思わず笑みがこぼれた大翔に光は落ち着いた声で聞いた。
君は奴らを倒すつもりかい?
思わず笑みがこぼれた大翔に光は落ち着いた声で聞いた。
そうすれば助かる人だって増えるじゃないですか
そうかもしれないが、そうなれば危険に身を晒すことになる。奴らを倒してもまた出てくるかもしれないし、夢から抜けられるわけじゃない。それでも倒す意味はあるかい?
それは
他の誰かを助けることができる。
それはもっともらしいようで光には通用しない言い訳だ。自分の身を危険に晒してしまうのなら周りに迷惑をかけるばかりだ。
私も同感だな
二人のやりとりを見ていた乃愛が口を挟んだ。
まだ確証もないのに生兵法で挑めば、必ず痛い目を見るぞ
それはそうだけど
ほんなら今日試したらどうじゃ? 頭数が減るならワシらの安全も確保できる。悪い話ばっかりとちゃうと思うんじゃが
演劇の背景の大木のように立ち尽くしていた尊臣がようやく口を開いた。しかも大翔に賛成とは。大翔自身が一番驚いていた。尊臣は必ず反対すると思っていたのだから。
今日やってみよう。危険なら逃げればいいし、四人揃ったらの話だけど
私も同行か。まぁ、貴様らでは少し頼りないし付き合ってやろう
堂々と頼りがいのある発言は最上級生らしい風格がある。ただこの場にいる誰よりも小さい童顔の少女でなければ、あるいはもっと頼りにしたいところなのだが。
それじゃあ、どこか集合場所を決めておこうか
どこがええかのう
グラウンドはどうだ? あそこなら教室の中からも見えるから誰がいるかわかりやすいし
大翔の口からグラウンドという言葉が自然と出てきた。さっき見た和弘の夢のせいだろうか。もう一度あそこに立てば、何かを感じられると思ったのかもしれない。誰も思うところはなかったらしく、集合場所はグラウンドに決まった。
それでは失礼する
長々と話をさせてしまった乃愛はこの後用があるらしく、急いで部室を出て行った。それでも廊下から聞こえる音は小さい。しっかり歩いているらしい。荒っぽいのか真面目なのかよくわからない人だ。
はぁ、生き残れた
乃愛の足音が消えると同時に光は机の上に体を投げ出して大きな息を吐いた。大翔にとっても朝の口癖になりつつある言葉ではあるが、それをこの部室内で聞くことになるとは。
どうしたんですか
君は知らないだろう? あの仁坊先輩は名前を呼ばれることを極端に嫌うんだ
それは見てればわかりましたけど
名前を知られたくらいで殺す、とまで言うなんて尋常な話ではない。
だから人質にとる、という案までは出たんだけどね。本当に殺されないか心配だったよ
俺なんかよりよっぽど危険なことしてるじゃないですか
乃愛と言葉だけでやり合う光は結構かっこいいと思っていた大翔は、いきなり幻想が崩されたようで内心肩を落とした。もし乃愛が怒りに任せて拳を振るうような人間なら大翔も巻き添えを食らっていたことだろう。
カベサーダ相手にも頼みますよ、先輩
善処するよ
あの本能だけで動いていそうな怪物にどれほどハッタリが通用するかはわからないが、今日の仕返しも兼ねて大翔は光の脇腹を肘で小突いた。
それに小さく体をよじりながらも、ぐったりと倒れたまま返事をした光は乃愛とは対照的に少しもアテにならなさそうだ。
部室を出て、大翔は自分の教室に戻ってきた。別に忘れ物があったわけではないが、なんとなく千早がまた残っていそうな気がして、大翔はゆっくりと戻ってきてしまった。
まぁ、いないよな
最後の授業にもいなかったのだから、いまさらいるはずがない。いたとしたら幽霊か何かと疑うくらいのものだ。昼間に見た和弘の夢のせいで千早のことまで消えてしまうように思ったのかもしれない。
そんなわけないか
記録会で過去最低のタイムを走りきった大翔は他の部員たちよりも少しだけ早く引退を決めた。トラックを走っていると後ろから和弘がついてくるようで自分までフォームを崩してしまったからだった。続ければケガをする。少し陸上から離れてみては、という教師の言に従って、大翔は何も清算できないまま陸上から逃げたのだ。
その大翔にしつこく声をかけてきたのが三年になって初めて顔を合わせた千早だった。無気力で虚ろな表情で教室に座っている大翔を誰もが変わってしまったと恐怖していたところを今と変わらないように丸めた教科書で叩いていた。
元通りになったとは思わない。今でも大翔は走ることが嫌いだ。だが、千早によって大翔のうちのいくらが救われたのも事実だった。
さて、帰るか
どのくらいの症状かは真由にも聞いていない。明日には学校に来ているだろうか。だとすれば、大翔は今夜も死ぬわけにはいかない。
和弘にも何もしてやれていないが、千早にも返さないといけない恩がある。