あ……その、灯里は……いる?
灯里。
級友にしてこの家の主。
少し前に味わった悪夢では
彼の狂気を目の当たりにした。
その前は存在自体が消えていた。
今いるこの世界は、
死んでくれる?
あの悪夢の延長線上にあるもの。
ならば、いるだろう。
いるだろうけれど。
灯里様は西園寺様のお屋敷に行っておいでです
。
紫季の返事に
晴紘は思わず溜息をついていた。
なんの溜息なのかは
自分でもよくわからない。
そ……そうか
時計塔が遅れてるって……はは、言いたかったんだけど、
時計塔の遅れなど
最早どうでもいいのだが。
晴紘は口を濁す。
いる。
この世界には「森園灯里」が存在する。
しかしそれが
良かったと言えるのか、
今の晴紘には
判断がつかなかった。
彼は
木下女史を殺した犯人かもしれない。
西園寺、と聞けば
時計塔で出会った
黒髪の女を思い出す。
あれだけ何度も
修理に戻ってきているのに
自分は「撫子」に会ったことはない。
彼女が撫子だという確証は
何処にもない。
それなのに
何故か、彼女は撫子なのだと思う。
簪のせいだろうか。
そ、そうか。西園寺様……の屋敷か
侯爵は余程撫子に会いたいらしい
西園寺は
「撫子」を所持する家。
撫子は西園寺侯爵の亡くなった娘を
模したという自動人形。
灯里は彼女の納品に
行っているのだろうか。
外套をハンガーに通していた紫季は
晴紘を見上げた。
何時お帰りになられるかわかりませんから、時計塔のほうは私が見ておきましょう
なに? 撫子の納品に手間取ってるとか?
平静を装ったつもりだが声が震えた。
自動人形にはよくある話だ。
精密機械の彼女たちは
車輪から伝わる振動だけで調子が狂う。
そのため
納品には人形技師が立ち会い、
その場で狂いを調整してから
先方に引き渡す。
少なくとも灯里はそうしている。
撫子は古いから
ひとつ不具合が見つかったら
連鎖的に悪くなるのだろう。
だから手間取るのだろう。