大翔から見て左側、一番耐久力のありそうな尊臣も光の言葉に頷いている。普通に考えたらお前がやるべきだろ、と言ってやりたいところだが、そんなことを言えば乃愛からの膝の前に尊臣のげんこつが飛んでくることになる。なんだかイジめられているような惨めな気分になって、大翔は気合一番立ち上がった。
え、俺が受けるんですか!?
そりゃそうじゃろ。言い出したんは自分なんじゃし
大翔から見て左側、一番耐久力のありそうな尊臣も光の言葉に頷いている。普通に考えたらお前がやるべきだろ、と言ってやりたいところだが、そんなことを言えば乃愛からの膝の前に尊臣のげんこつが飛んでくることになる。なんだかイジめられているような惨めな気分になって、大翔は気合一番立ち上がった。
よぉし、もうやってやる!
よっ、イケメン!
光さん、完全に他人事ですよね……
古臭い言いまわしではやしたてる光を大翔は光を失った目で見つめ返す。こちらは格闘技の経験などありもしない普通の男子高校生だ。ついでに言えばケンカすらしたことがない。
中学の陸上をやっていた頃なら少しくらいは鍛えていたものだが、今は成長期にあるはずなのに衰えたのではないかという気さえする。そんな男が軽い調子で引き受けるには相手があまりにも危険すぎる。
私が蹴ればいいのだな
寸止めですよ?
立ち上がって膝を上げてウォームアップ始めた乃愛に、大翔は焦って釘を刺す。自分の夢の中の身体能力は現実世界と同じだった。つまり昨夜夢の中でみたのと同じ衝撃が彼女の膝には隠れていると思っていい。
まともに当たれば死ぬ。カベサーダではなく学校で先輩に蹴り殺されるなんて、まだマシかもしれないと一瞬考えるが、すぐに頭を振って思い直した。
それではいくぞ
狭い情報部室の中で机を動かしてスペースを作った。光と尊臣はパイプ椅子をたたんで部屋の端に並んで立っていた。完全に大翔に逃げ道はない。流れのままに膝蹴りを受けることになってしまっているが、そんなものは避けられるものなら避けて通りたい。一目散に部室から飛び出したっていい。
危険に身を投じたのはここ数日で一度ではない。それなのに大翔はここではなかなか腹を据えられないでいた。
何かいい方法はないか。近付いてくる乃愛を感じながら大翔は必死に考える。
襲われているときと少しも変わらない恐怖が渦巻く部室内。大翔の安住の地はどこに消し飛んでしまったのだろうか。
少し頭を下げろ。掴めぬだろう
背の低い乃愛が大翔の頭を掴むのは難しい。昨夜もカベサーダが光を押し倒していて膝立ちのような格好になっていたからこそ一撃が届いたのだ。実際には乃愛なら飛びかかって組み付きざまに飛び膝蹴りを入れることも可能なのだろうが。
お辞儀をするような格好で大翔は無防備に乃愛に頭を差し出す。近付いて来た乃愛の太ももが大翔の眼前に迫ってくる。
こんな近くで女の子の脚を眺めることなんてまずもってない経験だろう。しかし少しも嬉しくない。こんなことをしていたらたちまちどこかから湧いてきた千早に頭をしこたま叩かれるに違いない。
乃愛の手が大翔の頭にかかる。
なるほど、これを現実逃避というのか、と大翔は納得して目を閉じた。
あいつも絶望したのかなぁ
すっかり大翔の気分はカベサーダになっていた。頭を掴まれ、大丈夫だと思っていた一撃に死を突きつけられる瞬間。あの狩猟本能だけしか見当たらない謎の生物は何を思っていたのだろうか。
昨日自分を襲った怪物に今の自分を重ねる。
膝が伸びてくる感覚が大翔の頭を覚醒させた。
ちょっと待った!
乃愛の膝が大翔の顔の前で止まる。煽られたスカートが大翔の鼻を撫でた。
なんじゃ諦め悪いのう、神代
尊臣が面白くないと文句を言うが、そんなことは聞いていられない。
そもそもここまで膝が近付けば十分だろう。本当に蹴らせるつもりだとでも言うのか。
そうじゃなくて、思い出したことがあるんだって!
乃愛の拘束から逃れるように頭を振って顔を上げる。逃げられた乃愛が残念そうに口を尖らせているのが本当に怖い。
へぇ、それでどんな?
あからさまに期待してない返事はやめてくださいよ
確かに今、昨日とは少し違ったような?
乃愛は未だに大翔に膝蹴りを入れられなかったのが残念らしく、自分の両手を見つめながら手を結んでは開いている。ついでに足を振り上げ、蹴りのシミュレーションをするのも止めてもらいたい。もうその必要はなくなったのだから。
大翔はそれを見て、確信に至った、としたり顔で言い放った。
奴ら、カベサーダには触角があったんだ。の、仁坊先輩はそれを掴んで蹴ってたんだ
自分にはなく、カベサーダにはついていたもの。昨夜の乃愛はカベサーダの触角を取っ手のように両手で掴んでいた。机や椅子が曲がり、折れるほどに殴りつけても倒れなかったカベサーダを倒した一撃の違いといえばそれしかない。
そういや虫みたいなんがついとったな
記憶力に自信のある尊臣が最初に反応した。
しかし掴みかかるのにちょうど良かったんだぞ。そんな都合のいいところに弱点があるか?
特におかしくはないだろうね。感覚器官は外部に出ていなければ使い物にならない。奴らは目が見えないようだから、触角がその代わりをしていれば急所にもなる
人間も同じだ。目、鼻、耳。どれも粘膜や神経があるところながら、外部からの情報を仕入れるために決して守られているとは言えない場所に存在している。人間はそれを急所と呼んでとっさの時に守ろうとするし、浅い傷に見えても深刻な影響を及ぼす。
もしかして、これで奴らを倒すことができる?
逃げるばかりだった夢の世界で一筋の光明。弱点さえわかってしまえば仲間がいれば恐れることはないということだ。