騎士団の訓練場近く。
大好きな王宮医師に我儘を却下されてしまった小さな王兄姫は、王宮内を彷徨う事一時間……。
最悪のテンションのまま足を止めた。
おっひげ~、おっひげ~♪もっふもふもっさ~り、……おっひげ~、おっひげ~……。
騎士団の訓練場近く。
大好きな王宮医師に我儘を却下されてしまった小さな王兄姫は、王宮内を彷徨う事一時間……。
最悪のテンションのまま足を止めた。
ルイおにいちゃん……、怒らせちゃった。
我儘を聞いて貰えなかった寂しさもあるが、やはり一番は……。ルイヴェルが嫌がる事を、押し付けてしまった自分に対しての怒りだ。
最初は、いつもの意地悪で我儘を聞いてくれないのだと思っていた。けれど、……違った。
ふにゅぅ……。
あれ?ユキ姫様……?
ふぇぇ?……あ。アイノスおにいちゃん。
騎士団の方からやって来た青年が、茶色い紙袋を手に近寄ってくる。騎士服に身を包んでいるその青年は、ウォルヴァンシア王宮の大図書館で出会った、ユキのお友達だ。名はアイノス。
どうされたんですか?お元気がないようですが……。
……怒らせちゃった。
え?
ルイおにいちゃん……、怒らせちゃったの。ユキが我儘言って、こ、困らせちゃったから……、嫌な思い、させちゃった。
膝を折り、同じ目線まで揃えてくれた優しい騎士に、ユキはぽたぽたと涙を零しながら言った。
母親の夏葉から、人の嫌がる事をしてはいけない、自分の我儘で人を傷つけてはいけない、と、そう教えられているのに……。
ルイヴェルならおヒゲを見せてくれるだろうと、そう期待してしまった自分が、甘えていた。
……なるほど、ヒゲ、ですか。それで、ルイが怒ったんですね?
うん……。おヒゲは嫌いだって。
一瞬微妙な顔をしてしまったアイノスだが、心境は先程のサージェスティンと同じだろう。
――何故、ヒゲネタでこんな深刻な事に、と。
泣きじゃくるユキの頭をよしよしと撫でてやり、アイノスはその小さな身体を抱き上げて庭に誘ってくれた。
丁度、差し入れを貰ったところなんです。一緒に食べましょう?
……いいの?
はい。誰かと一緒に食べた方が、絶対に美味しいですからね。
……ありがとう。
胸の中でぐるぐるとしていた嫌な気持ちが、少しだけ和らいだ気がする。
ユキはアイノスの頬に感謝のキスを贈り、エトワールの鈴園と呼ばれている庭に向かった……、の、だが。
…………。
ルイちゃーん……、早く声をかけないから、アイノス君に攫われちゃうんだよー……。
……何故俺が、声をかける必要がある?
子供相手に大人げない対応をしたから、かなー。ユキちゃん、ちゃんと謝ったでしょ?ルイちゃんも悪い部分は認めないと。
俺は被害者だ。ユキの我儘に振り回され、気分を害した。よりにもよって、……ヒゲを生やせとはな。
なんかトラウマ的なのがあるんだろうなーとは思ってたんだけど……、何があったの?
……昔、親戚の男に、とんでもないヒゲ面を押し付けられた。
で?
幼い俺が嫌がっているのにも気付かず、その男は俺にヒゲを強要し続けた……。俺は耐えに耐えたが……、結果、父さんに仕置きを受ける程の攻撃魔術を行使し、その男を。
……や、殺っちゃったの?
殺り損ねた。
うわぁー……。御愁傷様。
回廊の柱の陰からユキとアイノスを見送りつつ、サージェスは口の端を引き攣らせた。
恐らく、その親戚の男は悪意など微塵もなかったのだろう。ただ、構いやすい子供が近くにいたから絡んだだけで……。
だが、子供からすれば耐え難い事もある。
攻撃魔術をぶっ放す程のヒゲ強要……。
ルイヴェルが味わった屈辱と苦痛は、彼のげんなりとした表情を見ていれば、よくわかる。
ふんっ、思い出したくもない過去だ……。
でもねぇ……。ぶっちゃけ、ユキちゃんに罪はないよね?
