
気合とともに伸びてきたのは膝の一撃。
昨夜に見た再現をするように走った勢いのままに大翔を押さえつけるカベサーダの触角を取った乃愛が、そのまま顔に向かって痛烈な一撃をみまった。
両の触角を折られたカベサーダはやはり何も発することなく壁際にもたれかかるようにずるずるとその体を折りたたんでいく。それと入れ違うように大翔はゆっくりと立ち上がった。
肩に触れてみるが、少し傷はできているもののもう痛むというほどではない。倒れて動かなくなったカベサーダを一瞥してから腕組みをして仁王立ちしている乃愛に視線を移した。
助かります
無理をするな。仲間が悲しむぞ
でも蹴る必要なかったですよね?
気分の問題だ。気にするな
乃愛はカベサーダの顔にたたきつけた右膝を手で払う。カベサーダの弱点は触角で間違いない。ならば折った時点で勝負は決していたはずだ。それに大翔の方はさっきカベサーダに打ち付けた拳がまだ痛むというのに乃愛の方はあれだけの一撃を入れておいて少しも痛がる様子はない。手で払った膝にも傷らしいものは見えなかった。
痛くないのだろうか、という疑問の視線を乃愛に投げかけてみるが、彼女の方はなんのことか少しもわからないと言うように小さく首を傾げた。
それに。乃愛の華麗な膝蹴りを真下から見た大翔の脳裏には何かが映っていたような気がしてならない。
気がつかなかったことにしておこう、と大翔は前を歩き出した乃愛に続いて廊下を進んでいった。
いきなり襲いかかられるなんて、それに二匹も
私が近くにいてよかったな。貴様死んでいたぞ
厳しい口調で諌める乃愛に、大翔は短くはい、とだけ答えた。仇はとった。少なくとも一匹は自分の手で殺した。それを謝ってしまったら意味がなくなってしまうような気がした。
大翔の先導で廊下を歩き、乃愛と二人で尊臣たちと約束したグラウンドの方へと向かっていく。廊下に散乱した物の数は昨日と変わった様子はない。ただどこか空気が張り詰めているように感じられた。手には武器。カベサーダの弱点を知り、倒せることも知った。何を恐れることがあるだろう。
大翔は何度も自分に言い聞かせてみるが、手の震えは止まらなかった。
静かだった廊下に今度は何かを殴りつける音が届く。
グラウンドとは逆方向。だが、考えるまでもなく乃愛も大翔も音のする方へと走り始めていた。第六感でも野性の勘でもない。この世界で当然に辿り着く帰結。
何の騒ぎだ?
ここで騒ぎになるのは奴が出た時だけですよ
いつか誰かに聞いた言葉を思い出す。簡潔だが、この世界のことをわかりやすく示していた。ただ狭い空間に目的もなく集められた大翔たちがこの夢の中でやらなくてはならないことは、ただカベサーダから逃げ、朝を迎えることだけだ。
廊下の角を曲がり、閉めきられた扉を叩くカベサーダの姿を認める。大翔はその頭に向かって持っていた曲がったパイプを思い切り投げつけた。
赤い瞳が大翔の姿を捉える。扉の向こう側にいる獲物より数メートル先に立っている獲物の方が手っ取り早い。その程度の認識だろう。照準を変えて大翔に向かって駆け込んできた獰猛な怪物の頭から乃愛がその弱点を引き抜いた。
はぁ
反射的に身構えた両腕を解いて、大翔は溜息をつく。倒せるとわかっていてもあのわかりやすい速度という暴力に簡単に慣れることはできない。さっきのように怒りで高揚でもしていない限り、やはり大翔に戦いは難しいのかもしれない。
戦う理由がない。そう言った光の気持ちは今の大翔と同じだったのだろう。口ではなんとでも言えるが、実際に戦場に立てば手は震えるし、足はすくむ。呼吸は乱れるし、まばたきは何倍にも増える。
倒れたカベサーダはどんな気持ちで大翔たちに襲いかかってきているのだろうか。知能はそれほどあるようには見えないが、ただの貧弱な人間という獲物に向かっていき、勝てると思った狩りで命を落とすのはやはりやりきれないのだろうか。
脅威は去った、それだけ伝えようと固く閉じられた扉に手をかけて、大翔は開くのをやめた。わざわざ恐怖の中に引きずり込む必要はない。外にいるカベサーダをすべて大翔たちで倒してしまえば、この中にいる人は助かるのだ。
扉から手を離し、音を立てないようにゆっくりと離れた。
怖いか?
またぼんやりとした瞳で倒れたカベサーダを見つめる大翔に、乃愛は優しく問いかける。
でも、やらないと
そう気負うな。今まで逃げ延びてきたのだろう。変わらずそうすればいい
でも、明らかに今日は違うんですよね
今まで大翔が見聞きした怪物の数はせいぜい二匹。それを乃愛と二人で早々に倒してしまった。それがほんの少し動いただけで三匹目。運が悪いと決め付けるにはあまりにも多すぎる数だった。
もしかして奴らが増えているんじゃないか、って
私に問うな。とにかく他の男どもを見つけることだな
校内の異様な雰囲気の正体に大翔は少しずつ気付き始めていた。
元から壊れたものが散乱していた教室や廊下だったが、歩みを進めていくとそこに何かが通った跡が残されているのだ。人が数人走っていったような跡。それを追いかける爪が廊下に残した傷跡。そしてそれが止まった先にある赤に塗れた亡骸を大翔はいくつか見た。
また
この世界で誰かが死んでいる。自分の視界の外で。和弘が大翔の後ろで倒れたように。名前も知らない誰かが犠牲になっている間だけ、自分たちの安全が保障されている。
行きましょう
死体の横を通り抜け、大翔は先を目指す。いったいこの人たちはどこを目指していたのだろうか。数度曲がっても長々と続く廊下の先には何があったのだろう。