…………。
ちゃんと訳を話すべきだったんだよ。そうすれば、ユキちゃんだってルイちゃんがヒゲに対してどんな思いを持ってるか理解したはずだし、無理強いをする事もなかった。
…………。
大人のくせに、対応下手すぎ。
…………。
ちゃんと謝れないんだったら……、ユキちゃん、他の人達に取られちゃうよ?毎回楽しみにしてる週末の二日間、無駄に過ごすの?
別に……、俺の週末はユキの為にあけてあるわけじゃない。関わらずとも、支障は……。
ふぅん……。いいんだ?もしかしたら、今回の事が原因で……。
ユキ、もうルイおにいちゃんと遊ばない。エリュセードにも行かない。ルイおにいちゃんなんか……、もう、だいっきらい。
――ぐっ!!
なーんて未来も……、あるかもねぇ?
ぐぅっ……!サージェス……っ。
胸押さえて苦しむぐらいなら、早く謝ろうねー。
……はぁ、はぁ、……ぐっぅぅっ。
――って、え?ちょっ、る、ルイちゃんっ!?顔真っ青だよ!!あぁっ、ちょっと!!ルイちゃーん!!
ちょっと脅すだけのつもりで言ってみた結果、ユキに嫌われ、二度と会えない未来にショックを受けた王宮医師が、その場で意識を失ってしまうという緊急事態が起きてしまった……。
他の事には図太いどころの騒ぎじゃないブレのなさを持っているというのに、あの小さな王兄姫が絡むと、メンタル激弱どころの話じゃない。
サージェスは自分の言ってしまった事の罪の重さをひしひしと感じながら、ルイヴェルの治療にあたるのだった。
おいし~い!!
一日限定五十個のマフィンらしいんですよ。ユキ姫様のお口に合ったようで何よりです。
アイノスおにいちゃん、ありがとう~!!もぐもぐっ。
良かったらもうひとつどうぞ。
え?いいの?限定品なんでしょ?
構いませんよ。美味しそうに食べて下さるユキ姫様の笑顔に、お礼のもう一個ですから。
……アイノスおにいちゃん。
はい?
これ……、ルイおにいちゃんにあげてもいい?すっごく美味しいから、ルイおにいちゃんにも食べて貰いたいの。
勿論です。どんな人も、一口食べれば上機嫌になってしまうマフィンですからね。これを食べれば、ルイも機嫌を直してくれるはずですよ。
ありがとう、アイノスおにいちゃん。
でも……、会いに行っても、怒らないかなぁ?ユキ、ルイおにいちゃんに酷い事しちゃったから、追い返されちゃうかも……。
まぁ、最初は意地悪な事を言われたり、大人げない対応を受けるかもしれませんが……。大丈夫ですよ。ルイもそこまで子供じゃ……、多分、ない、はずですから、すぐに機嫌を直してくれますよ。あ、『ルイおにいちゃん、大好き!』という魔法の言葉を使えば、確実にイチコロですよ!!
それ、魔法なの?
はい。効果はバッチリ保証します。だから自信を持ってください。あと、……多分、ヒゲの事に関してはルイの中で触れられたくない何かがあると思いますので、極力触れずに。その代わり、別の楽しい話題でユキ姫様のペースに引き込んでやってください。
ユキの、ペース……。楽しい、お話……、ルイおにいちゃん、喜ぶ?ユキと一緒に、楽しい気持ちになってくれる?
それでユキ姫様を困らせてしまうようなら、俺が後でお説教しておきます。きっと杞憂に終わるでしょうけどね。
アイノスとの楽しいお茶の席。
エトワールの鈴園(りんえん)と呼ばれている中庭で励まして貰いながら、ユキは想像をしてみた。
限定マフィンを渡して、ルイヴェルがニッコリと笑い、ヒゲの事など全部水に流して、いつも通りに遊んでくれる、その光景を……。
トクン、トクンと、何故だかワクワクとした感覚と共に鼓動が速まる。早く、ルイヴェルの所に行きたいと、身体がそわそわして……。
しかし、ユキがその想いを口にしかけたその時。
ユ~キちゃん!!み~つけた~!!
れ、レイちゃんっ、ど、どうしたの~?
ソファーに座っているユキの背後から、両腕を広げてがばりと抱き締めにかかった一人の男。
ユキが振り向こうとすると、すぐ傍に愛想の良いニッコリ笑顔の叔父がいた。
外見の年齢でいえば、二十代半ば程。
青よりも濃い蒼の髪をさらりと落としながら、叔父であり、ウォルヴァンシアの王であるレイフィードがユキの頬に唇を寄せた。
ちゅっと小さな音を立てて唇を引くと、叔父は姪御のすぐ隣の席に腰を下ろした。
ふふ、お仕事が片付いたから、ユキちゃんと一緒に城下散策にでも行きたいな~と思ってね。どうかな?叔父さんと一緒に行かない?アイノスも時間があるなら三人で行こうよ~♪
あぁ、すみません……。午後から団長のお供で国境に行く予定なので、ちょっと。
ご、ごめんね!!レイちゃん!!ユキも今から行くところがあるの!!
そ、そんな~!!
速攻で断られる未来など予想外だったのだろう。
まるでムンクのように絶望を抱いて叫んだレイフィード王が、ごふっと吐血でもしたかのような声を漏らしてテーブルに突っ伏した。
うぅ……っ。せっかく、せっかく、ユキちゃんと遊べる時間が作れたのにっ、あぁっ、不幸だっ、可愛い姪御に振られるなんて……っ。
れ、レイちゃん、違うんだよ!!違うの!!
え?
城下には行けないけど、一緒には遊べるの!!ユキと一緒に、ルイおにいちゃんのところに行こ?皆で遊んだら楽しいよ!!
本当!?本当なのかい!?ユキちゃん!!僕も一緒に遊んでもっ、ユキちゃんをもふもふ撫で撫で愛でまくってもいいんだね!?
……陛下、一緒に遊ぶとしか言われてませんよ~。
じゃあ、もうちょっとしたら、一緒に行こうね~。
うんっ、うんうん!!王宮医務室に行く時は、叔父さんが抱っこで連れて行ってあげるからね~!!ふふ、ユキちゃん、ユキちゃ~ん♪
ふふ、レイちゃん、レイちゃ~ん♪
本当は一人で医務室に戻るつもりだったが、叔父と一緒なら、ルイヴェルもすぐに許してくれるかもしれない。叔父のレイフィード王は、そこにいるだけでその場を明るくしてくれるムードメーカーだから。
心強い味方を得て勇気を貰ったユキは、アイノス達との楽しいお茶の時間を満喫し、医務室に戻る事になった。――しかし。
……駄目ねぇ。ショックが大きすぎて、まだ魘されてるわ、この子。
うぅ……、ユキ、……ぐぅぅっ。
ごめんねー……、セレスちゃん。素直になれるように、ちょぉーっとだけ、発破をかけたつもりだったんだけど。
いえ、これは……、完全にこの子の自業自得だから。サージェスさんは気にしないでちょうだい。
所用で出かけ、戻ってきてみれば……。
セレスフィーナの双子の弟、王宮医師ルイヴェル。
彼はウォルヴァンシアに来ていたユキの可愛らしいおねだりを拒んだ挙句、冷たい態度をとって幼子を悲しませてしまった、と。
そして、サージェスティンに少し脅されたくらいで具合を悪くし、弟は医務室のソファーで苦しんでいる。……何とも情けない話だ。
まだあの頃の事、気にしてたのねぇ……。確かに、あの方のヒゲは凄まじい威力を見せてくれたけど……。でも、あれはヒゲであって、ヒゲの定義を超えているような気も……。
セレスちゃん、その人のヒゲって……、そんなに凄かったの?
ええ……。フェリデロード家の血筋の方なのだけど、ちょっと……、色々と、凄い要素が多いというか。とりあえず……、あのヒゲは、ユキ姫様の望まれているもふもふ、ふさふさとは無縁だったわ。私も……、お父様が庇って下さっていなければ、……うぅっ。
……相当なんだね。
うぐっ、……はぁ、はぁ、……く、そっ。ユ、キ……、ユキ、俺よりも……、そ、の……、大量、……ヒゲだるまが……、いい、のかっ。
……この子、色々末期だわ。
うん、処方できる薬もないね……。
うっ、……ぐぐっ。
サージェスティンが指先でその頬を突(つつ)いても、ルイヴェルは目を覚まさない。
子供一人の存在がここまでこの王宮医師を追い詰めるとは……。
ユキちゃん、……最強だね。
ええ、本当に……。
残念な男の姿に、二人はやれやれと重たい息をこぼすのだった。